エピローグ ~愛欲の顛末と来るべきモノ~
甘い蕩け堕ちるような陶酔から我に返ると、目の前でプラプラと宙吊りにされたリムが揺れていた。
「ん~! ん~! (これ、流石に辛いのだけど!?)」
「仕置きやからあたりまえや。抜け駆けの罰なんやから大人しくしとき」
頭を下にされているから、頭に血が上るのだろう。顔色の悪くなったリムが苦情を零しているけれど、ここのにピシャリとやり込められていた。
リムへの物理的な拘束は足首に括り付けられたロープだけだ。ついでに言えば服も着ていない。
代わりに全身に複雑な文様が書かれた呪符を無数に張り付けられている。
あれは、ここのの呪縛の呪符?
張られた対象を麻痺状態にして行動不能にする効果があるけど、あそこまで執拗に張り付けられているのは、ある種の狂気を感じてしまう。
直立不動の体勢で、口も動かせないのか精々うめき声を上げる事しか出来ていないらしい。
うん、どういう状況だろう、これは?
見回すと宙吊りにされたリムの横で、残念女神のアンナさんが正座させられていた。
その前にはマリィとここのが、筋肉だけで笑っているような仮面めいた表情で仁王立ちしている。
……本当にどういう状況?
そこまで認識したところで、僕は何か柔らかな物の上に頭を載せていることに気が付いた。
そして、
「あ、気が付いた? やっくん」
僕の顔をのぞき込んでくるホーリィさんにも。
それどころか、
「我が王、お目覚めになられて何よりなのじゃ」
「何どさくさに紛れて夜光様のお手に触れてるの!? 離れなさいこの干物女!」
砂漠の女王イオシスに氷の女王のアレンデラまでいる。
どうにもふわふわとした感覚が抜けきらなくて思考がまとまらないけれど、これは何か危険な状況のような気がしてきた。
というか、マリィ達やホーリィさんはともかく、イオシスにアレンデラまでいるというのは、どういう事だろう?
疑問符しか浮かべられないようなフワフワとした状態──魅了状態が完全に抜けきるまで、僕はとりあえず目の前の問題を先送りして、後頭部の柔らかな感触に浸っていた。
□
正気になった僕に、告げられた経緯はこうだ。
リムの中で不活性状態である<大罪の種>は、僕に褒められて感極まったリムの衝動に感応して、初期発芽状態の<愛欲の種>になったらしい。
僕が見たリムのステータスの変化はまさしくそれだ。
やはり宿主の感情に呼応して<大罪の種>が発芽するのは確からしい。
そして、芽吹いた<愛欲の種>は、リムの衝動を暴走させて、結果リムは僕を押し倒したのだとか。
その暴走具合は、本来味方モンスターからの悪影響を受けないはずの<万魔の主>の特性を貫いて、僕を魅了してしまったほどだ。
ただ、それは重大な協定違反──僕の知らないモノだし、詳しい内容は皆に聞いても教えてもらえなかった──だったらしく、協定に参加している全員に協定破りを察知されてしまったらしい。
万魔殿に居たマリィやここのは即座に反応して、僕の自室に突入すると、今まさに一線を越えようとするリムが居たのだとか。
そこで何やら暴走したリムとマリィとここの、そして増援として駆け付けたホーリィさんやイオシスとアレンデラによる激しい応酬の末に、今の有様になったらしい。
……言われてみれば、どおりで自室の中が散らばっている。
ちょっとした強風が吹き荒れたみたいになっていて、片付けるのは大変そうだ。
おまけに僕自身も応急処置でかぶせられたらしいローブの下は裸だ。
……つまりこの場に居る全員に見られたんだろうな。
なんてこった。
……まぁ今それは横に置こう。
気になったのは、何故今の話に登場しない、アンナさん──女神アナザーアースが正座させられているのかという事だ。
「それがね~、リムちゃんはやっくんに相談する前に、そういうのに詳しそうなアンナちゃんに相談していたみたいなのよね~」
「いやだって、不活性になってるし安全そうに思えるじゃない! 暴走するとは思わないじゃない! 私悪くないもん!」
「子どもかいな」
「そこでヨシ! しちゃったからリムちゃんも安心しちゃったのよね~」
つまり<大罪の種>を宿して不安になったリムは、万が一暴走もあり得る以上僕を危険にさらさない様に、先にアンナ神に相談した。
そこで今は無害化しているから安心していいと言われて、改めて僕に相談したと。
だけどどの結果……ホーリィさんやアンナ神のやり取りからすると、こういう事か。
確かにやらかしな部類だ。
兜を被った猫亜人が指差し確認する類の事案で、そう判断したアンナ神が詰められているのも無理はない。
それにしても本当にこの自称女神は、言動から何から悉く威厳が無いなあ。
「そもそも、その種一度入り込むとその子の核みたいなところに根を張るから、取り出すのは無理なのよ? なら不活性状態になってるし良いかなって思うじゃない」
だけど、今のセリフは聞き捨てるわけには行かない。
「待ってください。種が取り出せないって……それなら、僕に見せてくれたあの種は? どうやって手に入れたんですか?」
「暴れてた魔獣系の子達についてたのだから、グレンちゃんとラーグちゃんが斃しちゃったあとに拾ったのばかりなのよね」
アンナ神が僕のマイフィールドや同盟の皆の領域や西の大陸をフラフラとしていたのは、そういう<大罪の種>を宿して暴走した個体を察知して対処していた為でもあるらしい。
