ネコはじっと空を見上げた
ネコはじっと空を見上げていた。
あのぶち模様は、もしかしてつーくんだろうか。こんな所で、珍しい。
体操着入れを振り回しながら、ぼくは堤防の道を小走りになる。
「どうしたの、つーくん」
声をかけてみたけれど、ネコは空を見たまま。
ぼくは首を傾げてつーくんの視線を追った。
視界に飛び込んできたのは、鮮やかな赤や青、黄色に緑、ピンク、オレンジ、水色――。
夕焼け空に、たくさんの風船が浮かんでいた。
風船たちの下に目線を滑らせると、見知った後ろ姿があった。短い黒髪と深い色のセーラー服。
ぼくら以外の時間が止まってしまったみたいにゆっくりと、つばさは振り返った。
つばさはぼくたちに気付いたのかこっちに歩き出した。足下の学生鞄と紙袋を拾うと、器用に堤防を上がってくる。
ぼくはなんとなく動けない。
「つーくん二号、今帰りなん?」
「……うん」
笑顔を作るつばさになぜだか安心した。
「私、叔父さんのとこ行くけどつーくんは?」
「行く」
「一緒に行こっか」
並んでぼくらは歩き出す。猫は少し後ろを付いてきた。
堤防を顧みると、風船が空の高いところにあった。吸い込まれていくみたいだ、と思った。
「ねえ、あの風船ってつばさが飛ばしたの?」
「うん」
「なんで?」
「風船は、一番欲しがってるどこかの誰かの所に飛んでいくんやって」
「……それ、最近本で読んだ気がする」
ぼくが言うと、つばさは思わぬ食い付きをみせた。見たこともないくらいに目を丸くしている。
「なんて本?」
「えっと……」
なんだったかなあ、学童保育の時に暇だったから読んだだけだし。
答えられずにいるとつばさが肩を落としたので慌てて励ましてみる。
「ごめん、でもたぶんすぐわかると思うから大丈夫」
つばさの顔がぱっと明るくなった。表情が少ないつばさをここまで一喜一憂させるなんて、あの本そんなにすごい本だったのか。風船飛ばすだけの下らない話だったような気がするけどなあ。
「でも、どっかの誰かに風船飛ばしてどうするの?」
「幸せにする。……今日はチロルチョコ入れといたから完璧やわ」
「ふうん」
つばさの話は、わかるようでわからない。
バス停の前を通って角を曲がる。もうすぐおじさんの家につく頃だ。
「風船飛ばすのってさ、警察とかに見つかったら怒られるんじゃない?」
何の気なしに言ったら、つばさは立ち止まって「え」とだけ呟いた。
今日は暇なようで、おじさんは畳の上に転がっていた。ぼくらに気付くと、「いらっしゃーい」と寝返りを打った。
ぼくはランドセルと体操着を置いてすぐにこたつへ。すると、ネコもこたつの中へ入っていった。
おじさんはいたずらを思いついたみたいににやりと笑った。
「つーくん二号、バレンタインの調子はいかが?」
「……別に」
ちらりとランドセルを見る。義理宣言と共に手渡しされたのが一個と、机に入ってたのが一個の合計二個。おじさんには教えないけど。
「流石、色男は秘密主義ってのがせおりーだもんねえ」
おじさんが笑ってるけど、ちょっとむっとしたので無視。
ぼくの隣に座ったつばさは、紙袋から小さな箱を二つ取り出した。
「チョコレート、持ってきた」
「やったあ!」
つばさの言葉におじさんが飛び起きた。手渡されるとすぐに、リボンを嬉しそうに解きはじめる。
赤い箱の中には、小さな丸いチョコケーキが入っていた。
「生チョコケーキ。――友達に教わって作ってん」
さて、何割が友達作なんだろう。思わず考えたけど、黙っておいた。
「すごい! つばさちゃんありがとー!」
満面の笑みで喜ぶおじさんに、つばさは少し顔を赤くした。ああ、そっか。
ぼんやりしていると、つばさに肩を叩かれた。
「もう一個はつーくん二号の分やねんけど、よかったら」
「……うん」
ぼくが目の前に置かれた箱に手を伸ばすと、つばさは少し微笑んで「お茶いれてくる」と席を立った。
おじさんの下手くそな鼻歌を聴きながら、ぼくは二つのチョコを見比べてみる。
全く同じ赤い箱。中身も同じチョコケーキ。大きさだって同じ。けどきっと、ぼくのとおじさんのとは、決定的になにかが違う。
のぼせたのか、猫のつーくんがこたつから出て来た。のろのろと窓際へ歩く。
ぼくも四つんばいになって、のろのろと窓際へ。
ネコと一緒に、じっと空を見上げた。
この空のどこかを、チロルチョコが飛んでいる。
ぼくのチョコケーキはたぶん、そのチロルチョコとかわらない。なぜだかそんな気がしてならなくて、ぼくはお茶が入るまでずっと空に風船を探し続けた。