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章間 第1話 ~始まりの日の夜に~

この話の時系列は、1章9話と10話の間付近に相当します。

 ススキが、風に揺れていた。

 枯れ木の林の間を抜けた風が、一面のすすき野を掻き分けていく。

 空は燃えるような赤い夕焼け。

 はるか遠方の山に沈む夕日が、すべてを赤く染め上げている。

 そんな中、小さな毛玉が枯れ草の中でうずくまっていた。

 時折吹く風に凍えるように身を震わせるその姿。

 よく見れば、それは幼い子狐であった。


「クゥーン」


 弱々しく零れた泣き声。

 それは、脚に刻まれた小さな傷の為か、それとも……

 傷は、その特徴的な跡から、鋭い牙によるものと見るものが見れば知るだろう。

 既に命を傷口から血と共に大半を零れ落とし、小狐は衰弱しきっていた。

 この小さな命が尽きるのは、夕日が沈みきるよりも前になろうことは、素人目にも明白だ。



 『彼女』は、幼い小狐だった。

 野生の本能を得るにもまだ未熟な彼女は、その記憶を枯れたすすき野から始める。

 小狐の身ではどこまでも続いているかのようなその野を、幼心のままに日々駆け回る。

 後に知った冒険者という存在に追い回されたり、何やら美味そうな黄金色のモノを目の前で振られたりということもあったが、小狐の中では俊敏であった彼女は、彼らに捕らえられる事無く日々すごせていた。


 ある日、とんでもない失敗をした。

 獲物である野鼠を追いかける内に、野のはずれまでやってきたのだ。

 そこで……蛇に襲われた。

 不意を打たれ後ろ足を噛まれたため、とっさにその頭を噛み返した。しかし、その直後から身体がおかしくなった。

 違和感から走り回ろうとするが、すぐに身体が言うことを聞かなくなる。

 まるで真冬のごとくに悪寒が止まらない。

 普段は心地よい野を駆ける風も、今は身を削る刃のようだ。

 もはや動く事も出来ず、ススキの群生の根元で蹲る。

 『意思』を持ち得なかった時点での出来事にもかかわらず、彼女は『終わり』が来るという実感を持っていた。

 ……その、時が来るまでは。


「……あれ? やっくん、珍しいよ? こんな所に小狐リトルフォックスがいる」

「ん~? あ、ホントだ。POP位置から離れてるはずなのになぁ……」


 不意に、音が聞こえた。

 『彼女』にはまだ意思は無かったが、幼いなりの知性はあった。

 その知性が、それが冒険者の声だと囁く。

 だが、既に彼女は目を開けることも億劫なほどに弱っていた。


「って、やっくん、この子毒受けてる! どうしよう、もうHPゲージ真っ赤だよ?」

「ええっ!? あ、そっか、この辺りだと毒蛇ポイズン・スネークも出るから……契約さえすれば、治療も可能かな? 先輩、この体力なら即契約可能なはずですし、その後回復頼めます?」