ただし殆どは魔獣系統のモンスターの暴走。
暴れるモンスターは悉く、護衛である巨人の里の長のグレンダジムと古竜王のラーグスーヤに討伐されたのだとか。
つまり、種を取り出すには、倒す必要がある──もう少し詳しく聞くと、ドロップアイテム扱いで落ちる──らしい。
マイフィールドに配置している魔獣系のモンスターは、ある種野良の状態に近い。
生態系再現の為に野放しだし、契約扱いで呼び出せるけれどそれ以外では僕自身にも襲い掛かれる程に自由にしている。
また野生動物に近いモノは、倒されても特定の場所でリポップするように設定してあった。
僕のマイフィールド以外で遭遇した種を宿した個体も、同様のモノが多かったようだ。
「知性がある相手に宿るには、種との相性があるみたいなのよ。その分、発芽した時の力は強くなるみたいだけれどね」
そういう知性のあるモンスターは、強力な力を持つことも多い。
ましてリムのようなプレイヤーが仲間としているモンスターは、倒したとしても遺体が残り、蘇生できる──倒したとしても、ドロップアイテムを落とさないのだ。
つまり、現状リムから<愛欲の種>を分離する手段は、存在しないと言う事になる。
「そんな、どうしたら……」
「暴走の懸念があり、倒すのが忍びないのであれば、封印するのが良い。じゃが、我が王は好まぬじゃろう?」
「当たり前だよ!」
迷う僕に、砂漠の支配者として厳しい判断もしてきただろう砂漠の女王イオシスが、あえて僕が望まない意見を提示してくる。
手塩にかけて育て上げた為のある親のような感情と、ある意味僕の性癖の体現者として仕上げてしまった負い目もあるリムは、一言で言ってしまうなら大切な仲間だ。
この右も左も分からない実体化した世界で、僕を護ってきてくれた彼女を封印するなんて、そんな判断はできない。
「夜光ちゃんはそう思うよね。だから私もこれでいいかなって」
「無責任すぎるわ! 氷漬けにされたいのかしら!?」
「だって~、リムちゃんは何時も同じくらいの衝動を抑えてるじゃない!」
「……どういう事?」
アレンデラに睨まれるアンナ神が零した内容を、思わず聞きとがめた。
魔獣を暴走させるような衝動を、リムが普段から抑えている?
聞き返そうとすると、
「んんん~~~~~!!!」
動けないはずのリムが暴れ出した。
何故か頭に血が上っている以上に顔を赤らめて、必死に拘束から逃れようと暴れている。
そんな彼女を無視して、アンナさんが僕の問いに答えた。
「リムちゃん、溜まってるのよ。淫魔なのに、未経験だから」
「……えっと」
「だから、一回しちゃえば衝動もコントロールできるんじゃないかなって。発芽し直すのは一番強く抱いている愛欲で、本質的に無害だろうし」
「……待って」
「ついでに、騒動になれば協定? ってのを結んでる子達も巻き込んで、全員の初めても済ませちゃえば手っ取り早いよねって」
「……待ってってば」
「ね? あなた達もそう思わない?」
しまった! この自称女神実は邪神だな!?
此処までの流れまで、実は読んでいたのだとしたら、僕にとってこの女神は天敵ではないだろうか?
とんでもない事を言い出したアンナ──もう敬称とかつける気が失せた──の視線に釣られて恐る恐る周囲を見回すと、この場に居る女性陣が視線で何か会話しているのが判った。
何となく、いや確実に不味い予感がする。
いや、内心僕も皆とそう言う関係になりたいとも思っているし、身体さえ準備できたらむしろちゃんと準備した上で一人一人話し合って事を進めたいと思っているのだ。
というか、現実の大学生の身体だとしても多分1対1でも相手が魅力的過ぎて身体が持つ気がしない。
こんな頼りない子供の身体で、美の化身のような彼女達をまともに相手できるのか、不安の方が期待よりはるかに強いのだ。
そもそもこんな、なし崩しかつ交通事故的に事を済ませるのは、いかがなものかと思う。
「身体もそろそろ準備できる頃だし、先送りもほどほどにね」
そんなある種背絶望的な未来を邪神モドキの予言に、ジワリと周囲の絶世の美女たちが距離を詰めたのを感じつつ、僕は如何にこの(貞操の)危機的状況を脱するか、全力で思考を回転させるのだった。
□
夜光がある種の絶望的な撤退戦を演じる同じ頃。
夜空に流れる一条の輝きがあった。
流星の中にあって、一際輝くものを火球という。
まさしくそれは燦然と闇を照らす輝きと共に、多くの国々の空を切り裂く炎の塊だった。
多くの人々がそれを目にし、ある者は凶兆と、ある者は異変を、ある者は何者かの訃報を読み取ろうとする。
だが、それはいずれにも当てはまらない。
纏っていた炎を超える閃光が、真夜中の夜明けを呼んだのだ。
大地を揺るがすほどの大爆発!
流れた先、東方諸国群すら超えた遥か先の広大な大森林上空で、ソレは弾け飛び、轟音と光が周囲を焼き尽くした。
膨大なエネルギーに爆発の中心付近はクレーターと化し、大森林の木々は広範囲になぎ倒されその爪痕を知らしめる。
それは、後に多くの人々を──聖地も、皇国も、夜光ら異邦人でさえ──巻き込む、災ベリアスの火と呼ばれる災厄の始まり。
だが、それを人々が知るには、今しばらくの時が必要であった。
──── 第6章 終わり ────