第20話 ~ブランエッツァーの戦い 急転~
兵力を倍する相手に拮抗する軍とは何か?
指揮、装備、戦術、地形、天候、士気。専門家ならば、幾らでも要素は上げていけるであろう。
では後に語られるブランエッツァーの戦いにおいて、ナスルロン兵が兵力を倍するフェルン兵に拮抗出来たその要因は何か?
指揮ではない。この時点でホッゴネル伯は指揮を放棄している。
装備ではない。前述の通り、装備面ではフェルン領軍が優れている。
戦術ではない。地形でもない。天候でもない。晴天の平地の正面からのぶつかり合いに優劣などない。
常識的な範疇で上げられる理由として、この時のナスルロン側の異常と思われるほどに高い士気こそが、ホッゴネル伯爵軍をしてフェルン侯爵軍と拮抗っさせていたとされる。
事実この時のホッゴネル家直属の兵は、恐るべき士気でフェルン兵に食らいついて行った。
幾ら傷を受けようとも怯まずに前に出て、武器を振るう。
時に武器さえ失っても目の前の兵につかみかかるほど。
手足を断たれても這い寄りながら相手の兵の脚に噛みついた者も居るというから、余りに異常な士気であった。
「なんという悍ましき兵か。これではまるで死兵ではないか」
「死兵と言うにはおかしいで御座るがな。その手の兵を生み出すのは追い詰められたが故。此度は退路もあり、そこまで追い詰められては御座らぬ。アレは死しても恨みを晴らさんとする復讐者の方が近いで御座ろう」
兵の指揮を執るフェルン正騎士団の団長ラウガンドと、新将軍であるゼルグスを演じる上位鏡魔が、馬上より戦況を見極める。
上位鏡魔は、姿を写し取った者の称号に由来するスキルを再現できるため、ゲーゼルグの姿を写し取った個体は、彼の持つ軍指揮称号最上位の<元帥>を活用していた。
その為、率いられた兵達はナスルロン兵の異常な士気を前にしても崩れず、戦線を維持することに成功している。
だが何時までもこの状況を座視する訳にもいかない。
このままではナスルロンの死兵に突き合わされ、あたら兵を削られていくだけだ。
相手が全滅したが此方の兵は半壊などという結果は、許容したくもないのが現実と言うものだ。
ならば如何にすべきか。
「相手が死兵であり、ただ前に向かうというのならば、状況への対応は弱いで御座ろうな。別動隊を以てして迂回し、本陣を叩き降伏を迫るのが妥当で御座ろう。幸い、兵力には余裕があるで御座る」
ナスルロン側の兵は戦線を維持しているが、細かな指揮は取られているようには見えない。ただ前に出るばかりである。
兵力差により半包囲の状況にあるが、先に新将軍がいうように、追い詰め過ぎてはいない。
そも、ホッゴネル伯爵軍以外の諸侯軍が引く体制を見せたため、完全な包囲はせず逃げるに任せていたという面もある。
「ならば、吾輩が別動隊の指揮を取ろう。ホッゴネル伯の顔も知らぬでは無い故に」
「お頼み申す。我は全体の被害を何とか抑えて見せるで御座るよ」
頷き合った騎士団長と将軍。
将軍はすぐさま予備兵と温存した騎士の部隊を呼び寄せる。
騎士団長は愛用の剣を手に、鍛えぬいた正騎士団本隊からえりすぐりの一団を選び、颯爽と走り去った。
その様子を、フェルン侯爵その人であるシュラートは、頼もしげに見つめる。
自身のこれまでは間違っていなかったと。
フェルン侯爵であるシュラート・グラン・エルゴス・フェルンヌスは、自身を幸運な男であると自認していた。
大領であるフェルン地方を治めるフェルンヌス家に生まれ、その才を早くから発揮し、元々豊かであった領地を更に躍進させていた。
貴族としてありがちなお家の騒動や家族との不仲と言った要素もない。
母は旧ガーゼルを治めるガーゼルグ子爵家の一人娘であり、婚姻にて両家は統合されたがこれは元々そう両家が望んだものだった。
さらにさかのぼれば、ガーゼルグ家は古くにフェルン家から分かれた分家の筋に当たっていたのだ。
もともとほぼ一つの家に近いほどの両家の蜜月は、最終的にシュラートの両親の代に熱烈な恋愛結婚という貴族としては珍しい事件とともに、再び統合されるという結果を導いた。
本来貴族家が消滅するというのは、国にとっても縁者にとっても損失なのだが、これには幾つかの事情もあって最終的に了承されたのである。
そうやって両親にも恵まれたシュラートは、不思議と他者の能力を漠然と把握する異能があった。
高い能力を持つ者を直感的に理解するとでもいうのだろうか?
