章間 第3話 ~竜王と魔王と蜥蜴の話~
この話の時系列は、1章8話から15話までの期間に相当します。
それは、傍目から見れば驚異的な光景だった。
遠く地平線の向こうに見える山並みの岩山から切り出された巨大な石材が、巨人の手により積み木のように積み上げられていく。
それの周りにドワーフの職人たちが群がると、見る間に見事な彫刻を施し、ただの石の塊を『建材』へと変えていく。
それを再び巨人が担ぎ、今度はドワーフの職人の指示通りに正確に慎重に配置していく。
造り上げられようとしているのは、何も知らねば規模は小さいが砦のように見えるだろう。
だが、それは砦などではない。
その証拠に、石でくみ上げられていく建物の構造は、まるで牢獄のように内から外へ行くのを多重に阻むかのようになっている。
そして、牢獄でも決してなかった。
仮に牢獄とするなら、もっとも厳重な最奥の部屋の当たる場所、そこには淡い光を宿す魔法陣が存在しているのだ。
この『小世界』と『外の世界』とを繋ぐ『門』の祠。
それがこの地の、この場所の姿だった。
だがその姿は、この世界の主の意思により大きく様変わりしようとしていた。
要らぬ者が不用意にこの『小世界』に立ち入らぬようにする偽装の部屋。それこそが、今この地に立てられている石造りの建物の正体だった。
主の命により、工事に取り掛かって早半日。
夜通し行われた作業の結果、偽りのマイルームの仕上がりは順調だった。
既に転移の門の祠の従来の壁や柱は取り除かれ、土台から作り直されている。
門の魔法陣自体は、『魔法陣』そのものを魔法的な手段で破壊しなければ維持されるため、今は光を減じているものの問題なく存在している。
すでに偽りのマイルーム自体は作り終えられ、いまはその周辺の監視の魔物の為の部屋が作られているところだ。
気を抜くなとばかりに意気を上げるドワーフの職人や巨人の様子に、監督とこの地の守りを任された魔物が満足げに頷いた。
ゲーゼルグだ。
時に建材である石材を運搬することもあったゲーゼルグだが、一通り必要な建材を運び終えた今は、職人たちの邪魔をしないように遠巻きに様子を見るだけだ。
元々、ドワーフや巨人達のこの仕事に対する意気は高い。
それは、この世界の主である夜光が望んだ仕事だからだろう。
職人であるドワーフや巨人族は、疑り深い面はあるが、それだけに一度信を置くとそれは強固なものとなる。
彼らとて、世界の滅びをこの『小世界』という名の箱舟で救われた者達だ。
その恩義は胸に深く刻まれていることだろう。
「うむ……御館様のご威光かくの如し」
主の偉大さを感じ、一人頷くゲーゼルグ。
そこへ、
「な~に一人でニヤニヤしてんのさ」
「……貴殿か」
不意に背後から投げかけられた声。
一筋の動揺も見せず、前を向いたまま応えたゲーゼルグ。
その影が一瞬揺らいだかと思うと、まるで蠢く粘液獣の様に地を這うと、
「よいしょっと」
軽い掛け声と同時に影が起き上がった。
いや、影ではない。それは黒ずくめの服を着た子供の姿をしていた。
無造作に伸ばされた髪が目元を隠し、ニタニタと笑う口元だけが印象的な顔。
道化師の様なひらひらとした無駄な布地の多い服は漆黒に染め上げられ、風も無いというのに時折揺らめいている。
ゲーゼルグの主たる夜光は小柄だが、この子供のようなナニカはそれよりも更に幼く見える。
背格好だけなら、10に満たない子供に見えるだろう。
しかし、近場の手ごろな岩の上へ座り込んだ姿は、見る者に言い知れない不吉を感じさせずには居られない。
無理も無いだろう。
なぜならこの存在は……
「強欲を司る貴殿が何用で御座るか? 生憎御館様や他の者は不在に御座る、グラムドーマ殿」
位階伝説級:100を誇る竜王ゲーゼルグのさらに格上というべき存在、七つの大罪の大魔王の一柱、位階実に伝説級:115、強欲の魔王、グラムドーマなのだから。
「いやね、ほら、あの門の向こうって、今までに無い新しい世界なんでしょ? そんな面白そうなもの、欲しくならないわけないじゃない」
ゲーゼルグの声に応えた内容も、まさしく強欲を司るものらしきモノだ。
グラムドーマは、その姿のごとくに子供のような無邪気さであらゆるモノを欲する魔王だ。
欲し、求める事こそが魔王の在り様とばかりに、元の世界――『AE』では積極的に略奪を行うとされた存在だ。
それ故夜光も、その動向を気にかけ、この地に守護としてゲーゼルグを任じたのだった。
その懸念が、今現実のものとなろうとしていた。
