第一章
とあるマンションの202号室 田中由香
「これね……」
一人暮らしの手狭な部屋で、机の上に置いたダンボールを確認する。先ほど着払いで届いたもので、差出人は『夢探し人』とある。
何度見ても不思議な会社名だと思いながら中身を確認する。
中には、音楽再生プレーヤー、ヘッドフォン、そして何かが書かれた紙が入っていた。
事前に話に聞いていた通りだ。半信半疑だったものの、これで少しは安心できる。
私は、ある記憶を探していた。普段生活をしていると、何か違和感を感じる。自分の記憶の中で、いくつもの抜け落ちている部分がある気がする。何を忘れたか分からない、けど、何かを忘れている。
そんなもやもやとした気持ちを抱えていると、ある日ネットで妙なサイトを見かけた。適当に調べ物をしていたときに、ふと目に留まった『記憶を復旧します』の文字。気になってそれをクリックすると、『夢
し人』という会社のサイトに飛んだ。そこには、「忘れてしまった記憶、復旧します。」と書かれていた。あまりにも胡散臭いサイトであったが、私は強く惹き付けられた。私の感じる違和感が、なんなのか分かるかもしれない。
あまり深く考えずに、サイトに書かれていた番号へと、自然と電話をかけていた。
一回目のコールが終わるころに、電話が繋がった。
『はい、こちら夢探し人です』
はきはきとした女の人の声だ。
「あ、あの、サイトを見たんですけど」
深く考えずに電話をかけたせいで、何を言ってよいか分からなくなる。
記憶を思い出したいんです、なんてことを言うわけにもいかない気がする。
『ありがとうございます。どのような記憶を思い出したいのですか?』
どうやらそれでよかったようだ。
「えと、どのようなといいますか、それが分からないんです」
『分からない?』
「はい、何か抜け落ちてる記憶がある気がするんですが、それがなんなのかが……」
『なるほど。その記憶はつい最近のものだと思いますか?それとも、長期的なものだと思いますか?』
「えと、長期的なものだと思います。一年位前のことを思い出そうとすると、何か違和感を感じたりするんです」
『分かりました。では、今回の探し物は記憶そのもの、ということで登録させていただきます』
電話の向こうで、キーボードを叩く音が聞こえる。
『ではお名前とご住所を……』
そこからしばらく、事務的な受付を行う。
『……はい、登録完了です。では、これより記憶を探す手順について説明させていただきます』
「はい」
『まず、そちらの住所にいくつかの物を送らせていただきます。音楽再生プレーヤ、ヘッドフォン、それと注意書きの書かれた紙となっております。その指示に従って作業していただければ結構です』
「えっと、作業っていうのは具体的にはどういうことを?あまり難しいことは……」
『あ、いえ、作業といっても音楽を聴いて眠るだけです。時間を指定いたしますので、そこから90分眠っていただき、目が覚めれば記憶が戻っているという仕組みです』
「え……そんなことでいいんですか?」
『はい、それだけで大丈夫です。では、90分の余裕がある日時を教えていただけますか?』
「あ、はい、ええと……」
このような流れで契約をしたのが二日前。
そして、指定した日時の今日、荷物が届いたのである。
「もうすぐね……」
夜の8時から90分間の間と指定した。現在、7時50分、後10分である。
注意書きの紙を手にとる。
見ると『90分間誰にも邪魔されない安全な場所で再生してください』とだけ書かれていた。
今からだと、特に訪問してる人もいないだろう。電話も多分来ない。
……こない、よね?
