第21話 ~ブランエッツァーの戦い 終局~
それは赤黒色の暴風の様だった。
騎兵さえ一振りでまとめて薙ぎ払う暴威が、単に振り回した腕の結果とはまさに悪夢と言うべきであろう。
肥大化した身体は門の中の異能者が呼び出した巨人の如く、同時にその歪さは似ても似つかない。
小山のような肉塊から、大木のような二本の触手が伸びているかのようで、それが腕であると認識するのは、途中の変化を見ていなければ信じられないほどだ。
無造作に振るわれ続ける大木の如き肉の鞭は、その長さを数百mにまで伸ばし、その振るわれる範疇内を無慈悲に薙ぎ払う。
最早、フェルンもナスルロンも無く、等しくその破壊の渦に巻き込んでゆく。
「ぐぅっ!? 何だコレは!? これも『門』の中の何かが生み出したモノであるか!?」
その恐るべき肉塊の鞭を、弾き飛ばした者が居る。ラウガンドだ。
その振り回された腕は、執拗にフェルン正騎士団長のラウガンドを狙っていた。
それ以外の被害が、実は余波であるとはだれが信じられるだろう?
打ち振るわれる肉塊は、しかしラウガンドの卓越した技量に弾かれる。
フェルン侯爵に献上され、ラウガンドに与えられた秘薬は、その身体能力を飛躍的に高めた。
しかしその技量を高めたのはラウガンド自身の鍛錬によるものだ。
出なければ、視認すら困難な速度で振るわれる肉の鞭を防ぐなどできなかったであろう。
しかし、一つの問題があった。
「やはり、次第に力が増しているかっ!?」
ホッゴネル伯爵の異形化は、ラウガンドを狙うたびに飛躍的に増大していた。
受けられ、弾かれるたびに肉の鞭は大きく太く、それを振るう小山の如き本体も肥大化を続けてゆく。
このままでは、何時かはラウガンドも防ぎきれなくなり、打ち倒されるだろう。
そして、この化け物はその獲物を主君フェルン侯爵へと変える。
「それだけは、この身に代えても防がねばならぬ!」
しかし、どうすればよいのか?
防ごうにも、最早余裕は無い。
肉の鞭を受けるたびに返す剣で切り付けているのだが、すぐさま肉が盛り上がる有様だ。
光明が見出せぬままのラウガンド。
そこへ更なる異変が起きた。
空が割れた。同時に、陽光の中では気付きにくかった、広範囲を覆っていた半球の膜が燐光と共に消える。
そして上空から三条の炎が今まさにラウガンドを打ちすえんとした肉の腕を焼いたのだ。
更に輝く投槍が次々と小山のような肉塊に突き刺さる。
声にならぬ悲鳴を上げたホッゴネル伯爵であったモノ。
そして救い主たる者達が上空より舞い降りてきた。
「ラウガンド団長! 無事か!? 間に合えたか!?」
「うへぇ、何だよアレ。グロ過ぎんだろ…」
三つ首の竜の背に乗るアルベルトと、彼方此方を歪ませ、竜に捕まれた魔像に乗るライリーだ。
戦場の兵達から見て、その様子は竜の側の勝利を思わせる光景であった。
「竜騎士殿か。かたじけない。そして…どうやら勝たれたようだな」
「ああ、何とか抑えられたぜ…まぁこの人も同郷人だし、ホッゴネルって奴に脅されてたみたいだからな。降参してくれた結果こうなったよ」
「……まぁ、間違ってはいないなぁ」
微妙に主語や細かな説明が抜け落ちたアルベルトの言葉だが、そこを深く追求するものは此処にはいない。
問題にすべきモノは別にある。
ナスルロン連合の兵は、強制的に注入されていた力を失ったため、既にほとんどが反動により倒れ伏している。
最早脅威はホッゴネル伯爵だったモノだけなのだが、その唯一が余りにも脅威過ぎた。
「多分、アレはホッゴネル伯爵が後生大事に抱えてた指輪の力だな。どれどれ…」
「早くしてくれよ。俺の相棒だって疲れてるんだ。ブレスでも何時まで抑えきれるか判らないからな!」
「急かすなっての。ああ、なるほど、そういう絡繰りか」
既に降ったライリーが、その高い解析力を秘めた片眼鏡のマジックアイテムで、ホッゴネル伯爵であったモノを見る。
肉塊が行動するごとに変動する数値を見て取り、その力の正体を見極めようとしたのだ。
そしてそれは成功する。ある行動の瞬間に増大する力と、とある行動にて力が減少する様子をとらえたのだ。
「おい、引くぞ。俺達が戦うのはアウトだ。あいつ、自分より強かったり優秀な奴と戦うと力が増してやがる」
「マジかよ!?」
「基準は元のホッゴネル伯爵基準でって所だな。そこにいるラウガンドだったか? そっちも力が強すぎるのが、かえってあいつに力をくれてやってたんだな。雑魚が群れて取り押さえてたら、あそこまでのデカブツにならなかっただろうさ」
ライリーの指摘に、思わず声が上がるアルベルト。
ホッゴネル伯爵はこの世界の人間としても『弱い』部類の存在だった。位階換算で言えば下級の30前後の能力しか持ち合わせていない。
しかし彼ら、そして騎士団長のラウガンドは、位階という基準において、伝説級という人の辿り着き得る到達点に居る。
その力の差が、延々とホッゴネル伯爵へ力を与える結果となっていたのだ。