「ならば、ここをお通りになると? なりませぬな。御館様は、『外』なる世界を御自らお調べになっておりまする。その間、我に門の守護を御命じになられた。御館様がお戻りになるまで、あの門は羽虫一匹通すわけには参りませぬ」
格上であるはずの強欲の魔王に向け、ゲーゼルグは朗々と語り胸を張る。
コドモの姿をした魔王も、それに対して何の表情の揺らぎも無い。
遠巻きに作業する職人達や巨人達は、いまだ何も気づいていない。
恐らく、魔王が現れたことすら気づいているかどうか。
だが、背を向けたままの竜王と、子供の姿をした魔王との間の空間は、重苦しい重圧にさらされていた。
その重圧に耐えかねたのか、グラムドーマの座る岩にピシリと一筋ヒビが走る。
それを切っ掛けに双方が動こうと気配を凝縮し……
「ははっ、や~めたっと」
魔王の一言で、それが雲霧散消する。
「怖い怖い、いくら僕でも、君と本気で遣り合うなんて、損ばっかりだし御免だよ」
「戯れを……」
高めていた気を収め、ゲーゼルグは一人苦笑する。
この魔王は、夜光が契約した時からこのような調子だった。
元々の『設定』と言うものの影響なのか、それとも『意思』を持ってたが故にこうなったのかは不明だが、好き勝手にこの小世界を動き回ったりするなど、まるで姿そのものの子供の如く奔放だ。
そして、ゲーゼルグを前にすると、決まってこう言うのだ。
「それよりも、僕の下に付かない? 待遇は応相談だよ~ あんな凄い戦いが出来る君をどうしてもあきらめきれなくてさ」
「御戯れを。我が忠義は、我が剣は、御館様だけのもの。貴殿がいくら望まれようと、これは譲れませぬ」
そう、強欲の魔王は、ゲーゼルグを配下にと望んでいるのだ。
夜光がグラムドーマと契約するための戦いにおいて、凄まじいまでの激戦を示したこの竜王を、この強欲の魔王は深く気に入ったらしい。
こうして顔を見るたび勧誘してくる。
ただし、これはある意味本気ではないのだろう。
魔王グラムドーマも、夜光を主とする契約モンスターに変わりは無く、家臣同士が改めて主従の契りを結ぶのはおかしな話だ。
むしろゲーゼルグには、グラムドーマが気に入った相手との話の切っ掛けを望んでいるようにも見えた。
「ふ~ん、夜光くんも幸せモノだね。こんな忠臣が居て。ホント羨ましいよ……エンレヴィアだったら、嫉妬でハンカチ噛み千切ってるところだね」
嫉妬を司る魔王の名を挙げながら、よっとばかりに岩から降りたグラムドーマは、たたっとゲーゼルグに駆け寄ると、その屈強な背に飛び乗った。
「む? 何を?」
「部下にならないなら肩車しろー! 面白い話をしろー!」
「…………むぅ、いきなり言われましてもな」
これだから、この魔王はやりにくい、とゲーゼルグは思う。
衝動のままに動くためか、本物の子供以上に行動が読めず、また厄介だ。
また、この小さな姿でありながら、ゲーゼルグが全力をもってしなければ打ち破れない力の持ち主である。
同時に、主への明確な翻意を示さない以上、ゲーゼルグはこの奔放な魔王を罰することさえ出来ない。
頭の痛い話だった。
「ほらー、面白い話しないと、鱗むしるぞ!」
「ええい、おやめくだされ! 話しますゆえ!」
いつの間にか頭までよじ登ったグラムドーマが、言葉のとおり鱗に爪をかけるに至り、ゲーゼルグはついに白旗を揚げた。
頭の鱗など毟られでもしたら、人化の魔法具を使用した際どうなることか。脳裏に掠めた哀れな原野の有様に恐れ戦きながら、ゲーゼルグは、グラムドーマを地に下ろす。
期待のあまり、前髪で隠れ見えないはずの目を爛々を輝かせた魔王に深い頭痛を感じながら、ゲーゼルグは口を開いた。
ゲーゼルグは、今でこそ剣を得手としているが、かつては槍の使い手だった。
その頃はまだ竜人ですらなく下級位階の蜥蜴人であり、また迷宮の奥に湧く、ただの雑兵として生を受けていた。
蜥蜴人は強靭な体力を持ち、下級位階の中では武術に優れ、また『群れ』や『隊』を組み戦うため、同じ下級位階の『冒険者』が戦うには難しい相手とされるほどだった。
そして、当時名も無き一蜥蜴人だったゲーゼルグは、その前衛、先鋒一番槍として敵に襲い掛かる任を受けていた。
無数の戦いは、その蜥蜴人を今一歩で中級へ届かせるほどまで鍛え上げた。
ゲーゼルグとなる蜥蜴人が先陣を切る隊は、その迷宮において脅威の的となっていった。
「しかし、それもあの時までの話で御座った」
ゲーゼルグは、隣で聞き耳を立てる魔王をそのままに、遠い目をする。
切っ掛けは、迷宮の変動だった。
向かうところ敵なしであったゲーゼルグの隊は、進入してきた敵と戦っている最中、不意に強い振動を感じた。
それは、迷宮の崩壊の予兆だった。
