第22話 ~皇都からの特使~
後に語られるブランエッツァーの戦いは、こうして一つの決着を見た。
双方の特異な戦力が消えた段階での戦力はフェルン1万2千に対しナスルロン1万。
その後の被害は、フェルン側2000に対しナスルロン側5000ほどと記録されている。
これは負傷者と死者の合計数であり、死者のみで言うならば、フェルン500に対してナスルロン側3000を数えていた。
一時期拮抗していた両軍であるが、死兵と化した際の無謀な突撃と、ナスルロン側陣地ほぼ中央で起きたホッゴネル伯爵異形化の暴虐の影響が大きかったとされている。
全てが終わった時、ナスルロン側の無事な残兵は開戦当初に不利を悟り撤退を選んだ諸侯や傭兵たちに集中しており、最後まで抵抗したホッゴネル伯爵直属の兵達は壊滅と言ってよいほどの被害を出していた。
「これも戦の習いとはいえ、やり切れぬな」
簡単にまとめられた被害報告を見ながら、砦へと戻ったフェルン侯爵がつぶやく。
彼は異形と化したホッゴネル伯爵の無力化を確認すると、既に戦後処理に取り掛かっていたのだ。
本来、同国内の貴族間の紛争と言うモノは、身代金を目当てとして捕虜を取ることを最優先する。
言い方は悪いが、死者よりも捕虜の方が実入りが良いという純然たる事実があるのである。
騎士や訓練した兵が貴重なのは言うまでもなく、従軍している兵も領民であれば庇護する必要があり、捕虜となれば多少なりとも身代金を支払うのは当然のことと考えられていた。
しかし、今回の会戦は事情が違う。
ナスルロン連合軍の中核であるホッゴネル伯爵の直属の兵は壊滅的状況であり、また家臣である上位騎士たちは、伯爵の異形化とその直後の暴虐にて原型を留めて居る者の方が珍しいほどだ。
無論身代金などと言う状況ではない。
一時期強制的に死兵とされていた兵も、限界を超えていたためかほとんどが力の流入がなくなった時点で萎びたように命を落としている。
国内での領地間の争いにおいて、ここまで凄惨な結果は他に類を見ないだろう。
通常の領地間紛争での勝利であれば、勝者側は浮かれた空気になるものだがそんな雰囲気ではない。
むしろ、戦場の後始末に駆り出された兵たちが目撃するナスルロン側の災禍に。重苦しい空気さえ流れていた。
そんな戦場を忙しく駆け回る集団があった。
傭兵と言う名目で参加していた一団だが、戦時中は予備兵力として待機し出番がなかった者たちだ。
しかし戦闘が終わると同時に積極的に駆けだすと、負傷者の治療に当たっている。
その手当の腕は確かであり、瀕死の兵すら何人も救っていたのだ。
「見慣れぬ集団だが、あれは?」
「治癒の技に秀でるという触れ込みの傭兵で御座るな」
戦後処理の指揮をする騎士団長と将軍もまたその姿を確認していた。
訝し気な騎士団長に対し、将軍ゼルグスが訳知り顔で解説する。
ゼルグスが知るのも道理だ。その集団は、ホーリィを始めとする彼女配下の大地母神の神殿の神官達なのである。
ガーゼルの一角に拠点を築いた夜光達の同盟は、多種多様な方策でこの世界の情報を得るための網を広げようとしていた。
ゼルグスに扮する上位鏡魔もその網の一つであるため、このような根回しじみた行いも行っているのであった。
他にも、比較的無事かつ投降してきたナスルロン諸侯の兵への対処を話し合う騎士団長と将軍。
そこへ、伝令が駆け込んでくる。
「将軍、団長! 皇都より特使殿が見えられました!」
「そうか、まずは砦に御通しせよ。この惨状のまま戦場の見分をされるのは聊か厄介なことになりかねぬ」
「シュラート様にもお伝えせよ。急ぐで御座る」
はっと一礼し駆けだす伝令を見送り、ラウガンドとゼルグスは眉根を寄せる。
「元は頭の固いホッゴネルを交渉の場に強制的に立たせるための特使の要請であったが…裏目に出るやもしれぬ」
「あの異形と化した伯爵を目の当たりにせねば、理解は出来ぬで御座ろうな。そしてこの無数の死者を出した責をフェルンに見るやもしれぬで御座るな」
「……ホッゴネル伯の衰弱した有様も誤解を招きかねぬ。厄介なことになったものだ」
ラウガンドの言うとおり、ホッゴネル伯爵はマジックアイテムであろう指輪を失った後、衰弱したままだ。
先の治癒集団や、ナスルロン側の異能の持ち主であるライリーと言うものが貴重な薬品を駆使したため命こそ問題ないが、ひどく痩せ衰え以前とは似ても似つかない。
特使は恐らく中央でも各貴族家に詳しい者が派遣されるのが常であるため、変わり果てたホッゴネル伯を見ればどのような反応を起こすのか、予断を許さない状況だ。
その判断はいかなるものになるか…騎士団長と将軍は、領主と特使の会見が行われるブランエッツァー砦を同時に見やった。
「皇王陛下名代、ランゴルヌスである。皇王陛下のお言葉である。フェルン侯爵、拝領せよ」
「謹んで、お受けいたします」
戦地とは言え、直接の戦闘が行われなかったブランエッツァー砦は、皇都からの特使を迎えて緊張に包まれていた。
特使は、ガイゼルリッツ皇国の皇王の名代だ。
その言葉はまさしく皇王その人の言葉に等しい。
国内諸侯で今最も力があると言われるフェルン侯爵であろうとも、上に仰がねばならない存在だった。
