第20話 ~巨獣の戦場 後~
四体の巨獣が争った森は、特に竜王と滅びの魔獣のぶつかり合いによって、大地喰らいの喰い痕を大きく広げ、荒地を押し広げていた。
転移の門から転移の門へと伸びた、むき出しの大地の帯。その先端は何かが爆発したかのようにやや広がり、また巨木がいくつもなぎ倒されてできた道のような箇所も存在している。
そしてその空地の中心では、単一の銀色の肉の塊へと融合した大地喰らいが変容を始めていた。
体の表面が瘤のように盛り上がったかと思うと、何かが飛び出したかのように天へと伸びていく。その数、九本。
伸びた部分は次第に、表面を先刻までの毛皮とは違う異質なものへと変化させていく。
鱗だ。
銀の輝きを帯びたまま、金属片の如き硬質さをもつ鱗がその体を覆っていく。
その頃には、天に伸びた部分に、明らかに頭とわかる塊が形成されていく。
突撃槍の如き鋭さを持つ無数の角を備え、見開いた瞳は縦に裂けた竜のそれ。
だが全体の輪郭は先だってとおなじ、猪に酷似したものなのは、暴食の大罪から生まれた定め故か。
荒れ野を踏みしめる巨木にも似た頑強な脚には、先刻までと同じく鉤爪が生えて地につきたてられた。
大地喰らいは、喰らいし獲物の形態を得る。
先の戦いのさなか、竜王とのぶつかり合いで生じた鱗の欠片と、微かに流れた九尾の狐の血が、大地喰らいに新たな力をもたらしているのだ。
竜の鱗と、自在に動く9本の尾――ならぬ首。
さらに二体であった力を一体にまとめたその巨体は、まさしく滅びの魔獣の名にふさわしい。
完全に変容を終え、異形の雄たけびを上げる大地喰らい。
今こそ、先だっての獲物を食らいつくさんと、天空へと9対の竜眼を向ける。
だが、大地喰らいが何事かを認識する前に、それは降り立った。
「ギガイアス、<降竜天雷脚>!!」
何者かの声と同時に、巨大な鋼の塊が、流星の如き勢いを以て伸びた大地喰らいの頭の一本へと突き刺さった。
60mを超えるほどになった大地喰らいに匹敵する50mを超える鋼の弾丸は、竜鱗をまとい頑強になったはずの魔獣の頭蓋を卵を割るよりも容易に踏み砕き、その勢いのまま首を縦に押しつぶした。
勢いのあまり大地に突き刺さった鋼の弾丸は、巻き上がった土ぼこりを一瞬で吹き払い、その姿を現す。
それは、鋼の巨人。
<万魔の主>夜光が操る、超合金魔像ギガイアス。
竜王ゲーゼルグの様に巨大な剣を持つでもなく、九尾の狐九乃葉の様に万能の尾をもつでもなく、その姿は徒手空拳の巨人だ。
しかし、その力はこと巨獣相手等の大規模戦闘では比類なき強大なもの。
さらに今は、全身を無数の能力増強魔法で一層の強化がなされている。
全身から闇色の、もしくは輝く魔力をほとばしらせて、ギガイアスは頭を失いのたうつ首を踏み潰し、一歩踏み出す。
あふれる痛みに、大地喰らいが巨神を明確な敵として認識する。不遜なる獲物を無数の首で貪り食わんと振り立てる。
斬!!
だが、天空よりの更なる脅威が、大地喰らいの首を更に数本まとめて切り飛ばした。
魔像と同じく、強化の魔力を身にまとった竜王が、己の身長に倍するほどに巨大化させた剣を以って、上空より裂帛の剣気を放ったのだ。
鋼よりも硬い竜鱗がただの木片の如く引き裂かれるほどの威力は、能力増強魔法と巨大化させた剣の相乗効果によるもの。
二本ほど首を跳ね飛ばした剣気は、その後も衰えることも知らず大地に深く鋭く傷跡を残し、戦場へ更なる傷跡を残す。
立て続けに頭を失った大地喰らいが、切断面から大量の血と体液を撒き散らした。
雨のようにあたりへ降るそれ。
しかし、それはただの血ではすまなかった。
