18・悪竜エギビエル
悪竜エギビエル。
俺が行こうとしているところに辿り着こうとしたら、ラフガレント山脈を越えなければならない。
帝国からでも一望することが出来る、長くて大きな山脈である。
砂が舞い上がり、通行者のためにろくに舗装されていない。
モンスターも多く、冒険者すらあまり近付こうとせず、人の気配すらも皆無である。
何故、ラフガレント山脈が人が近寄ろうとしない廃れた場所になってしまったのか。
勿論、モンスターの存在もあるが、それだけが理由であるならば必敗勇者の世界の殆どは廃れた場所になってしまうだろう。
その理由が——悪竜エギビエルである。
この悪竜エギビエル。
別にダンジョンのボスでも何でもなく、極論倒さなくてもいいモンスターである。
しかし——ラフガレント山脈全体にエンカウント判定があるために、まず普通に越えようとすれば遭遇してしまう竜である。
『貴様の力を試してやろう!』
エンカウントすれば、いきなり悪竜はそんな言葉を吐く。
とはいっても、通常モンスターと同じような演出で現れるモンスターなので、まずプレイヤーはここで油断する。
『ちょっと強いだけのモンスターだろう』
と。
しかし驚くことなかれ——この悪竜。なんとレベルが90に設定されているのだ!
属性攻撃に対しての耐性も多く、そこらへんのボスと同じく即死攻撃で倒すことは出来ない。
さらに逃げようとしても、
『逃げようとするとは、貴様それでも本当に勇者か!』
と口腔から闇の炎(即死属性が付いている)を吐かれ、パーティーが一瞬で全滅してしまう。
なのでラフガレント山脈で悪竜に遭遇すれば、倒さなければ前に進めないのだが……。
なんせレベル90の凶モンスター。
まず生半可なプレイヤーでは相手にならない。
とはいっても——悪竜に遭遇しなくても、ラフガレント山脈を越える方法はもう一つだけある。
空を飛べばいいのだ。
空を飛び、悪竜と遭遇することなくラフガレント山脈を越えて、向こう側に行く。
しかしこの世界で空を飛ぶ手段は、飛行船しかなく、それを手に入れるためにはS級冒険者になって、ハビエル城に呼ばれ王様から貰わなければならない。
ここまで言って理解出来ただろうか?
つまりS級冒険者になるまでは、この山脈を越えることが出来ない、ということなのだ。
このラフガレント山脈を越えた先は、ストーリーを終盤に進めるための必須イベントが待ち構えている。
なのでまだE級そこそこの冒険者——プレイ序盤の人に山脈を越えられては困るのだ。
なので必敗勇者では悪竜を配置することによって、ストーリー序盤での山脈越えを防いでいる。
スタッフはこう言っているのだ。
『ラフガレント山脈を越えたければ、悪竜を倒せ。
しかし悪竜は超強敵のモンスターであり、レベルが低いプレイヤーは瞬殺されてしまう。
レベルも80くらいになった頃にはS級冒険者になって、飛行船も貰えているだろう。
普通通りにストーリーを進めろ』
——つまり悪竜エギビエルはスタッフが仕組んだ負けイベント。
山脈越えを防ぐための、悪竜という名の負けイベントなのである。
しかしそんな負けイベントに真っ正面から挑もうとする男がいる。
言わずもがな——アキト・カグラ。
俺のことである。
◆
「止めましょうよ! 今度ばっかりはアキトさん、無茶ですって!」
「心配するな」
「悪竜エギビエルのことについて知っているんですか?