「攻撃したりされる度に、相手が強ければ力を増す厄介な能力って訳だな。こいつと話に聞いた<大地喰らい>がぶつかり合ったら、際限なく酷いことになってたんだろうが…」
「それは今はどうでもいいっての! で、あいつをどうしたら倒せるんだ!? 今はヴァレアスのブレスで押さえてるけど、そろそろきついぞ!?」
そう、現状では三つ首の竜王が終始強力なブレスを浴びせてホッゴネル伯爵であったものを押さえている。
しかしその肉体は攻撃を受けるたびに再生し、膨張を続けていた。
ブレスによる攻撃さえ、あの肉塊は力に変えるのだ。
このままでは彼ら力を極めたプレイヤーですら、歯が立たなくなる存在に成り果ててしまうだろう。
そんな脅威を前に、ライリーは口元を歪める。
「なぁに簡単だ。あいつは自分より強い奴には強いが、逆を言えば自分より弱い奴には弱いのさ。アンタら運が良いな。オレっちが此処に居るんだからよ」
そう言うと、ライリーはとある魔法を唱え始めた。
創造魔術師系称号持ちが成し得る、大規模戦闘用魔法。
魔法が発揮され、最上位称号である<創造者>が生み出したモノに、アルベルトは目を丸くした。
「お、オイ。マジ? 本気か、これ?」
「ああ、コイツがアイツにとっての天敵なのさ」
不敵に笑う創造者の前で、藁束のような人型、藁人形兵が竜王のブレスの余波で頼りなく揺れていた。
注ぎ込まれる力の奔流で意識を朦朧とさせながら、ホッゴネル伯爵であった存在は歓喜に満ちていた。
あれほど渇望した力が、この身に溢れている。
強者である存在を打ち据えるごとに、強者である竜の吐息に焼かれるほどに、その力は際限なくわいてくるようだった。
それに比べれば己の身が異形と化していることなど些細なことだ。
何より、この力さえあれば、あの広大な平地を、念願の平地を手にすることができる。
渇望と羨望の対象だったフェルンの地をこの手にできるのだ。
喜びに包まれるホッゴネル伯爵は気付いていない。
このような異形を認める民などいないことを。
ホッゴネル伯爵は気付いていない。代々伝わるこの指輪が力を発揮するのは、この指輪の持ち主がとるに足らない卑小さと、その身に不釣り合いな望みを抱いた時なのだと。
そして、その存在にも気付かなかったのだ。
(な、なんだ!?)
最早皇都の尖塔にも匹敵する太さの腕が、その存在を纏めて薙ぎ払った瞬間、伯爵は声にならぬ悲鳴を上げた。
溢れんばかりだった力が、ごっそりと抜け落ちていったのだ。
(な、何が…ええい、寄るな!! 何だこやつらは!?)
澱み濁った赤い光に染まる光景の中、小山のようなホッゴネル伯爵であったモノに近寄る群れを。
それらは、まるで藁をより合わせて作り上げた出来損ないの人形であった。
如何にも頼りなく、少しの風でも煽られ揺れる藁人形兵。
それが、十重二十重とホッゴネル伯爵で有ったモノを取り囲んで掴みかかってきていたのだ。
振り払うように、肉塊の鞭を振るえば、容易く弾け、まとめて消滅していく。
しかし、その度にホッゴネル伯爵で有ったモノは力を失っていくのだ。
(何が…何が!?)
混乱から抜け出せないまま、ホッゴネル伯爵であった肉塊の山は、次第にその大きさを減じていった。
「要はさ、あいつは元の自分より弱い奴を攻撃したりすると、逆に力を失うってことだな。藁人形兵は下級:1より弱いんだから、そりゃ力をなくしていくってこった」
数えられないほどの藁人形に集られ、見る間に萎んでいく肉塊の山。
もがくように腕を振るうが、それが余計に力を失わせてゆく。
勿論暴風のような肉の鞭で藁人形たちは数を減じていくが、その数は周囲を埋め尽くさんほどだ。
「<創造者>であるオレっちならまとめて万は作れるからな。幾ら暴れても、まぁ無駄だろうさ」
その言葉の通り、既に小山の様だった肉塊は、精々小屋ほどに縮小し、なおもそれは続いている。
皇都の尖塔ほどだった肉の鞭は、哀れなほどにしおれてしまっていた。
一度に薙ぎ払える範囲もどんどん狭くなっており、また力の源であろう赤く濁った光も急激に弱まっていく。
最早趨勢は明らかであった。
「それにしても、アレは一体何だったのであるか…」
「ホッゴネルとか言うオッサンは、なんか言ってなかったのかい?」
「そいういえば、変貌する直前、こうも言ってもいたか…羨望と」
「へぇ……確かホッゴネル伯爵の家宝の指輪がそんな名前だな。こっちの世界にも恐ろしいモノがあったもんだ」
既に肉塊は無い。
自身より弱い存在に寄って集られたホッゴネル伯爵は、その人としての姿を取り戻し、さらにそれ以上に力を失っていく。
周囲の藁人形兵もかくやと言う瘦せ衰えた姿になり、既に光さえ失った指輪が萎びた指から落ちる。
衰弱から虫の息の伯爵は倒れ伏し、手を伸ばす。
それは手からこぼれた指輪を求めたのか、それとも目の前に広がる肥沃な平地を求めたのか。
それは当人にもわからなかっただろう。
かくして、ホッゴネル伯爵は捕らわれ、ナスルロン連合軍のフェルン地方侵攻は此処に終焉を迎えたのであった。