血の降りかかった場所が焼け焦げた異臭を放ったかと思うと、次の瞬間炎を上げ燃え上がる。
大地喰らいが強酸性のモノへと変化していたのだ。高熱でもあるらしく、食べ残しともいえる木々の欠片を次々炎に包んでいく。
「くっ、ここで炎は被害が大きすぎる! ここの!」
「畏まりまして御座います!」
超合金魔像に乗り込んだ夜光の声に、上空で戦況を見つめていた九尾の狐が応える。
空を翔るように踏破すると、9本の尾を大きく伸ばす。
伸びた尾は、主の意を汲み取り、鉄砲水の如き巨大な水流へと変わり、辺りに生じた火災の種を悉く鎮火していく。
同時に鋼の巨神から、今度は二人の女の声が響いた。
「<属性減衰:火炎>!」
「<強酸防壁>!>」
二重となった魔力の帯が、魔像を中心に円形の領域を形成される。荒地となった箇所を多い尽くすほどの広さで展開されたそれは、領域内の炎と酸の影響力を一気に減退させた。
リムスティアの能力減衰魔法と、マリアベルの闇の神による神聖魔法の防壁が、大地さえも溶かす滅びの魔獣の毒血を無力化した。
本来ならば、魔王とされるリムスティアも、真祖たるマリアベルも、これほど広大な範囲での補助魔法を使用するには、相応の準備が必要となる。
それを、この短時間で行いえたのは、ひとえにそれがギガイアスの中からかけたが為だ。
魔像の胸の奥、乗り物の操縦席であるかのようなその空間は、『祭壇』であった。
ギガイアスは、その機体に組み込まれた魔法回路により、その祭壇からの魔法の効果を増幅する。
かつての『AE』では、通常サイズの対象を範囲とする魔法を、大規模戦闘にさえ通用する威力や範囲に増幅するのだ。
それは補助魔法にも当てはまっていた。
大地喰らいの変貌する間、夜光達はただ手をこまねいて変貌を待っていたのではない。
その間、無数の能力増強の魔法を掛け合っていたのだ。
粘液獣にも似た形態の大地喰らいは、いわば全身が消化器官であり、これへ魔法をかけることは、魔力をそのまま吸収され力を与えることにつながる。
しかし、他の生き物の形態を得たときは、他の生き物の特性を得るがゆえに攻撃も有効になる。
その時に備え、万全な態勢を整えた夜光達は、唯でさえも伝説的な力を更に高め、打ち滅ぼすべき魔獣へと刃を向けたのだ。
「ギガイアス、腕部旋回開始! 螺旋腕撃!!」
主の声に、ギガイアスは腕に内蔵された魔法装置を発動させた。
双腕の装甲が轟音を立て回転し始め、すぐさま目にも留まらぬほどとなる。
更に、巨体に見合わぬほど鋭く、鋼の巨人が踏み込んだ!
天地を揺らす衝撃が、大地喰らいの胴を貫ぬく。
螺旋に渦巻く豪腕が、頑強な鱗も、皮膚の下の部厚い脂肪もものともせず、胴の奥深くへと突き入れられたのだ。
無論、大地喰らいの体内に腕を突き入れるということは、あの毒血の袋に腕を突き入れるのに等しい。
だが、鉱物系レア素材をふんだんに使用したギガイアスを形成する特殊合金は、極度の高熱や強酸にも高い耐性を持っている。その上大規模戦闘級保護魔法が仲間すべての身体を守っている。
故に、巨神の腕は傷つくことなく魔獣の臓腑を深く抉った。
「「「「「ゴガァァァァァァァッツ!!」」」」」
「ギガイアス、<破軍衝>起爆!!!」
無数の頭が、苦痛のあまりに多重に重なった悲鳴を上げる。
鞭であるかのように首を頭を振り立て、己に腕を突き入れる魔像に噛み付こうと牙をむく。
しかし、その牙が鋼の装甲へ触れるよりも早く、主の命により巨人の腕に仕込まれた更なる魔法装置が雄叫びをあげる!
弩轟!!!!
大地喰らいの背が、突如として内から弾け飛ぶ!
