エピローグ ~<大罪の種>~
「……一体、何時から?」
「地下の森で苗床になっていた骸に接触した時よ、ミロード」
万魔殿の自室で、僕は顔をこわばらせていた。
向かい合っているのは、僕の大切な仲間であり、手塩にかけて育て上げたモンスターの、リムだ。
思いつめた表情の彼女から、相談したいことがあると告げられた僕は、彼女の言うままに二人だけの時間を作ったのだけど、そこで想定していなかったものを見せられている。
目の前にあるのは、久々に確認するリムの、愛欲の魔王リムスティアのステータスだ。
アナザーアースがサービス終了する前に彼女の成長はカンストまで至っていたから、今更確認する必要もない筈のソレ。
だけどそこには、育て上げた当人である僕の記憶に無い、そしてあってはいけないモノが表示されていた。
【名称】リムスティア
【種族】愛欲の魔王
【位階】伝説級:100
【称号】<愛欲の魔王><闇騎士><上級魔術師><精神術師><将軍><大罪の種>
見覚えの無い称号がある。
<大罪の種>なんて称号、僕は知らない。
だけど、それに準じるものを、僕は知っていた。
称号としてではなく、その名の通りに種という形で。
女神アナザーアースを名乗る彼女からもたらされたそれは、今も厳重に保管してあり、リム達僕の仲間でさえ、容易には触れられない状態にある。
だと言うのに、その称号は確かに僕の仲間の内に存在していた。
「多分、滅びの獣の記憶を持つ骸に埋め込まれていたのね。骸の記憶に、それらしいものがあったから」
あの地下で、リムは白金の森の苗床になっていた幾つもの骸の記憶を読み取っていた。
その情報から獣の存在を察知できたのだけど、こんな罠が仕掛けられていたなんて。
……なんて、僕は迂闊なんだ。
僕は目の前に立つリムを見る。彼女は精神を操る魔法のスペシャリストである夢魔や淫魔に類する魔王だ。
もちろんその力は強力だけど、同時に精神魔法というのは、行使の際精神を触れ合う関係上肉体は無防備になりやすい弱点もある。
じっくり骸の記憶を読み取っている間、その隙をついて骸そのものに仕込まれていた種が彼女に潜り込んだ、そういう事なのだろう。
そこまで考えて、
「どこから、身体の異常は!? 暴れ出したくなったりとかは!?」
僕は無意識にリムに詰め寄っていた。
想定外からくる混乱から、ようやくリムに起こった異常を理解してきたのだ。
慌てふためいてリムに他の異常や兆候が無いか確認しようとする僕。
そんな情けない主を、彼女はやんわりと受け止めて微笑みかけてくれた。
「大丈夫よ、ミロード。今は、そういうのは無いの」
「……今は?」
「そうね……もう少し詳しく経緯を話すわ」
そういうと、リムはあの地下で彼女に何が起きたのか話し始めた。
「実はあの地下の戦いの時、あたしもマリィ達のように自分の意思通りには行動できなかったの」
「……!? まさか、僕を攻撃しようとしていた……?」
「ああ、それは大丈夫よ。ここのやゼル達みたいにミロードに攻撃しようとはしなかったわ。だけど……まず、あたしに宿った『種』について、あの時直ぐにミロードに話そうとしたの。だけど、言えなかったのよ」
あの地下でゼルとここのがメインとなって僕を乗せたギガイアスを攻撃してきた時、リムは既に合流してギガイアスに乗っていた。
だから確かのあの時異常があれば、彼女は僕にそれを告げられたはずだった。
だけどあの戦闘中、リムはほとんど言葉を発せずに静かな調子だった。
まさか、その理由が体内に入り込んだ異物の為だっただなんて。
「それだけじゃないわ。その時あたしに宿っていた『種』は、今と少し違っていたのよ」
「えっ?」
「その時、あたしに宿っていたのは、<大罪の種>ではなくて、<羨望の種>だったの」
大罪ではなく、羨望。
その名は、記憶にある。例のナスルロン連合の盟主が零した名だ。
恐らくは、滅びの獣に類する存在。
その名の表記になっていると言う事は、何かもっと危険な予感があった。
「同時に、あたしもその時その衝動に呑まれかけてたの。実はね、あたし密かにあのギガイアスの操縦席の中で……ミロード以外に攻撃しようとしてたのよ」
「ええっ!?」
そしてリムに告げられた真実に、僕は驚くより他なかった。
リムを警戒するなんてこと、僕自身考えた事が無い。
そこへ完全に意識外から、あの狭い空間の中攻撃されていたら、その時点で全てが終わっていたかもしれなかった。
何しろあの操縦席内に伝説級のカンストレベルのキャラやプレイヤーはいなかったのだ。