未だゲーゼルグに至らぬ、当時の意思無き蜥蜴人にはあずかり知らぬことだったが、ゲーゼルグの『隊』と戦う『冒険者』の一団以外に、別の侵入者が居たのだ。
その者達が迷宮の深奥に至り、その迷宮の主を打ち倒したことで、迷宮が滅びを向かえようとしていたのだ。
幾つかの事が同時に起こった。
ひときわ強い振動に蜥蜴人たちの隊が動けぬ間に、敵たる冒険者達は、無念そうな表情を浮かべ後にゲーゼルグも知る転移の指輪にて迷宮を瞬時に脱出した。
次に、ひときわ強い揺れと同時に、通路が次々に崩れた。
更に、蜥蜴人達が次々と姿を消してゆく。召喚主である迷宮の主が討たれたことで、本来あるべき地へ送還されているのだ。
だが、先鋒を常に走り続けたゲーゼルグとなる蜥蜴人のみ姿を消すことが無かった。
それゆえ、崩れる壁に、壁が封じていた土砂を避けながら、崩れ滅びる迷宮を駆け抜けた。
そして……ある部屋にたどり着いていた。
かつての迷宮の主の部屋。
この地だけは崩落を免れるらしく、通路が崩れ去った中でも健在な姿を示して居た。
しかし、ここでも激しい戦いがあったと見え、壁や床は崩落とは別の理由で無数の破壊跡を残していた。
そしてそこには、数体の土で出来た異形に、ボロ布をまとった人影、使い魔らしき獣、翼を持った小悪魔が居り、それを率いるように長衣を着た小柄な人影が、迷宮の主の亡骸の前にあった。
とっさに槍を構え、蜥蜴人はその人影へと突進する。
守りを固めんとする土くれの人形を容易く槍は貫き、術師らしき人影さえも貫こうとしたところで、蜥蜴人は足を止めた。
槍が、ボロ布もまとった人影の胸を貫いていた。人型の種族なら、死を免れぬ傷だ。
それにもかかわらずボロをまとった人影は、胸に刺さった槍をつかむと、信じられぬ力で蜥蜴人から奪い取る。
更には、貫き崩したはずの土くれの人形が背後から襲い掛かり、蜥蜴人の四肢にまとわり付いた。
そして……その蜥蜴人は、使い魔らしき獣の放った炎と小悪魔の魔術により、完膚なきまでに叩き潰された。
そして、その魔物たちに守られていた人影こそが……
「そう、御館様だったので御座る。今にして思えば、我はあの時殺されても不思議ではなかったので御座る」
そう、そのまま倒されても不思議ではなかっただろう。だが、その蜥蜴人の存在は、夜光の興味を引いた。
召喚主を討つと、召喚された魔物は消える。だが、その蜥蜴人は存在していた。
本来ならば、ありえない筈の存在。それが、夜光に契約の決心をさせることになる。
すでに瀕死となり、抵抗の術を失っていたその蜥蜴人は、こうして主と契約を果たしたのだった。
ゲーゼルグの昔語りに、強欲の魔王は満足そうな、魔王と言うのに影のない子供のような表情をうかべた。
「へぇ~、そんなことがあったんだ。でも、なんで君は消えなかったわけ?」
「うむ、御館様がいうには、我はあの時位階が中級に至っていたらしいので御座る。それゆえ、召喚主の支配を超える位階になり、一時的に支配力が薄れたと……とはいえ、そのかつての我と容易く契約したので御座るから、その頃の御館様のお力はかくの如しと言うべきで御座ろう」
自慢げに言うゲーゼルグの表情をひとしきり眺める強欲の魔王。
やがて、何かに納得したように頷くと、
「ふ~ん、ま、いいや。面白かったし。それじゃ、僕帰るよ」
一言だけ残し、現れた際と同じように影と化したかと思うと解けるように消え去ってしまう。
後には、一筋のヒビを残した岩と、竜王のみ。
ゲーゼルグは、ため息ひとつ吐くと首を振る。あの魔王がくるとどうにも調子が狂う。
本来語る気の無かった『記憶』を、つい語ってしまった。
とはいえ……ゲーゼルグにとっても、思い返すと色々と考えたくなる記憶ではある。
あれから、どれくらいたったのか。
意志さえない頃故、蜥蜴人であったゲーゼルグは、従順に主に従っていた。
それだけの力があった主ではある。そして、今は深い忠誠を抱かずには居られない主君だ。
だが、もしあの頃に『意思』があったら……?
元の主、召喚主と、運命を共にすることを願ったかもしれない。
初めから意思を持たなかった事に、ゲーゼルグは微かに運命というべきものを感じた。
意思を持つことと、かつての記憶を想いながら、ゲーゼルグは何も知らぬまま作業を続ける職人達を見やる。
……あの分ならば、昼を過ぎる頃には仕上げに取り掛かるだろう。
「ふ、思い悩んでも居れぬな。主の命を果たすことこそ今の我が忠義で御座るのだから」
ゲーゼルグは、気合を入れなおすと、職人達へと歩んでいく。
空には陽光。日差しを受けながら、ゲーゼルグは己の任へと再び集中するのだった。