ティフィアの過去1。
ーー三年前ーー
その日、ティフィアは弟のペリトと一緒に日常品を買いに街に出ていた。
この時、ティフィアが12歳、ペリトが9歳である。
病気で亡くなってしまった母の代わりに、ティフィアは8歳の時から家事等を行っていたため、この弟との買い物も今では恒例の行事となっていた。
「姉ちゃん、今日は何を買いに行くの?」
今日はペリトに何を買うか告げずに買い物に出たため、ペリトがティフィアに不思議そうにそう聞く。
「うーん、とりあえず食料品と、後は安い食器でもあれば買おうかなーって思ってるよ」
「うん、わかった!」
ティフィアは当たり障りのない言葉を返しながら、ある店に向かって歩いていった。
ペリトは覚えていないかもしれないが、今日はペリトの誕生日だ。
その為、ティフィアはペリトに久しぶりに豪華な食事を食べさせてあげるために、ペリトを街へと連れてきたのだ。
もちろん、最初は買い物に付き合ってもらうつもりだが、その後はサプライズとして驚かせるつもりだ。
呑気に街を歩くペリトを見ながら、ティフィアは夜のサプライズのことを考えて微笑む。
そんな時だった。
「おい嬢ちゃん達、獣人族がこんな所で何してんだ?」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた男と、その取り巻きの数人が突然、ティフィアとペリトに近づいてきたのだ。
その男の事をティフィアは知っていた。
今街で噂になっている、Cランクの魔物を仲間にしたというイノマという男だ。
ティフィアは内心のイライラを抑えながら、相手を無駄に刺激して怒らせないように男に言葉を返す。
「弟と買い物に来ているだけです。
二年前に種族差別の撤廃がされてから、私達獣人族が普通に歩くのは認められているはずですが、何か悪いでしょうか?」
楽しい弟との買い物を邪魔されているのだ。
多少言葉に刺が入るのは仕方の無いことだろう。
だが、男達はそうは思わないかもしれない。
ティフィアがそう考え、思わず鋭く言ってしまったことを後悔するが、特に咎められることもなく、イノマと男達は「そうかい、そりゃ悪かった」と素直に謝罪してどこかに歩いていってしまった。
ティフィアは、イノマ達が素直すぎることに対して胸にモヤモヤを抱えながらも、不安そうにするペリトに「大丈夫だよ」と声をかけてそのまま買い物を続けることにした。
ティフィアの予定は、夕方までは普通の買い物をして、夕食にその店へ連れていくというものだった。
ティフィアの不安とは裏腹に、何事もなく買い物は進み、既にティフィアもイノマ達との邂逅のことはすっかり忘れてしまっていた。
そして、いよいよ夕方、ティフィアがペリトを連れて店に向かおうとしたところでそれは起こった。
「また会ったなー、嬢ちゃん達」
またイノマ達が現れたのだ。
その顔はあからさまに悪巧みを考えた時の顔をしており、ティフィアの背中に思わず悪寒が走る。
「……何の用でしょうか。私達は別にあなた達に迷惑をかけていないと思うのですが」
「うーん、まあ、そうだなー。だけど、すまんがやむを得ない事情ができちまってよ」
やむを得ない事情?
ティフィアの頭に疑問符が浮かぶ。
しかし、その疑問もその直後の出来事で頭から消し飛ぶことになった。
「ね、姉ちゃん!!」
ペリトの叫び声が聞こえて隣を見ると、ペリトがいつの間にか背後に回っていた男の一人に捕まっていたのだ。
「ぺ、ペリト!?
………あなた達!どういうつもりなんですか!?」
ティフィアは激高してイノマ達に叫ぶ。
普段のティフィアからは考えられない表情に、弟のペリトですら肩を震わせる。
しかし、イノマはそんな事は意に介さないように、ニヤニヤとした笑みを浮かべたまま言い放った。
「ちょいと借金ができちまってよ、わりーがおめーら、俺に売られてやってくれ。獣人族は高く売れるんだ」
その言葉にティフィアは冷水を浴びせられたような感覚を味わうが、すぐに首を振って言い返す。
「だから!種族差別はもう撤廃されてるんです!私達を売ることなんて出来る訳がないです!」
このティフィアの言葉は事実だ。
二年前に差別が撤廃される前は、ティフィア達異種族は人族から妨げられ、中には奴隷になる者もいたが、撤廃されてからは違う。
ティフィア達にもちゃんとした人権が与えられ、異種族だからといって妨げることはできなくなったのだ。
だから、イノマの言うようなことが出来るはずがない。
それは確かに真実だ。
だが、ティフィアは、新しい差別のことを忘れていたの。
「ああ、確かにおめーらが獣人族だからって俺達はお前らを捕らえることは出来ない。でもな、知ってるか?
弱者ってのは罪なんだよ」
その時浮かんだイノマの狂気の瞳に、ティフィアの体は無意識に震え出す。
「俺達はただ弱者を懲らしめるだけ。ただそれだけだ。何も悪いことはしてねーじゃねーか」
確かに法律上、イノマの言っていることは間違ってはいない。
ただし、こんなことを考える人間などティフィアは見たことがなかった。
「…あ、あなた達は、狂ってる!」
「あん?別に俺は法に背いてるわけじゃねえよ。言いたいことがあるんだったら俺と戦って勝てばいいだけだ。
聞けばお前、俺と同じ魔物使いみたいじゃねーか。どうだ?やってみるか?」
勝てるわけがない、と。
ティフィアは唇を血が滲むほど噛み締めるが、ここでペリトを諦めるわけにはいかない。
ティフィアは決死の覚悟でイノマに戦いを挑むことにした。
そして結果は惨敗。
イノマの魔物に傷一つつけることが出来ず、ティフィアの魔物は消えていってしまった。
「おいおい、本当に雑魚じゃねえか。
まあいい。そんじゃ、弱者を懲らしめることにしますかね」
イノマと男達がティフィアに近づいてくる。
ティフィアはこれ以上にないくらいの殺気を滲ませた目でイノマを睨む。
すると、イノマは面白いことを思いついたように歩みを止めた。
「お前、なかなかいい目ができるじゃねえか。
…………そうだ、いいことを思いついた。
これじゃ、流石にお前らが可愛そうだもんな。だから、一つチャンスをやろう」
突然の展開に頭がついていかないティフィア。
しかし、ペリトを助けられるのであればと、藁にもすがる思いでイノマの話を聞く。
「うーん、そうだなー。
……三年、そう、三年だ。
三年間だけ待ってやる。
その時に俺に勝つことができたら、その時はお前の弟を解放してやるよ」
その言葉は、ティフィアの絶望の垣間に見える、唯一の希望だった。
突然そんなことを言い出したイノマの意図は見えないが、三年間本気で頑張ればイノマを超えることも出来るはず。
その気持ちでティフィアはイノマの提案を受け入れた。
「オッケー、んじゃ、この坊主だけ連れて、とりあえず帰りますかね」
「でもイノマさん、借金はどうするんすか?」
「ああ、それには今思いついた考えがあるから大丈夫だ」
そんなことを話しながらイノマ達は去っていく。
残されたティフィアは、ただ泣くことしか出来なかった。
ペリトの誕生日に、ティフィアはそのペリト自身と自分の魔物を失ってしまったのだ。
そしてティフィアは三年間、森に篭るようになったのだった。