現騎士団長や文官の長らもその頃発見した人材であった。
またそう言った能力の高い者から、不思議と好感を得やすいという実感もあった。
ともあれ、その能力にて隠れた人材の発掘やその者たちを的確に要職へ配置することで、フェルン領を更なる発展に導いたのである。
そこへ門の発生が更なる後押しする。
領内で見つかった多くの扉の中の物品はフェルン領を更なる躍進に導き、今や皇国貴族の諸家の中でも筆頭の勢力だと言われている。
更にはアルベルトともう一人の門の中の住人という異能者と、在野に居たゼルグスと言う将まで得ている。
フェルンの更なる躍進は約束されたようなものだ。
このナスルロン諸侯の侵攻に関しても、アルベルトのような異能者の真の実力を推し量る良い機会であり、この決着と共にフェルンの新たな一歩が踏み出される、シュラートはそう信じていた。
実際戦況は順調だ。
懸念されていた鎧の兵と鎧の巨人はアルベルトの力によりすべて消え去り、軍は多少の抵抗を受けながらも進軍を続けている。
まもなく、別動隊がホッゴネル伯爵を押さえるだろう。
シュラートはその時をじっと待った。中央からの特使とホッゴネルの降伏、どちらが早いのかなどと思いながら。
「伯爵! 別動隊です! 平地這いどもの別働隊がこちらに!!」
僅かに正気を保った部下の悲鳴じみた報告を受けたホッゴネル伯爵は、憎悪の目でフェルン軍を見ていた。
部下の声など、とうに聞こえてはいなかった。
ただ、手の中の指輪の澱んだ赤い光だけが強さを増していた。
ホッゴネル伯爵である、ネルビルス・トリアス・ジュライス・ホッゴネルヌスは、己が足らぬ者だという事実を認めようとはしなかった。
先祖から受け継いだ領地は山間部にあり、鉱山資源は豊かであったが、それもいつまで続くかわからぬ有様であった。
鉱山とは、鉱脈とは枯れるモノなのだ。
事実、幾つかの鉱山は最早枯れはて、無理に伸ばした坑道は何度も深刻な事故を引き起こした。
ナスルロン地方全体に言える事だが、中心を南北に流れるエッツァー支流の両岸は、山がちで平地が少ない。
領土を安定して発展させるのには農業が、そして平地が不可欠である。
山間部の限られた地を耕すか、斜面に果樹などを植えるなどの方策は取れるが、それにも限度があった。
故に、豊かな平地を擁するフェルン地方を、先祖代々喉が出るほど求めたのだ。
そして今代のネルビルスは、更にその身を焦燥と嫉妬で焼いていた。
今代のフェルンの主、シュラートは社交界においても輝く同世代の星のような男だった。
領地は富み、才覚に溢れ、部下にも恵まれている。
因縁のある領地の当代の領主の満たされた様子に、ありとあらゆる要素で上に行かれたネルビルスは、妬み屋と言われても仕方ないほどにシュラートを憎悪したのである。
さらに昨今の門の出現は、それに拍車をかけた。
手の者に調べさせた情報でも、かの領地にも無数の門が生まれていと確認できた。
対して、ナスルロン諸侯の領地全般として門は出現数が少なかったのだ。
あえて言うなら、先だって事件があったゴゴメラ子爵家は例外ではあった。
珍しくも門が出現し、伝え聞く限りではかなり有用な物品が眠っていたとされる。
だがその門は諸事情によりホッゴネル伯爵家でも手出しできない状況に在った。
しかし、そんな状況を変えたのが、つい最近ホッゴネル伯爵家の領地に出現した門だ。
そこは門の中でも特に有用だったのだ。何しろ、異能者であるライリーなる者が存在していたのだから。
その異能を把握し、ネルビルスは確信した。
フェルンにも門は出現しているようだが、この力さえあれば自分の代であの地方を切り取れるのだと。
