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ネコがどこかに逃げていった

 嫌な予感を察知したのか、ネコはどこかに逃げていった。


「せーの」


 おじさんがぼくらの指揮をとる。ぼくは配られた茶碗の中の豆を一握り構えると、玄関に向かって振りかぶった。


 声を揃えて、


「鬼はぁーそ……と……」


 ぼくらが豆を放り投げるのとほぼ同時。がらりと玄関の戸が開いて、誰かが入ってきた。豆はものの見事にその人にぶつかって、ぱらぱら散らばる。


 入ってきたのは背の高いスーツ姿の男の人だった。おじさんと同い年くらいに見える。おじさんよりはがたいがよくって、目が細い眠たげな顔に四角い眼鏡を掛けていた。手には紙袋を下げている。出会い頭に大量の大豆を浴びせられ、なんとも言えない表情を浮かべていた。

 少しだけ沈黙が流れる。破ったのはおじさんだ。おじさんはへらっと笑って片手を上げた。


「津山だー、いらっしゃい」


「おじゃまします」


「豆、まく?」


「じゃあお言葉に甘えて」


 津山さんはいそいそと戸を閉めて靴を脱ぎ、おじさんの横に並んだ。紙袋を持っていない方の手で、おじさんの茶碗から豆を一握り。

 並びは、ぼく、つばさ、おじさん、津山さん、の順だ。あ、見事に背の順。


 おじさんはさて、と前置きして、


「はい、せーの」


 ぼくらは声を揃えて、


「鬼はー外―」


 ばらばらと豆が飛んでいく。


「はい、回れー右!」


 みんな一緒に後ろを向いて、


「福はー内―」


 豆が音を立てて散らばる。掃除大変だろうなあ。

 次行くよーとおじさんが歩き出したので付いていく。

 ああ、完全に突っ込むタイミング逃した。

 ぼくは津山さんの大きな背中を眺めながら心の中で訊いた。

 これでいいのか津山さん。







 豆まきを一通り終えて、ぼくらはいつもの居間のこたつに入り込んだ。

 どこからか戻ってきたぶち猫のつーくんは、津山さんにすり寄っている。

 人数分の湯のみにつばさがお茶を注いでいく。

 おじさんが青い湯のみを、津山さんは縦縞の湯のみを、迷わずに取った。ぼくは一瞬躊躇ってから肉球が描かれた湯のみを手にする。つばさはおじさんと色違いの赤い湯のみだ。


「これで何度目だっけ」


 おじさんは緑茶を啜った。

 津山さんは猫を撫でながら力無く笑う。


「覚えてない」


「まあ元気出して」


 ぽんぽんとおじさんは津山さんの背中を叩いた。

 なんの話だろう。

 無意識に首を傾げていたのか、ぼくの様子をみたおじさんは「あ」と声を上げた。


「つーくん二号は津山と会うの初めてだよねえ」


 首を縦に振る。


「津山は俺の友達だよー。奥さんがちょっと怖くってね、よくうちに避難しに来るんだ」


「よろしく」


 津山さんは爽やかに笑った。この爽やかさをおじさんに分けてあげて欲しい。

 ぼくはどうも、とだけ答えて気まずさを紛らわすように湯のみを傾けた。

 隣に座るつばさがちょっと苦笑する。


「津山さんええ人やで」


「……うん」


 そうなんだろうな、きっと。

 おじさんはあまった豆を一つつまんで口に放り込む。


「それで、今日はどうしたの?」


 豆で口をもごもごさせたままおじさんが訊くと、津山さんは猫を撫でる手を止めた。猫は津山さんの手を舐めて催促している。


「今日休みだったんだけど仕事入って……」


「あ、なんか約束してたの?」


「たまには一緒に出掛けようって」


「なるほど。それで怒られたのかあ。――でもそれならなおさら早く帰らなくていいの?」


 確かに、おじさんの言い分は正しい。まだ夕方だし、怒れる奥さんの所に早く行ってあげるべきなんじゃないのかなあ。


 津山さんは深々とため息を吐いた。


「それが……仕事入ったって言ったら「じゃあ一人で出掛けてくるから!」って言って家を飛び出して、電話も繋がらなく……」


「はあ……流石だねえ奥さん」


 感心したとばかりにおじさんが呟く。大人ってよく分からない。津山さんの奥さんは大人の癖にそんな小さな事で大騒ぎして、津山さんは大人の癖にこんなに狼狽えている。子供みたい。

 津山さんに撫でて貰うのを諦めたのか、猫がぼくの方に来たので撫でてあげる。猫が仕方ない、みたいな表情なのがなんか癪だ。


「ああ! そうだ、恵方巻き買ってきた」


「おーありがとー」


 津山さんが紙袋の中からパック詰めされた太巻きを三本取り出すと、おじさんが手を叩いた。つばさもぱちぱちと拍手する。


「三本だから、おじさん二人は仲良くはんぶんこしよう」


 津山さんは眼鏡を押さえた。おじさんは「俺たち仲良しだからねえ」と笑った。

 太巻きは小さめで、津山さんなりの配慮なのだろうかとぼくは勝手に思った。

 三本というのも、ぼくがいるのを知らなかったからの数字だろうな。じゃあ、ぼくが食べないべきじゃないかなあ?


「……ぼく、夕飯でも食べるだろうからいいや」


 辞退すると、ぼく以外の三人はおんなじ顔で目を瞬かせた。そんなに変なこと言ったかなあ。

 ああそっか、この家では「はんぶんこ」が基本なんだった。


「じゃあつーくん二号、私とはんぶんこしよ」


 つばさが言う。ぼくはなんとなくつばさに弱いので、何も言えずに頷いた。


 かくして全員が恵方巻きを手に持った。方角は、おじさんの「こっちに夕日があるからこの辺!」を信じることになった。


 津山さんが咳払いをした。


「諸君、私が無事に妻と仲直りできますようにと願うこと!」


 返事をしたのはつばさだけだった。


 無言で太巻きを囓る。変な行事だと思う。こんな事で願いが叶ったらびっくりだ。

 ぼくの願い事は……秘密にしておくけど。


 全員が食べ終えた瞬間、電話が鳴った。飛び上がったのは津山さんで、彼の携帯電話の音らしい。だけど電話には出ずに、あたふたしている。


 嫌な予感がしたのか、ネコがどこかに逃げ出した。


 チャイムが鳴って、留守番電話サービスに繋がった津山さんのケータイと玄関の向こうからほぼ同時に女の人の声がした。


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