帝国でも騎士団と冒険者の合同チームが組まれ、悪竜討伐に向かっても全滅させられてしまったんですよ? いくら凄腕冒険者のわたしと、ちょっと凄いだけの冒険者アキトさんがいても敵いっこありませんって!」
「知ってる」
そんなことを話しながら、俺達はラフガレント山脈を登っていく。
灰色の曇り空の下、乾いた砂を踏みしながら一歩ずつ登っていく。
殆ど人が足を踏み入れていないためか、ゴツゴツとした地面で一歩でも踏み外せば大事故に繋がりそうな予感がした。
リリスがわあわあと叫いているのを、俺は小鳥の囀りくらいに聞き流しながら、ひたすら歩き続けている。
「お前は見ておくだけでいい。間違っても、『わたしも加勢します!』とか言って戦いに加わってくるなよ?」
「いや……戦いになったら、わ、わたしも参加しますよっ! 怖いですけど……そうしないとアキトさん、死んじゃいますし」
「そんな男気見せなくてもいい。お前が死ぬぞ」
「わたし女ですけど」
「そんな細かいこともどうでもいい」
今のところエギビエルとは遭遇していない。
ラフガレント山脈に住む、レベル50そこそこのザコモンスターばかりだ。
「心配するなって。勝てない勝てない、と思われがちだが、勝ったプレイヤーの動画も見たことあるしな」
「プレイヤー? 動画? どういう意味ですか」
「子どもは分からなくていい」
そう言うと、「うぅー! またアキトさん、わたしを子ども扱いしてー!」と可愛く怒り出すリリス。
胸の発達以外、特に残念な頭とかは子どもそのものなんだけどな。
体は大人、頭脳は子ども! その名もただの痴女!
……みたいな。
「おっ、ウサギ」
いつエギビエルが現れるのか、アンテナを張り巡らしながら歩いていると。
ひょこっと俺達の前に白いウサギが現れる。
「か、可愛いですねぇ。荒んだ世界が色あせていくようです」
「色あせてどうするんだ」
正しくは、世界の色が変わっていくよう……とかな。
リリスはウサギに近付き、しゃがんで頭をナデナデする。
「ウサギか……」
必敗勇者の世界では、モンスター以外にも人族には無害な動物が存在する。
その動物は元の世界にもいた『イヌ』や『ネコ』といったものや、リリスが愛でている『ウサギ』なんかもいる。
ただしウサギによく似た『ファーストラビット』なんていうモンスターもいるから、非常にややこしく……必敗勇者のスタッフの適当さが伺える。
「行くぞ。いつまでもそうしてられないだろうが」
「うぅー、アキトさん! わたしこの子、飼います!」
「捨て猫を拾ったみたいなことを言うな。ウチの宿屋! ペット飼えないでしょう」
「嫌だー嫌だー、ウサギ飼うんですー!」
駄々をこねるリリスの首根っこを引っ張って、登山を再開する。
こいつ……マジで頭の中は子どもだな。
「それにしてもリリス。流石のお前でもエギビエルが怖いんだな」
「当たり前ですよ。レベルが違いすぎますよ」
「お前だってレベルが上がっているんだから、心配しなくてもいい。バニーガールの衣装に身を包んでいるんだから、ちょっとやそっとの攻撃で即死はないだろうしな」
「それもそうですね!」
パアッ、と表情を明るくさせ、
「特訓だってしましたし、簡単に倒せちゃうかも? やーい! エギビエル。凄腕冒険者のわたしと戦えー!」
もしかしたら、俺は墓穴を掘ってしまったのだろうか?
恐怖で震え、歩く速度が遅いのにイライラして、思わず口にしてしまったが……。
噛ませ犬、リリスの本性が顔を現したのか?
「エギビエルー!」
何処で拾ったのか分からない小枝を振り回して、リリスは勇ましく前進する。
「おい……そんな早く歩いていたら転け……」
「ギャッ!」
言わんこっちゃない。
躓いて、頭から転ぶリリス。
「はあ……何やってん——!」
——危険!
俺はリリスを抱きかかえて、そのモンスターから距離を取った
「ほう、珍しいな。人間など久しく見たぞ」
突然、空から現れた巨大なモンスター。地上に降り立つと、まるで二階建ての建物が現れたかのように錯覚を受ける。
両翼が動くと、周囲の砂も巻き上げられる。空を飛ぶことは出来るが、速度はなく飛行船に追いつくことが出来ない。代わりにそれは強固で、レベル1の人間ならば、動かしている翼に当たるだけでも即死してしまうだろう。
真っ黒な全貌。その黒い体の中に二つの赤い光。両目だけが赤く光っているのだ。
そのモンスターを見て、俺はこう呟く。
「悪竜エギビエル……」
「貴様の力を試してやろう!」
エギビエルとの負けイベントが開戦する!