幾ら狙いから外れた僕が健在でも、あの時深刻な体調不良に悩まされていた以上そのまま沈みかねない。
「今思えば、羨望の通りに、先にミロードと同じ空間を共有していたターナ達を少なからず羨んで、その気持ちに呑まれそうになっていたのよ」
「そんな……」
「そこもゼル達とは違ったわね。あっちは意志そのものに反対な行動をさせられていたけれど、あたしの場合少なからずあった気持ちを暴走させられている感覚だったもの」
リムは彼女自身が他者の精神を操る存在だ。
そのリムが心を暴走させられたと言う時点で、僕は背筋が凍りそうになっていた。
だとするなら、この『種』を仕込まれたら最後、どんなに親しいモンスターや知り合いでも、刃を向けてくる可能性があると言う事になる。
「だからあの時、ホーリィ様が力を発揮してくれて助かったのよ。光の翼を展開してくれたから、行動を起こす前に止めてくれたから」
ギガイアスの操作を<人像一体>でホーリィさんに託した時、彼女はラスティリスの力を借りて、伝説級の全力戦闘モードに入っていた。
背中から展開される三対の光の翼はその表れだけど、あの翼は別に飛行の為だけに展開されるわけじゃない。
あの翼は、展開している間味方の状態異常を無効化したり、体力やスタミナを持続回復させる効果もある。
おそらく、リムの感情の暴走も無効化したのだろう。
僕がそう納得していると、リムはさらに続ける。
「だけど、その時はまだ影響から完全に逃れていなくて、ミロードに種の事も話せないままだったわ」
「えっ!? じゃあどうやって影響から逃れられたの?」
「そこは、私も精神を操る魔王としての意地ね。なんとか精神魔法でこの種に抵抗しようとしていたら、<羨望の種>が<大罪の種>になって、こうして影響にあることも話せるようになったのよ!」
得意げにその豊か過ぎる胸を張るリム。
揺れる豊満な眼福さに意識を持っていかれそうになるけれど、そこは無理やり横に置こう。
つまりリムは、滅びの獣に類する力に打ち勝った、そういう事だろうか?
だとしたら、凄い事だ。幾ら心に類する力は彼女の得意分野とは言え、宿主を悉く暴走させて来たであろう怪しげな力を乗り越えるだなんて。
「それは、凄いよ! 頑張ったね、リム!」
「そ、それほどでもあるわ……」
僕は思わずリムの手を取っていた。
彼女が人形のような小悪魔の頃から知る僕としては、何というか我が子の事のように嬉しくなる。
ブンブンとその手を振って、彼女の頑張りを褒めたたる僕。
だけど一旦落ち着こう。
そんな厄介なものをウチのリムの中に居させ続けるわけには行かない。
たしか、自称女神のアンナさんが<大罪の種>を持ち込んできた際に、封印を施して無害化していた筈だ。
急に無言になったリムがちょっと気になったけれど、まずは処置の方が先だろう。
「じゃあ今のうちに女神を呼んで、その種を封印してもらおう。確かこのところは万魔殿に居たはずだから……」
あの威厳に欠けた女神は、僕のマイフィールドや同盟内、または西の大陸の彼方此方を竜と巨人のお供を連れてうろうろしているけれど、最近は万魔殿に腰を落ち着けていた。
だから頼めば処置をしてもらえるはずだ。
そこまで考えて、ふと種の取り出し方は聞いていないと思い出す。
確か『暴れている相手を仕置したら手に入れた』、そんな事を言っていたように思う。
(……あれ? それだとまるで……)
漠然と僕の中で浮かんだ物。それが形になる前に、
「………リム?」
「ミロード」
いつの間にか、握りしめていたリムの手が、反対に握り返されているのに気が付いた。
僕の名を呼んだ吐息が、熱くゆっくりと降りかかってくるのを感じる。
見上げると、上気して蕩け切った彼女の美貌が間近に迫っていた。
えっ、何だ? 何が起きてる?
美貌の淫魔の魔王は、僕と二人だけの時──主に添い寝係などの時だ──に似たような表情を浮かべる事は有った。
だけど今はとびきりだ。
性的な事はこの今の子供の身体では受け止めきれないと理由で、そういう方向を避けてから仲間から直接迫られる事は無かったのに、此れじゃあまるで……。
困惑する僕の視界の隅に、浮かんでいたままのリムのステータスがよぎる。
【名称】リムスティア
【種族】愛欲の魔王
【位階】伝説級:100
【称号】<愛欲の魔王><闇騎士><上級魔術師><精神術師><将軍><愛欲の種>
……まて、今何が見えた?
先ほどまで確かにあったはずの<大罪の種>の称号が消え、代わりにあったのは……?
詳しく確認しようとした僕は、
「んっ……」
天から墜ちてきた熱い唇に、意識の全てを塗りつぶされたのだった。