エピローグ ~憂 フェルン領 領府ゼヌート~
「次! 白軍前線押上げ! 紅軍は攻勢に耐えよ!!」
「「「「応!」」」」「「「「守れー!」」」」
練兵場に指揮官級の騎士の号令が響き渡る。
向かい合いぶつかり合うのは、白と紅それぞれの色の布を兜に巻き付けた二つの軍集団だ。
摸擬戦であるのだろう。木製の武器と盾を手に、兵達は身体ごと相手となる軍へ突っ込んでいく。
ここは皇国西方フェルン領。
その領府ゼヌートにて、激しい練兵が行われていた。
よく見ればそれらの兵の装備は、みな激しい訓練により傷つきながらも一様に新しい。
彼らは新兵なのだ。
フェルン領軍の勇猛さは、その領内で知らぬ者は居ない。
同時に戦にて武威を示したならば褒美も望めるため、領内の平民にとって兵の道は一種憧れでもある。
何しろ、昨今無名の武人が新将軍として抜擢されたのは記憶に新しい所。
それ故、練兵場の新兵の気合のノリはかなりのものだ。
武を磨き、何時かはご領主に取り立てられたい。
そんな熱が、訓練にも籠っていた。
「やはり、東方派兵はしばらく待たねばならぬで御座ると?」
「北と南が小うるさくてな。先陣は譲らねばならぬであろうよ」
「であるならば、新兵の訓練に多少の時間は見込めるで御座るか」
一方当の新将軍は、ゼヌート城の軍務の間にて領主のシュラートと、次なる戦いに向けて方針を立てていた。
先の聖地侵攻にて、兵同士の衝突はごく小規模であったものの、謎の疫病にて撤退を余儀なくされた皇国軍。
その先鋒であり、最も病の被害が大きかったフェルン領軍は、聖地との緩衝地帯にある砦から、自領へと戻ってきていた。
幸い、謎の病は聖地の地揺れの前後を境に収束したものの、その被害は大きい。
罹患した者の大半は怪しげな白い粘液を吐いた後に全快していったのだが、そこまでに病からくる高熱で体力が尽き、命を落とす兵も多かったのだ。
これまでフェルン領軍は、領主であるシュラートや騎士団長ラウガンドのもつ強力な称号補正と経験により幾度となく行われた遠征において大きな被害無く戦い抜いてきた。
それは生き残る事で経験を積み上げた兵もうみだすことに繋がり、フェルン領軍を不敗の軍団として押し上げて来たのだ。
それら熟練兵が大きく削られ、フェルン領軍は編成の真っ最中。
まっさらな新兵を、せめて置物程度まで使い物に足る代物へと鍛える必要がある。
時間は幾らあっても足らず、そのため東方派兵まで多少の猶予があると言うのは朗報であった。
しかし、領主のシュラートには憂いの色がある。
「北はともかく、功を焦る南が穴であろう。何より東方の騎馬兵共は侮れぬ」
「支えきれぬで御座るか?」
「お前の主の同類も殺せる相手だ。北がどれ程手札を増やしているかであろうな」
お前の主と同類、そう言われた新将軍ゼルグス──いや、影武者ならぬゲーゼルグ本人は、表情を硬くした。
今彼は、先の聖地地下の戦いで忠誠を捧げるべき主に刃を向けたとして、自ら罰として夜光の傍を離れていた。
ゲーゼルグ達夜光に最も近しいパーティーモンスター達にとって、夜光の傍に居られないと言うのは、それ自体が罰なのだ。一種の謹慎というべきか。
夜光もゲーゼルグら夜光へ刃を向けた仲魔の意を組み、それぞれが望むようにさせている。
そこでゲーゼルグは、普段影武者として上級鏡身魔に任せているゼルグスとしての役割を積極的にこなしていた。
幾つかの理由があるが、有形無形の経験を望んだためだ。
データのみの世界と現実となった世界とでは、大きな差異がある。
称号の補正やスキルの性能は、その顕著なものの一つだろう。
職業として分類される称号を持つことで、それらの実務に必要な知識や有利になる補正が自然と身につくのだ。
だが、それらを駆使して実際に実務を行うと言うのは、また別の話だ。
称号から得られる知識というのは、高度なマニュアルに置き換えることができる。
要点を踏まえ、必要な基礎知識を、場合場合に応じて適宜意識へと提示されると考えれば、その有用性が判るだろう。
しかし、それらを駆使して行う実務というのも、また別の経験が必要となる。
マニュアルのどの知識が現在置かれている状況と合致するのか?
複数候補のある手段の内、置かれた状況においてどれを選ぶべきか?