「いいよ~! こんな可愛いモフっ子、助ける為だもんね」


 故に再度の声と、不意に触れられても身動きひとつ取れなかった。

 ただ、その瞬間は何時までも心に残っている。

 そっと触れる感覚と、何かが結びついた感覚。

 暖かな何かが流れ込んで、体の中の寒さの元を押し流していく感覚。

 それらが終わりひと息程の間隔の後に、『彼女』は、身体の中の不快感が消え失せ、失っていた力が甦っていくのを感じた。

 困惑の内にうっすらと目を開くと、そこには小柄な身体を屈め『彼女』の頭を撫でる少年と、奇跡の残滓を光の余韻で残す女性神官の姿。


「あ、目を覚ましたみたいね。かわい~なぁ……やっくん、私にも触らせてよ」

「……? アバターが触ってもしょうがないでしょう?」

「気分の問題よ、気分の」


 何か二人の冒険者が話しているが、『彼女』にはよくわからない。

 ただ、目の前に迫っていた『終わり』が消えたのはおぼろげに感じていた。

 そして、冒険者のうち、身をかがめていた『彼』が『彼女』に向き直る。


「えと、ドサクサ紛れだけど……これで契約。よろしくね?」


 ふわりと微笑んだ笑顔が、『彼女』……後に九乃葉となる小狐の心に深く深く刻まれた。



「ん……? ああ、夢かえ……」


 浮かび上がる意識の中、九乃葉は心地よい暖かさに包まれ目を覚ました。

 同時に覚える軽い違和感。

 その理由を察して、微かに苦笑する。

 九乃葉は、今九尾本来の姿ではなく、かつての姿……小狐となっていた。

 それが為に、尾の感覚が普段よりも少ないのだ。その尾も、今は自由に動かせる状態に無い。


「それにしても、懐かしい夢を見たものよ……この姿のためかえ?」


 九乃葉は、先刻まで見ていた夢を思い出す。

 あれこそが、夜光との出会いの記憶だ。

 もしあの時、夜光とホーリィの二人が通りがからなかったら、九乃葉はそのまま息絶えていただろう。

 意思の無い頃の為、あの時は恐怖を感じてはいなかった。ただひたすら寒かった記憶だけがある。

 だからこそ……思い出した今、死という恐怖に身を震わせそうになる。

 しかし、その『寒さ』を遮るかのように、暖かな何かがずっと九乃葉を守ってくれていた。


 そっと辺りを見回す。

 そこは、簡素かつ質素ながら清潔感のある部屋だった。

 部屋はベッドと簡単な机、そして戸棚。

 木戸のはめ込まれた窓は僅かに開き、清廉な夜の空気を招きよせていた。

 そして、ベッドに横たわる……彼女の主。

 様々な事象に疲れたのかぐっすりと眠るその腕の中に、九乃葉は抱かれていた。


「ほほほ……マリィにリムスが聞けばさぞ羨ましがるであろうな」


 そっと、起こさぬようにその頬に鼻先を押し付ける。

 ううん、と微かに夜光はうなったが、結局起きる事無く眠り続けた。

 九乃葉は多幸感に包まれながら、僅かに苦笑する。

 こうして抱かれるのは嬉しいけれど、それはきっと小狐の姿だから。

 九乃葉の真の姿は二つある。九つの尾を持つ狐の姿と、狐の耳と尾を持つ女としての姿。

 もし仮に女の姿をとっていたら、このように無邪気に抱いて眠るような真似をしてくれただろうか?

 小狐の姿だからこそ、こうして寝所を共に出来たのではないか。

 そう思うと、久々にとるこの弱々しい小狐の姿も悪くは無い。


「主様……ホンに罪作りな方」


 仲間である二人の女に先んじたことも、ちょっとした優越感の源となっている。

 とはいえ、現状の有様は、愛でられる愛玩動物の域を出ないモノではあるのだが。

 夜光とて、彼女の姿を知らないはずが無く、戻ろうとすればすぐさま本性を現せる事も知っていて、なおかつこの状況というのは、九乃葉にとって喜ぶべきなのか悲しむべきなのか?

 まさしく、罪作りだと九乃葉は思う。

 だから、と九尾の狐はいたずら心を疼かせる。


「ふぅ、やはり寝るのに縮こまるのは性に合わぬゆえ……主様、ちと戻りますえ?」


 耳元で囁くと、するりとその腕の中から抜け出し、大きく伸びをする。

 すると、見る間にその体躯が膨れ上がった。

 家猫程度の大きさから、魔獣というにふさわしい虎もかくやという大きさへ。

 尾は瞬く間に無数に分かれ、部屋の中を覆っていく。

 あっという間に、部屋の中はしなやかかつ柔らかな九つの尾に埋もれてしまう。

 ベッドの上では、先ほどまでとは逆に夜光の身を抱くように尾がその身体を包んでいる。

 身代わりのように差し入れられた尾を抱き、夜光は穏やかな寝息を立てていた。

 その様子に、九乃葉はクスリと微笑んだ。

 『女』の姿で抱きつくのも面白かったかもしれないが、それでは吸血娘と悪魔娘に何を言われるかわからない。

 ならば今はこの程度で満足するのがいい。

 あせる必要は無いのだ。

 そして何より……


「主様はお疲れゆえ……今はお休みを妨げる訳には行かぬから、の」


 強力な武器にもなる九乃葉の尾は、その実どんな寝具にも勝る手触りとしなやかさ、柔らかさを持つ。

 それで包まれた夜光はこの上ないほど穏やかな寝顔を浮かべている。


「よき夢を、主様」


 その様子に満足すると、九乃葉も目を閉じる。

 再び、よき夢を見られるよう祈りながら。

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