ネコは首をひねった
ネコが首をひねった。
ぼくとりょうたは不穏な空気に顔を見合わせる。
いらっしゃい、とぼくらを迎え入れたおじさんの笑顔も、いつもよりほんの少し眉毛が下がってるような気がする。部屋の隅には重苦しい空気を纏ったつばさが足を伸ばして座り、本を読んでいた。
おじさんの横には見知らぬ女の人が張り付いていた。おそらくこの空気の原因だろう女の人は、ぼくらを見て大きな目をぱちぱちさせる。
「こ、今度こそ隠し子ですか?」
りょうたが一歩後ずさった。おじさんは苦笑いを浮かべる。
「違うよ、近所の子。つーくんとりょうたくん」
「そうなんですか! はじめまして、みとあすかです。よろしくね!」
カールした長い髪を揺らして、みとさんは会釈した。
どうも、と返すとニコニコうれしそうにする。変な人だ。
誰なんだろう、と思っていたら、おじさんが説明してくれた。
「俺の友達が絵の大学で先生をやってるんだけど、みとさんはその友達の教え子なんだ。この間トクベツコウシとして友達の手伝いしに行ったら、俺の事知ってたみたいで知り合いに……」
「あたし、先生の大ファンなんです! 会えてホントに嬉しくって! 勇気を出して話しかけちゃいました」
両頬を押さえて、みとさんはうっとりと語った。おじさんってそんなすごい人だったのか。知らなかった。
つばさはお面でも付けてるみたいに無感情な顔をして、本を閉じ立ち上がった。
「お茶、入れる」
「え、あ、ありがとう……」
今日のつばさはちょっと怖い。
りょうたと一緒にネコのとこまで行くと、ネコもぼくらに擦り寄ってきた。ネコの耳に顔を寄せる。
「ね、つばさどうしたの?」
ネコはにゃあ、と鳴いて転がった。お腹を撫でろとのことらしい。無視された事に少しむっとしたけれど撫でてやる。
台所からお湯の沸く音が聞こえてきた。
りょうたは口元に手を当てて、声を小さくする。
「でも、本当にどうしたんだろう。なにかあったのかなあ」
「さあ……」
女の人の考えている事は、いつでもよくわからない。小学生だろうが、中学生だろうが、大学生だろうが、大人だろうが、わかんないものはわかんない。
視線をおじさん達の方へやってみたけど、満面の笑みで喋り続けるみとさんとどこか困った顔のおじさん、という状況にはなんの変化もなかった。
そこに、お盆を持ったつばさが入ってきた。ぼくとりょうたはテーブルに戻り、つばさから色違いの湯のみを受け取る。
つばさはおじさんとみとさんの湯のみにおかわりを注ぐと、また部屋の隅で本を開いた。
ぼくとりょうたが煎餅の品定めをしていると、みとさんがお茶を一口飲んで声を上げた。
「わあ、美味しい! つばさちゃん、お茶入れるの上手いね!」
みとさんの言葉につばさは目を丸くして、ぺこりと頭だけ下げた。やっぱり様子がおかしい。
テーブルの上には、おじさんの絵と、おそらくみとさんが描いたであろう絵が置いてあって、どうやらみとさんはおじさんに絵を教わっているようだった。
ぼくはふと疑問を口にする。
「おじさん、つばさには絵、教えてあげないの? つばさ絵、下手なのに」
するといつもなら、「失礼やで」くらい言ってくるつばさが、何も言わずに瞬きだけ繰り返して、代わりにりょうたが「失礼だよ」とぼくを注意した。
「一緒に教わろうよ、つばさちゃん」
みとさんが手招きをすると、おじさんはふふ、と笑った。
「つばさちゃんは、このままがいいんだよ」
つばさは一瞬だけ傷ついた顔をして、すぐまたお面を被る。
「……私、今日用事あるんやった」
静かに腰を上げ、つばさは部屋をゆっくり後にした。調子でも悪かったのかな。
りょうたがあ、と呟いた。
「本、忘れてる」
部屋の隅につばさがさっきまで読んでた本が落ちていた。
ぼくは急いで拾い上げて、おじさんの家を飛び出した。つばさは足が遅いから、まだ追いつけるだろう。
道路へ出て左右を確認すると同時に立ち止まる。ぼくを追いかけてきたりょうたが背中にぶつかって、ネコが短く鳴いた。
つばさは表札の前でしゃがみこんでいた。膝を抱えていて、顔は見えない。
「……本、忘れてたよ」
「そうなん」
「うん」
「……私ってなんで、中学生なんやろうなあ」
ぽつりと言ってそれきりつばさは黙り込んでしまった。
りょうたとネコが揃って首をひねっている。
ぼくはほんの少しだけ、わかった気がした。
おじさんとみとさんは大人でぼくもりょうたも間違いなく子ども。それからつばさも、子どもだ。
空を見上げたら、今にも雨が降り出しそうだった。