そう言った判断は、実際に体験しなければ身につかないものだ。
時に、それらの初回にて最適解を選び続けられるような者もいるが、それは一種の天与の才と言われるような類であろう。
殆どの者は、優れたマニュアルを持とうとも幾らかの経験が伴わなければ、優秀な実務者となり得ない。
ゲーゼルグもまた、実務と言うモノの重要性を身に染みて感じている一人だった。
彼の影武者である上級鏡身魔は、先のナスルロン連合のフェルン領侵攻にて大軍を指揮すると言う大役をこなして来た。
それは軍指揮系の最高峰称号<元帥>であり、アナザーアースにて幾度となく大規模戦闘をこなして来た経験がある彼の称号を再現した上級鏡身魔にとっても、未知の領域だ。
何しろ、アナザーアースの軍指揮というのは、かつてあくまでデータとしての内容であり、元帥の称号がもつ優れた補正も、何もせずとも自然と発揮されるものだったからだ。
実際の軍指揮はそうではない。
兵の一人一人が生きている以上、データのような均一な存在ではありえないし、データではない以上物を食べ、水を飲み、時に休息が必要となる。
フェルン領が穀倉地帯であり潤沢な兵糧を見込めるとしても、それらを前線に運ぶ補給路の構築や、現場での兵への差配、そして排出されるモノの始末なども付いて回る。
軍とはぶつかり合うまでの準備こそ重要と言うが、まさしく戦の前段階こそが軍の指揮官として戦場のような作業量を要求されるのだ。
ゲーゼルグと上級鏡身魔にとっては幸運なことに、フェルン領軍は遠征慣れしており、軍参謀や補給面を担う文官も多数抱えている。
またもっとも重要な士気や統率の面は称号の補正がある為か順調であり、それらの軍務を担う者達への命令も問題なく通っているため指揮系統は上下の流れがスムーズだ。
彼らの行動にも補正がかかっていたのか、上級鏡身魔は何とか実務をこなしていたのだが、それらの経験が上級鏡身魔を大きく成長させていた。
それに目を付けたのが当のゲーゼルグだ。
ゲーゼルグの主たる夜光は、昨今アクバーラ島の支配者として、実務を執り行う事が多い。
その助けに『外』の人間社会で密かに経験を積んだ悪魔系モンスター達が既に参加している。
しかし、夜光の側近たるゲーゼルグは、武辺物としてありすぎてそれらを手伝えずにいたのだ。
そこへ格好の経験を積む舞台がある。
先の聖地侵攻における軍指揮を自身が体験したことにより、自実務対応能力の向上を実感したゲーゼルグは、積極的に新将軍としての役割をこなしていたのだ。
「南はともかく、で御座るか?」
「昔から南の連中は自滅を好む。要らぬ真似をして自らの行く手に岩を置くのだ。先の皇都でのようにな」
ゲーゼルグ──ゼルグスの相槌に、この世界独特の言い回しをするシュラート。
実際、皇都でゼルグスに濡れ衣を着せようとしたり、御前会議で不要な醜態をさらした南──ナスルロンの貴族たちの行動を思い起こせば、さもありなんとゼルグスも頷くしかない。
「古来よりそうなのだ。南の連中は要らぬ争いにて、交易相手となるはずの山脈先の内海諸国群に絶縁されておる。かの国と交易を成していたならば、形は違えど余のフェルンと多少は競り合える力を持てたであろうにな」
「かの地は平地は無くとも鉱脈はあるらしいで御座るからなあ」
実際皇国南部ナスルロン地方は、山がちな山岳地帯だ。
平地が少なく耕地には向かないが、林業による木材や鉱脈も多い。
険しい地が多い為、未だ発見されていない鉱脈も多いとされている。
それが、他の地方──フェルン地方や他国へ高圧的に対応してきたために、せっかくの資源を交易などで生かすことが出来ず、力を伸ばせない。
そんなジレンマを抱えていた。
「だが、北は違う。かの地はかつて平地こそあるものの水に乏しく、反面北方群島との交易にて力を蓄えてきた。その上、昨今中央よりの運河により、広大な平地が耕地へと生まれ変わっておる。余のフェルンを脅かしかねぬ」
「脅かす、で御座るか?」
北の隆盛を予見し、危険視するシュラートに、ゼルグスは首をかしげる。
ナスルロンほど感情的に攻撃するような者が、他にも居るのか?
仮初の主であるフェルン候に向けた視線はそう物語っていた。
「不思議でもあるまい? 皇国は今上皇王陛下が起こしたが、前身たる王国の王家は、元より諸侯の調整役を担っていたのだ。ナスルロンとの戦も過去より続く流れであるように、皇国内諸侯は絶えず争って来た本来敵同士。いま一つの国となっているのは、他国の侵略に対する対策に過ぎぬよ」
かつての王国の頃から、この地方は聖地がある地峡地域や東方諸国群の脅威にさらされてきた。
矢面に立ってきたのは東部バリファス地方であるが、そこを抜かれれば中央部を押さえられ、北部西部南部は分断された上に各個撃破される窮地に陥る。
東方諸国群は強力な略奪者である騎馬民族も含むため、この脅威に対するにはこの地方が力を合わせるより他なかったのだ。
「事実、此度も砦を落とされておる。余のフェルンとしても動かねばならぬが……北はどう動くか」
「この機を見て動くで御座るか?」
「さて、北の思惑は余にも掴み切れぬ故にな。陛下や余のように、そなたの主と同じ者を内に抱えてはいるであろうが、手札はそれだけでもあるまいよ。東の蛮族共手腕が確かであるなら、ここで北は幾らか手札を明かすやもしれぬな」
つ、と軍議の間に広げられた地図の上で指を滑らせるシュラート。
その動いた先には、東の国境に当たる、低い山脈が示されていた。
東方諸国群の一角、コルム・カラン酋士国のア・リタイ傑氏族が強襲した砦のあるその地こそ、皇国の次なる戦いの舞台であった。




