夕立に咲く
短編二度目です。
思いつきと、作者の経験と、聞いた話を練り合わせたらこんなものができました。
恋愛ものは苦手でございます。
「困ったなぁ……」
公衆電話のボックスの中で雨宿りしている高校生がいた。
濡れた黒髪を掻き上げたその生徒は少年で、名前は早瀬川 貴史という。
ガラス越しに見える学校帰りの風景は、突然の夕立に降られている。ボックスの扉を叩く雨音は激しい。
この雨は貴史が学校を出た瞬間を見計らったように降ってきて、現在進行形で激しくなりつつある。
始めは小雨だったから、少しぐらい濡れてもいいやと思った彼は気にせず歩いていた。だが、しばらくすると小雨は土砂降りへと変わってしまった。
雨足がひどくなった頃、貴史は自宅からも学校からも結構離れたところにおり、いつも鞄に入れているはずの折り畳み傘は、皮肉なことに昨日別の鞄に移してしまったのでなかった。
この雨の中を走って帰ってもいいのだが、明日にはきっと風邪をひくことになるだろう。更に言うと鞄の中の勉強道具は使い物にならなくなりそうだ。
そんなわけで、雨宿りの最中という今に至る。
貴史はもう一度、同じフレーズを口にして溜息を吐きだした。
灰色の空を見上げるが、雨がやむ気配は全くない。
明日のテストの勉強しないといけないのに……。
貴史が通う高校は明日から期末試験が始まる。実を言うと、中間試験の結果で彼は不足点を出しており、今回の期末で埋め合わせをしなければ面倒くさいことになってしまうのだ。
そんな理由があるので、できれば早く家に帰りたいのだが、当分無理な話になりそうだ。
……どうしようかな、本当に。
もう一度溜息を吐き、貴史は鞄のチャックを開けた。数十分ずっと立ったまま待ち続けるのは暇だからと、音楽でも聞こうと思ったのだ。
そこでふと貴史が外を見ると、藍色の傘をさした女性が電話ボックスの前を通りかかろうとしていた。
白いレース模様がプリントされた藍色の傘がくるくると回る。その足は雨に濡れているというのに、彼女はどこか楽しげな足取りで歩いている。
彼女が着ているのは、県内では結構有名な一貫校の制服だった。ネクタイの色からして高校生だろうか。
いいな……、傘。
貴史は恨めしげに彼女を見て、視線を鞄の中に戻した。
と、そこで金属が軋むギィッという音が聞こえてきた。
続いて、
「……どうしたの? こんなところで」
そう言う柔らかい声が、貴史の耳に届いた。
驚いて前を見ると、そこには藍色の傘をさした先程の女子高校生――見知った顔が、微笑んで開いたガラス戸を支えていた。
「……ふぅん、それは大変だねぇ。ちゃんと折り畳み傘持ってないと辛いよ」
何故か公衆電話ボックスの中に入ってきた少女――貴史の小学生時代のクラスメイトである田口 郁穂がそう言った。
こちらの愚痴を聞いてくれるのはいいが、本来一人しか入れないスペースに二人も居るわけで大変狭い。というか女の子と二人きりで密室にいるというのは、年ごろの男子には結構堪えるというか……。
「たまたまなんだんだよ」
苦笑と溜息を混ぜた声で、貴史は応えた。
彼女とは実に4年ぶりの会話だ。中学生のときはよく通学路ですれ違ったものの、お互いの過去が気まずいもので目を合わせずにいた。
「うん、でもたまたまは痛いよねぇ」
郁穂はケラケラと笑う。
そんな彼女の横顔を見ながら、貴史は内心で感心していた。小学生のときの彼女はもっと暗かったし、もっときつい言葉づかいをする少女だった。性格は相も変わらず悪いのだろうけれど、それでも喋る声は柔らかく、放つオーラは明るい。
「……あのさ、俺これでも後悔してるんだけど」
「知ってるよ。知ってて言ってるに決まってるじゃないか」
……やはり、彼女の性格は悪い。性根が悪いと言うのだろうか。
貴史はさらに溜息を吐き、郁穂はそんな彼を笑う。
それで会話は数秒途切れ、貴史は気まずい沈黙にうつむいた。視界に郁穂の持つ傘から垂れた滴が濡らすコンクリートの床が映る。
胸がざわつく。……なんだろう?
「………うんっと、じゃあ一緒に傘入る?」
「え?」
「あぁ、そっか、女の子柄じゃ嫌だよねー」
いや、そうじゃなくて。
一緒に、傘に入る?