そして切り札として、ホッゴネル家に代々伝わる指輪を持ち出したのである。
ホッゴネル家に、何時の頃からか伝わる奇妙な指輪があった。
その指輪は持ち主に不可思議な、そして強力な力をもたらすとされ、事実フェルンの平地這い共に勝利を収めた代の当主は、この指輪から力を引き出していたとされた。
ただし、その反動で一度力を引き出すと持ち主の平静さは失われ、また数世代はその真価を発揮できなくなるとされていた。
ネルビルスも、実際にその力を感じ取るまでは半信半疑ではあった。
しかしあの夜襲のあと、ままならぬ進軍を突き付けられフェルン侯爵へ改めて怨念と内心の羨望を抱いた時、指輪が目覚めたのである。
「羨望よ…羨望よ…まだ足りぬぞ…フェルンの平地這いを、あの物知らずのシュラートを掣肘するにはまだ足らぬ! もっとだ…! 更なる力を!!」
それは祈るようなしぐさに見えて、呪っていた。
己の意のままにならぬ領地、民、兵、そして何より怨敵、全てを憎み、同時に妬んでいた。
その呪いが指輪を通じて力となり、兵をその想念に染め上げ、死兵へと変えていたのだ。
澱み濁った赤い光こそ、その力の奔流。
しかし同時にそれは異常の元を他者に知らせる標にもなり得た。
「ホッゴネル伯爵ネルビルスとお見受けする! 降伏なされよ!」
精強なるフェルン正騎士団の主力を含む別動隊が、遂にナスルロン連合の本陣に至ったのである。
門の中の、特に強力な装備と幾度も行われた外征で鍛え上げられた騎士が、赤い光に強化された守備の兵さえ切り裂き伯爵の元へと至ったのである。
隊の先頭を切り、伯爵へ降伏を勧告するのはフェルン正騎士団長ラウガンド。
門の中の物品、それも希少な秘薬にて力を得た彼相手では、ホッゴネルの最精鋭である本陣守備隊でさえ相手ではなかったのだ。
「……降伏? 平地這い共はやはり愚かだ。なぜ降伏などせねばならぬ?」
「既に勝敗は決して居りましょう。兵とて伯爵の民でありましょう。これ以上あたら減らすべきではありますまい」
「下らん! 何故この吾が負けたと言える! 吾は健在なるぞ! 貴様ら平地這い共に負けるはずもない!!」
「…そのご様子、既に正気を失われておられるか!?」
別動隊に取り囲まれても怯む様子さえないホッゴネル伯爵に、ラウガンドは驚いた。
少なくとも、状況は決している。
これで敗北で無くてなんというのだ?
「判らぬ奴よなぁっ!!」
「ぬぅっ!?」
その時異常が起きる。
今までラウガンドに眼さえ向けずうつむいていたホッゴネル伯爵が、急に振り返ると大きく腕を振るったのだ。
とっさに愛剣で受けるラウガンド。
しかし他の別動隊の者たちは、耐えきれず、弾かれたように吹き飛ばされたのだ。
「そ、その姿はいったい!?」
「あぁ? 知らぬ。知らぬが力が沸いてくるなぁ! ……そうか、羨望。これがお前の真の力か!!」
驚きに目を見張るラウガンド。
既にホッゴネル伯爵はその姿を大きく変えていた。
振るった腕は一瞬で丸太の如く大きく太く長く、さらにその変化は腕だけではなく胴を、足へとつづいてゆく。
「わかるぞ……吾の力! あらゆる者の上を行く力をなぁ!!」
太く膨張した腕の指に輝く濁り澱んだ赤い光。先ほどまで数多の兵に注がれていた光は、今伯爵ただ一人に注がれていた。
そして、弾ける。
その様子を、多くの兵が見た。
フェルンの兵も、力の流入が切れ、正気に戻ったナスルロンの兵も、遠く状況を見据えていたフェルン候も、そして……
「やっくん! 聞こえる!? 大変なの!!」
戦場の異常を知らせるために夜光とは別行動をとったホーリィも。
その姿を見た。
小山のように膨れ上がった異形の赤い鬼が、戦場に降り立ったのだ。