更に言うなら、このランゴルヌスはれっきとした子爵であり、現皇王の遠縁にして学友という、まごう事無き皇王の側近の一人であった。
「フェルン、ナスルロン双方は即刻兵を引き、停戦せよ。皇国御前会議にて双方の意を示し、余の沙汰を受け入れるべし。陛下は斯様に仰せだ」
「陛下のお言葉、このシュラート謹んで、お受けいたします」
「うむ……とはいえ、既に終わっているとはな。流石はフェルンの暁星よ」
皇王の言葉を伝え終わった為か、幾分空気を緩ませる特使ランゴルヌス。
だが、その言葉にシュラートは首を横に振る。
「この身は何もして居りませぬ。むしろ、ホッゴネル伯爵が自傷したも同然かと」
「詳細は聞き及ばぬが、何か尋常ならぬ事態が起きたとは聞いて居る。だが、尋常ならざる事態において確かな働きをする者を差配する才こそ、上に立つ者の器量と言うモノよ」
特使はそう言うが、シュラートを見る目は鋭い。
そも、フェルン侯爵は数多の諸侯で今最も力を持つと言われる身だ。
中央の貴族たちから見ても、領地の豊かさは目を見張るものがあり、当然やっかみも多い。
今回のホッゴネル伯爵の件にしても、そのやっかみの一つが表面化しただけとも言えるのだ。
「気を付けられよ。陛下は貴公を買っておられるが、宮廷法衣共はそうとは言えぬ」
「……動きがありましょうか?」
「既に此度の御前会議の動きこそその一旦と思うが良い」
「そのような…」
「今後の他国への遠征時に貴公の力は不可欠であると陛下は申された。故に、心なされよ。愚かなものほど要らぬ真似をすると」
「…陛下に心よりの感謝を」
現皇王が、特使として自身の側近を使ってまで忠告をしている。
その事実にシュラートは深く腰を折る。
それは皇王のフェルン侯爵への期待の表れであると同時に、皇王その人ですら御前会議開催の流れを止められなかったという事実への詫びにもシュラートは思えた。
「とはいえ、御前会議が開かれるのは陛下の遠征よりの帰還の後となろう。今しばらくは時はある。動き様は在ろうな」
「陛下は確か今…」
「うむ、もう間もなく交易都市タサジミアを攻められるため、出立なさる頃合いであるな」
それは、本来ナスルロン連合の侵攻と言う事態が起きなければ、フェルン領軍も参加したはずの親征であった。
本来のシュラートの意図では、新将軍のゼルグスや竜騎士アルベルトといった新たな戦力の発揮の場は、そちらになるはずだったのである。
「貴公の参陣がこのような紛争で叶わぬことになろうとは……皇王陛下もホッゴネル伯の為し様を良いようには申されておらぬ」
「もったいないお言葉」
「ホッゴネルも愚かなことだ。話によると面白き異能を飼ったとあったが、その力を振るうならば、このような紛争ではなく他国に行えばいいモノを…」
ランゴルヌスは顔をしかめるが、これも皇王の心情の代弁なのだろう。
シュラートには、皇王の白皙の横顔が忌々し気に歪む様が見えるかのようであった。
そんなフェルン候の様子を知ってか知らずか、特使は改まったように最後に告げる。
「ゆえに、このような些事は早く片付けよ。との陛下の言である」
「そのお心に沿えるよう力を尽くします、と陛下にお伝えください」
フェルン候シュラートは、目の前に皇王その人がいるかのように、恭しく跪いた。
「御前会議かぁ……皇都、ねえ」
姿を隠してフェルン侯爵と特使の会話全てを聞き取った聖なる幽霊から、僕は会話の一部始終の報告を受けていた。
正直なところ、中々に気になる話だ。
この近辺の領地の紛争は今回ひとまず終わったけれど、今後皇国の中央から色々と横槍が入りそうだったからだ。
今回僕達は同じプレイヤーであるアルベルトさんやライリーさんを同盟のメンバーと加えることができた。
同時にこの国でも一番力を持った諸侯と言われるフェルン侯爵の元に情報の起点を作ることができたのだ。
これで、当面情報を密に確保できる土台ができて、今後何が起きるにしても色々対応可能になると考えていたのだ。
もっともそのためには、付近の領土には出来るだけ安定してもらう方が望ましい。
中央からの横槍が、まかり間違って新たな紛争を呼ぶことがないことを祈りたいものだ。
そして……
「ゼル、まだ見つからない?」
「申し訳ござりませぬ、お屋形様。我が身を移した上位鏡魔らを通じて探させておりますが、未だホッゴネルとやらが身に付けていた指輪は見つからず…」
そう、ここにきて滅びの獣と思われる何かが現れたのだ。
なんでも、ホッゴネル伯爵はその指輪に向けて、羨望と呼び掛けていたという。
「羨望…羨望、妬み屋といわれたホッゴネル伯爵の持ち物、か」
ライリーさんが言うには、それは伯爵家の家宝のようなものだったらしい。
今回の侵攻で、戦況が怪しくなった段階で力を発揮し、澱み濁った赤い光で兵の強化や伯爵本人を異形化させたと聞いている。
更には、相手の力が己よりも強いほど力を得るという特性は、かつて戦った<大地喰らい>を思い起こさせる。
あの銀の化け物が際限のない食欲により力を得たように、自分より優れた相手を羨む心がその羨望に力を与えていたのだとしたら、その指輪は滅びの獣の一つに合致するように思える。
「如何したモノかなぁ…」
見つからない指輪。中央の貴族の動向。また新たに見えた問題に、僕は今後の方針も含めて悩むのだった。