白髪の少女
――ここは居心地がいい。
薄暗い部屋の中、ゆらゆらと灯る蝋燭の火を眺めながら、ワタシは天蓋付きのベッドに横たわっていた。
永い時間を掛けて集めた負の感情が、この館全体を満たしているのだ。
どこかの廃墟となった洋館だけれど、とてもいい場所を見つけたと思う。深い森の奥にあるから、誰も訪れることなく静かに過ごすことができるし、大きな建物だから可愛くて哀れな子供達をたくさん集めることもできる。
もちろん、時折はこの洋館に近付こうとする者もいるから、少し細工をして普段は見えないようにしているけれど。
――だけど、まだ足りない。
ワタシはベッドから降り、部屋の中にある豪華な装飾が施された鏡台の前に立ち、ヒビの入った古く大きな楕円形の鏡を覗いた。
何度も見ているはずなのに、未だ見慣れない自分の姿に嫌気が差す。
まるで老婆のように醜い真っ白な髪の毛。まるで死んでいるかのような血の通わない青い顔。
けれどもどんなに時が流れても、肉体は衰えず、いつまで経っても姿は少女のまま。
鏡を叩き割りたい衝動に駆られたけれど、止めた。
色褪せた碧色のドレスの裾をギュッと握り締めると、遥か昔に、邪神から宣告された言葉を思い出す。
『お前は、神でも人でもない――〈マガイモノ〉だ』
「…………フヒヒッ」
思わず笑いが込み上げる。
どうしてワタシは生きているのか。
神でも人でもなくただの物だというのなら、どうして意思があるのだろうか。それさえなければ、何をするでもなくただ存在するだけでよかったのに。
この体になる前のことはよく覚えていないから、昔に戻りたいなんて不毛なことを願いはしないけれど、生き続ける限り欲は生まれ続けてしまう。
――もっと、もっと欲しい。
暗くて悲しい感情が。苦しくて寂しい感情が。
ぼんやりと鏡の自分を見ていると、ドアの向こうから足音が聞こえてきた。
「お母さん、どこぉ?」
ドアを開けて入って来たのは、つい最近ワタシが連れてきた五、六歳の男の子。彼は眠そうな目を擦りながら視線が合うと、驚いた表情を見せた。
ワタシは穏やかに微笑み掛ける。
「おや、寝惚けているのでしょうか。貴方のお母さんはもうどこにもいませんよ」
「……どうしてっ?」
「忘れたのですか? 貴方は捨てられたんですよ」
少年はハッとすると、悲しそうに項垂れて「違うもん」と小さな声で呟いた。
「どこも違いません。お母さんは、貴方とお父さんを捨てて、下品極まりない男のもとへと去ったのです」
「ち、ちがうっ……! すぐ帰るって、言ってたもん……!」
少年は大粒の涙を流しながらも懸命に否定をする。
だけれど、きっと本当はわかっているのだ。
あの母親は、自分を捨てたのだということを。最低な女だということを。
ああ、なんて可哀想な子なのだろう。
もっともっと悲しませたい。苦しませたい。
ワタシは彼へと近付き、その小さな体をしゃがみ込んで抱き締めた。
「もう外の世界には、貴方を必要としている人間なんて誰一人いません。貴方の父親だって、貴方を疎んでいたでしょう? ほら、貴方の腕も足も傷だらけ。一体誰にこんなことをされたのですか?」
少年はひたすら泣き続ける。
「ずっとここにいなさい。ワタシには貴方が必要です」
ふと、少年は顔を上げた。
「本当に? ぼくが必要? ずっと?」
「ええ、ずっと」
ワタシは少年の額の髪を払い、そっと口付けをする。
少年はギュッとドレスの裾を掴み、ワタシの胸に顔を埋めた。
「ずっと、いる。ぼく、ずっとここにいるよ」
「ええ、歓迎しますよ」
――ただし、貴方が大人になるまでのほんの少しの間だけ。
だって、大人は醜くて汚いし、可愛くない。それに、一人でも生きられるようになる。
ワタシを必要としなくなるその前に、ワタシから彼らを捨てるのだ。
まあ、それまで生きていられればの話だが。大多数の子供は負の感情に押し潰されて死ぬ子供が多い。
でも、捨てられ絶望した彼らの感情はまた最高に美味で、メインディッシュを飾るに相応しい。
人間の負の感情は、ワタシが生きる為の唯一の糧。
だからワタシは、彼らの悪夢をただただ貪り続けるしかないのだ。
少年はいつの間にか、ワタシの腕の中で眠りについていた。
無邪気な寝顔。やはり子供はいい。
純真無垢な子供達を絶望へと貶める。
これほどまでに興奮することもあるまい。
「…………フフッ、フヒヒッ…………フヒヒヒヒヒッ!」
ああ、おかしくておかしくて堪らない。
己の存在意義など、どうでもよくなるほどに。
さあ、深く暗い闇の中で、ワタシと一緒に暮らしましょう。
貴方が大人になるその日まで、偽りの永遠を与えましょう。
ワタシが貴方を捨てるその日まで、偽りの愛を与えましょう。
そして――悪夢の中で絶望を味わいましょう。
最後に、貴方は一体どんな表情をワタシに見せてくれるのでしょうね?