不意に違和感を感じた。この違和感は、たまにこうやって突然やってくる。今日は誰とも約束もしてない。なのに、なんだろう、妙に引っかかる。
少し、胸を締め付ける切なさを伴う違和感。私が、一年前から感じ始めたもの。
この違和感の原因探そうとすると、いつも自分の記憶が抜け落ちていることが分かる。だからきっと、これはその記憶がもたらす違和感だ。
抜け落ちた記憶がなんなのかは、全然分からない。友人に聞いても、誰も知らない。
一年前、といえばちょうど彼氏と別れたあたりだろうか。どうもその辺りの記憶が抜け落ちている気がする。特に未練も無かったけど、何かあったのだろうか。
そんなことを考えながらふと携帯を見ると、時刻は既に7時58分だった。
いつの間に。少し焦りながらヘッドフォンを耳にあて、ベットに寝転ぶ。
小さく深呼吸をし、音楽プレーヤーの再生ボタンを押す。
ともあれ、この違和感とはもうすぐおさらば出来るのだろうか。
少し寝て、目が覚めたころには、きっと何かを思い出している。
それはきっと、大切なものな気がする。
不意に襲ってきた睡魔に身を委ねながら、私はそんなことを考えた。
『夢探し人』オペレーター室
「サキチさん、今何時ですかぁ」
女子高校生特有の、少し抜けた声が部屋に響く。
「今は7時50分ちょうど。後少しだから、準備しといてね」
サキチ、と呼ばれた男は、男子高校生の割にはしっかりとした口調である。
部屋には、ベットが二つとパソコンが一台だけ置いてある。二人はそれぞれベットに腰掛けていた。
「準備といっても何をするべきなんでしょーか?瞑想とかですか?」
「お客様がどういう記憶を取り戻したいのか、どういった道具が必要かを、再度確認しておくんだ」
「なるほど。わかりましたー」
少し伸びた返事をした女子高生は、手元の資料を手に取り、読み上げた。
「今回のお客様は、田中由香さん、大学生。依頼内容は、忘れた記憶が何なのかを思い出したい。ということですね。サキチさん、質問です!」
「はい、ピナさん、なんですか?」
ピナ、と呼ばれた女子高生は、怪訝な顔をしながら資料を見ている。
「私、今まで受けた依頼は無くした物の場所を思い出したいとかで、無くした物がはっきりしない依頼はまだ経験したことがないんですけど、どういう道具が必要なんですか?」
「そうだな、虫眼鏡とか、懐中電灯とか持ってきて。他にも僕がいくつか持っていくけど、こういう記憶は探索用の道具が必要になることが多いからね」
「了解です!」
ビシッ!と音がなりそうな敬礼をしたピナを流しながらサキチが資料を見ていると、部屋に眼鏡をかけた男が入ってきた。
「あ、タケさん!こんにちわ!」
ピナが元気よく挨拶する。
「やぁピナ君。こんにちわ、というより、こんばんわだ」
「タケさんこんばんわ。もうすぐですか?」
サキチがタケに向かって聞く。
「ああ、今依頼者の夢をマウントした。君達には、これより『潜入』を行ってもらう。準備してくれ」
その言葉を聞き、ピナとサキチはそれぞれベットに寝転んだ。
「君達がコンビを組むのは久しぶりかな?」
「そうですね、ピナが初めて潜入したとき以来じゃないですかね」
タケが二人にヘッドフォンを渡しながら会話をする。
「今回は、記憶そのものを探すっていう依頼だからね。ちょっと特殊なケースだから、ベテランのサキチ君と、柔軟な発想のピナ君に任せることになったんだ」
「そっかぁ、私、期待のルーキーだもんね!」
「柔軟な発想というか、ぶっ飛んだ発想とかのほうが正しい気もしますがね」
「あ!サキチさんひどい!いいですよ、今回の潜入で私の成長を見せつけて、あっと言わせてやりますからね!」
「ははは、このコンビなら安心だな。よし、二人ともヘッドフォンをつけてくれ」
タケの指示に従い、二人はヘッドフォンを耳に当てる。
このヘッドフォンは通信機つきで、特殊な音楽を鳴らす。ヘミシング、という効果をもたらすその音楽は、人の脳波に影響を及ぼし、簡単に眠ることを可能にする。
そして、このヘッドフォンで眠った者の夢を『潜入システム』がマウントする。
潜入システムとは、誰かの夢に、文字通り潜入できるようになるシステムである。
ピナとサキチは、この潜入システムを使って誰かの夢に潜入し、落し物や忘れ物を捜す仕事をこなす会社でアルバイトをしている。
潜入システムは、依頼者の夢と既に繋がっており、ここにピナとサキチの意識を飛ばす。
そこで、記憶の欠片を集めるのが二人の仕事である。
「それじゃ、音楽をかけるよ。二人ともがんばってね」
そう言って、タケはパソコンのキーを押す。
「『潜入ゲーム』、スタート」
そんな声を最後に、二人がつけていたヘッドフォンから音楽が流れ始め、やがて二人の意識はまどろみに消えていった。