第24話 ~魔獣の貌~
『白金の祝福』により作られた森、その上空。
煌めく胞子の霧が雲のように漂うそこで、二つの嵐が森の中央に向けて突き進んでいた。
一つは、雄々しく翼を広げた、巨大な竜。
羽ばたきは暴風となって周囲の霧を吹き散らし、雲霞の様に追いすがろうとする『白金の騎士』達を直下の森へと叩き落す。
時折吐かれる竜の吐息は、驚異的な威力で眼下の森とその先、目指す『白金の大樹』へと突き刺さり既に多少なりとも傷つけていた。
もう一方は、まるで色とりどりの竜巻の集合体だ。
炎や氷、雷や突風、毒に飛礫、深淵の如き闇の波動に、清涼なる聖なる光、そして純粋なるエネルギー。
九種類の属性の塊の正体は、長くのばされた巨大な尾。
九尾の狐である九乃葉がその力を完全に開放し、荒れ狂っているのだった。
「よくも! 妾の尾を!!」
ゲーゼルグら6人のモンスター達に、無数の『白金の騎士』や『白金の大樹』からの胞子の放射はそれぞれに振り分けられていたが、特に運が悪かったのは、この九乃葉に向かった者達だろう。
振り回される9本の尾は、まるで巨大な鞭だ。
それぞれが炎などの属性そのものに置き換わり、同時に明確な質量を伴ってうち振るわれる。
属性を帯び無い時でさえ、丸太程の太さの尾が振るわれれば、巨人が腕を振るうに等しい。
まして属性付きとなれば、最早災厄。
トドメとばかりに、そのような尾が9本もとなれば、小型の暴風雨もかくやというもの。
その射程内に入った『白金の騎士』は、例外なく粉々に粉砕され、焼かれ、凍てつき、塵も同然の残骸に成り果てる。
大型化したままの巨体を狙った『白金の大樹』からの無数の胞子砲撃も、炎の尾が触れただけで焼き尽くし、全く効果が無い。
……いや、むしろ逆だ。
「その、汚らわしい水鉄砲擬きで、よくも妾の尾を!!」
胞子砲で狙われるほどに、九乃葉の激情は燃え盛るばかり。
もちろん九乃葉が荒れ狂っているのは、理由がある。
散開する寸前に受けた、胞子砲。アレこそ、彼女が怒り狂っている原因だ。
胞子砲によって受けた被害は、深刻なモノではない。
ゲーゼルグは翼の一部を、九乃葉は尾の一本をかすめただけだ。
それぞれに胞子の塊が付着し浸食されそうになったものの、直ぐに傷を胞子ごと焼いて事なきを得ている。
「主様お気に入りの、妾の尾を! 主様が好んで抱きしめて下さる尾を!」
だが、尾を傷つけた事。それこそが、九乃葉にとっての逆鱗だった。
夜光は女性陣から向けられる好意を理解しているが、ある種の負い目と他に優先すべきことがあると言う想いから、当初夜間の同衾を拒んでいた。
しかし、多義的な意味で護衛は必要との意見で押し切られ、添い寝係と言うモノを許すに至っている。
つまり毎夜誰かが夜光とベッドを共にしているのだ。
ただし女性陣は協定を結びお互いに抜け駆けを禁じた。
夜光の睡眠時は何か異常があり次第、即他の添い寝係に異常を知らせる感知魔法を付与されたのだ。
その為、夜光は毎夜中々に眠れず、密かに睡眠不足になっていた。
何しろ夜光に近しく、添い寝係を望んだ者達は、女性的な魅力にあふれている。
それこそ、傾国ともいうべき男が求めずにはいられなくなるような美女ばかりだ。
気が休まるはずもない。
もっともそれぞれに心を解きほぐす手腕にも種族的に長けているため、夜光の睡眠不足が知られるにつれて、夜光を癒す方向に尽力していくことになるのだが。
そんな中、九乃葉だけは添い寝係となった当初から夜光に望まれることが多かったのだ。
それは、彼女の尾を夜光が抱き枕として気に入ってしまったから。
しなやかさと滑らかさ、ふわふわとした抱き心地は、現実の最高級枕でさえ遠く及ばない至上の感触だ。
世界が実体化した際の初めての夜、夜光は子狐姿の九乃葉の尾を抱き枕にし、そこで虜になったのだ。
それから九乃葉にとって、自分の尾はもっとも誇るべき部分となっていた。
一人の女として求められていないのは寂しくはあるが、彼女の本当の貌は狐だ。
かつて、野良のモンスターとして、夕日で真っ赤に染まったすすき野の中、夜光の慈悲で救ってもらった子狐こそが彼女だ。
だからこそ、本来の姿の自分自身を、愛する主に気に入って貰ったというのは、九乃葉にとって最上の喜びだった。
だが……あろうことか、あの胞子の放射で、その誇りが穢されたのだ。
「妾の尾は、主様のモノなんよ……ソレを、あんな汚物で、よくもやってくれはったなぁ!!!」
九乃葉の魔獣としての貌、九尾の狐の口が、耳まで割けた。
牙を剥きだしに、あらゆるものを喰らわんとする獣の本性を、九乃葉は顕わにしたのだ。
「燃えや! こないなモンみんな燃え尽きや!!」
かつて彼女がアナザーアースの世界にあった頃、九乃葉は明確な意思を持たなかった。
意志を得てからも、殆どの時間を夜光の傍で過ごして来た九乃葉は、怒りと言うモノを数える程しか感じたことが無い。
一度目は、夜光が『門』の外からやって来た不埒者達に取り押さえられ、甚振られているのを見た時。
二度目は、皇都にて夜光が惨殺され、地下でその骸を見つけた際。
そして、三度目が、今この時だ。
轟!!!
爆炎が、地下空間で燃え盛った。
口まで割けた九乃葉の口から、津波の如き炎の本流が周囲に向けまき散らされたのだ。
九乃葉は、元は小狐というモンスターから進化してきている。
小狐は、野生の獣に近いモンスターだが、スキルとして狐火という炎系統の魔法攻撃を扱える特性がある。
つまり、大本からして炎の属性の扱いに秀でているのだ。
普段こそ属性を帯びた尾を使ってばかりだが、それは彼女にとって最も手軽な攻撃手段であるに過ぎない。
順当に位階を上げ、炎の扱いを磨き上げて行った九乃葉は、この様に全てを燃やし尽くす様な炎を操り得るのだ。
その火力は凄まじく、眼下の森が広域に焼き払われ、次いで周囲に居た『白金の騎士』も灰さえ残らず消し飛ぶほど。
「まだや、まだこんなもんで腹の虫はおさまらへん!!」
荒れ狂う九尾の狐は、属性の尾を振りたくり、大きく開けた口や、周囲に発生させた火の玉を操ってはすべてを焼き払っていく。
九乃葉がある程度冷静になり、『白金の大樹』に向かうまで、今暫く激情の発散が必要そうであった。