無数の血と肉片が、煙のごとくに虚空へ吹き上がった。
もし大地喰らいの背側から何者かが見ていたならば、背に空いた大穴とその奥に白熱した鋼の拳が見えていただろう。
炎と風の精霊石が力の源の、拳を中心とした爆発魔法は、滅びの魔獣に深いダメージを与えていた。
再び、逃げるかのように形を崩し、粘液獣のごとき塊へと移ろうとする。
「ええい、またかこやつ!」
「落ち着くのじゃ。何も今ので無傷であった訳でもあるまい。ほれ、先よりも縮んでおるわ」
それを見、忌々しげにはき捨てるゲーゼルグを、九乃葉がたしなめている。
だが、彼らの主は、まったく別のものを見ていた。
先の<破軍衝>の爆発の中、光るものが背から飛び出していたのを、鋼鉄の巨人の眼たる硬化水晶はしっかりと捉え、祭壇の壁に映し出していたのである。
大地喰らいが形を崩したのは、その光るものが体内よりはじき出された直後。
同時に、形を崩した大地喰らいが再び集まっているのが、光るものの落ちた付近。
「二人とも、見た?」
「はい、ご主人様! <不逃の標的>を使用します」
「私もあれを追いますわ。見つけ次第、<精神の情景>を使いますわね」
主の一言で阿吽の呼吸を見せる吸血鬼と魔王は、目標とした対象を発光させ、居場所を追尾し続ける追跡魔法と、自身の見た情報を直接他者に送る感覚共有の魔法を準備し始める。
超合金魔像の魔法効果増強作用も合わさり、数瞬の後には銀の肉の塊の奥に外からでもそれとわかる魔力の輝きが生じていた。
それは、魔王の知覚により正確に把握され、その全てを魔像を操る主へと送られた。
そして、三度大地喰らいは異形を成す。
その肉の容量を大きく減じた滅びの魔獣は、これまでとはまったく別の形態をとっていた。
「……餓鬼、か」
人のごとき二本の足と二本の腕。大きく膨れた腹に反し、肋骨の浮き出たやせこけた巨人。
その『身長』は、巨大には変わらないとはいえ、ギガイアスと変わらぬほどに縮んでいる。
先に取り込んだ全身を覆う竜の鱗と、頭だけは猪に似たままの巨人は、膨れた腹の奥に追尾魔法の輝きを放っていた。
大地喰らいは七つの大罪の内、暴食の罪が世界に広がり、それが暴走した結果生まれるという存在。
暴食の源は、飢え。
『AE』では登場しない『餓鬼』の姿を大地喰らいがとるのは、ある意味必然であるのかもしれない。
半ば飛び出た眼を血走らせ、大地喰らいはその姿に見合わない低く重い叫びを上げ、飛び掛った。
「ゴォォォァァァァァッツ!!!」
「ぬっ、速い!? ぬ、うううっ!?」
細くやせ衰えた手足に見合わぬ俊敏さで、ゲーゼルグに飛び掛る。
想像以上の動きに不意を突かれたゲーゼルグだが、剣を立て辛うじていまだ二回りは体格に秀でる滅びの魔物の突進を受け止めた。
竜王の鼻先で、ガチガチと噛み合わされる大地喰らいの牙。
鼻先に漂う異臭に、ゲーゼルグはその正体を察した。
それは飢餓臭。人が極限まで飢えると、独特の臭気を放つという、まさしくそれだった。
つまり、大地喰らいは今まさしく飢えているのだ。ゲーゼルグたちが、大地喰らいの『食事』を妨害してまださほど経っていないにも拘らず。
そして、その飢えが、ゲーゼルグ達にかけられた補助の魔法をも上回る効果を、大地喰らいに与えていた。
「ギギギギィィィィッィイ!!」
「ぐ! この!! なんという力か!?」
涎さえ垂れ流し、ゲーゼルグに迫る大地喰らいに、比類なき力を持つはずの竜王が押されていた。
次第に剣が眼前へとせまり、さらにその向こうにある乱杭歯に縁取られたあぎとが近づいてくる。
大地喰らいにとって不幸だったのは、ゲーゼルグがただの竜王ではなかったことだ。
「……あまく、見るでないわ!!」
瞬間、大地喰らいの目前から、ゲーゼルグの姿が掻き消えた。
同時に、餓鬼巨人となった滅びの魔物の両腕が、根元から切り飛ばされる。
ゲーゼルグは、迫る大地喰らいの力をいなし体を入れ替えるとすれ違いざまの二連剣を放ったのだ。
再び多量の血をあふれさせた大地喰らい。
そこへ、再び鋼の弾丸が襲い掛かった!
「ギガイアス、そこだ! <連貫>!!」
背の魔法回路から爆風を迸らせ、鋼の巨神は流星のごとき突進のまま、貫手にした豪腕を回転させることなく膨れた餓鬼の腹へと突き入れた!
強靭なはずの竜の鱗、脂肪の層、そして『核』を守る肉の鎧の一切を貫き、腹の奥深くへと差し込まれた豪腕。
そしてすばやく抜かれたその手の中には、追跡魔法のまばゆい輝き。
『核』にまとわりつく肉片を、腕を振り払い散らすと同時に、餓鬼の姿をとった銀色の肉は、音もなく崩れていく。
先刻までのように粘液獣のような『塊』にすらなれない銀の肉は、魔像の足元から肌を伝い『核』の元へとたどり着こうとする。
が、魔像が背の魔法装置を起動させ宙へと浮かぶと、それすらも叶わない。
魔像の手の中の『核』も、それ自体には動く力はないらしく、魔像の手の中でその本来の輝きと追跡魔法の輝きを放つばかり。
そして……既に触れたものを溶かす力さえ失った銀の肉は、急速にその色合いを黒く濁し、遂には汚泥のごとき液体と成り果てた。
それも、火の手の鎮火の為に九乃葉が生み出した水とともに、大地へと染み込み、またはいずこへかと流れ去っていく。
「……あとは、此れをどうにかしないとね。それにこの後始末も……」
魔像の胸元の搭乗口から顔を出した夜光は、魔像の手の中に輝く結晶体と、盛大に荒れ果てた森の惨状を見ながら、この夜がまだまだ長いことを予想して、頭を抱えたのだった。