「あー……、田口?」
「分かった分かった、相合傘見られるのは嫌なんでしょ、私もあまりよくないかな」
だから、そうじゃなくて。相合傘が嫌なわけではないし――?
貴史がそう言う間もなく、郁穂は折り畳み傘を突き付けてきた。
差し出された方の傘は変わらず藍色だが、柄はなさそうで、成程、レース模様のある物より男子である貴史には使いやすいだろ――、ではなくて。
貴史は首を振って無駄な思考を追い払った。
「それ、貸すから今度私の家まで返しに来てね」
それだけを言って、郁穂はボックスから出ようとした。慌てて貴史は彼女の名を呼ぶ。
「何」
「いやいや、悪いし。それに俺、お前の家なんか知らないぞ」
「ホワイトデーに私の家来たじゃない」
『ホワイトデー』という単語が、両者の心を抉る。貴史は一瞬言葉に詰まり、間を空けて、そんなことあったっけな、という言葉を何とかひねり出した。
「それだけじゃないよ、私が休んだ時もノート届けてくれた、はず」
郁穂は何ともないと言った表情でそう言うが、その言葉はきっと誰の心よりも彼女自身を傷つけているはずだ。
4年前、貴史は郁穂に告白され、彼女を振った。そしてその日の内に貴史は彼女の親友と付き合うことになり、一年間ずっと郁穂の前で仲睦ましさを見せつけることとなった――。彼らがまだ、小学生だったときのことだ。
両者ともそれを未だに引きずっていて、それを気まずく思っている。
だから貴史としては、そのころを彷彿させるような発言はあまりしてほしくないのだが……。
「…………じゃあ、そうだね、私が早瀬川の家までついてく。あんたが家に着いたら、その傘私に返してね」
有無を言わせないと暗に伝えてくる低い声に、貴史は黙って頷いた。
貸してもらった傘をさして、貴史は雨の中を歩く。
数歩離れた距離で、後ろから郁穂がついてくる。妙に神妙な気分になっている貴史とは違って、彼女は気楽そうに鼻歌まで歌っていた。
そう言えば昔から変な奴だったな、と貴史は苦笑をもらした。
そろそろ家に着く。立ち並ぶ茶色や灰色が多い家の中で、長谷川家の白い壁はよく目立つ。
「おー……ここに来るの久しぶりだなぁ」
後ろで郁穂がそう呟いたのが聞こえた。
貴史は扉の鍵を開けて中に入る。一方の郁穂は敷居の向こう側、雨が降りしきる外に立って彼と向かい合う。
借りた傘を畳み、貴史はそれを彼女に返そうと手を差し出す。だが途中で躊躇して、郁穂が取る前に腕を下した。
「……なぁ、ちょっと上がっていかないか」
郁穂は一瞬きょとんとした表情をして、すぐに苦笑いをこぼした。
「テスト勉強はどこ行った」
「いや……試験簡単だし……」
何故だろう、胸のざわつきはやまない。
「それに、結構久しぶりじゃないか、俺とお前が会うの」
今ここで別れたら、もう会えない気がして――。
郁穂は困った表情をして、視線を貴史からずらす。と、そのずらした先にあった何かを見て、はにかんでいて、且つ苦々しげに笑った。
「……あれ、まだ持ってたんだね」
あれ?
何のことだろうと思って、彼女の視線を追うと、そこにはパッチワークの壁飾りが吊り下がっていた。
4年前のバレンタインデーに郁穂から貰ったもの。
チョコレートと一緒に袋に入って、朝起きたら玄関に置かれていたもの。
はっきり言ってあのときの手作りチョコレートは貴史の口にはあわなかったが、後から聞いた話、郁穂は貴史のために人生初のチョコレート作りに挑戦したのだとか。
そう思うとなんだか彼女が可愛く思える。
「あぁ、……何か捨てられなくてね」
「え、やめて。やめようよ。さっさと捨てちゃって、下手なんだから」
苦笑いはそのままで、郁穂は言う。
「嫌だよ、気に入ってるんだからさ」
貴史は無意識の内にそう口に出していた。目の前の少女の顔に驚愕の色が浮かぶ。
郁穂はしばらく黙った後、また別の雰囲気を出す苦笑を浮かべた。
「……そうだね、ちょっと上がらしてもらおうか。積もる話もあることだし、ね」
貴史は微笑み、郁穂は少し仏頂面になった表情で傘を畳んだ――。




