第13話 ~とある暗がりの一幕~
その者は、唯一神教会の神秘者の一人であった。
(こ、ここまで来たら……)
聖地周辺に広がる地下通路。その一つに、男は息をひそめ隠れていた。
ドワーフの職人達と、その使役する自動人形、そして地の精霊。
聖地から派遣された襲撃部隊や後続の神秘者がそれらに無力化されていく中、唯一逃れ得たのがこの男だった。
それは、男が受けた祝福によるものだ。
己の存在を希薄化させるその神秘は一種の霊体化であり、自身の肉体を文字通り雲散霧消させる。
最大限に発揮したなら『門』の中の高位の存在ですら認識が困難となるのだ。
ただし存在の希薄化は、存在そのものも世界に霧散する危険性を秘めていた。
希薄化している時間が長ければ長いほど、男の存在が世界に融け行く危険をはらむ。
この男は、そのリスクを負いつつ、ドワーフの職人やその使役する存在から、何とか逃げおおせていた。
しかし、必死であった為、男も己の現在位置を見失っていた。
そもそも聖地周辺の地下通路は、天然の洞窟や亀裂などを利用している為、教会の者達でさえ訓練として事前に覚えた経路以外を把握し切れていないのだ。
天然の洞窟部分は、時にそれが当てはまる。
僅かな生命力の痕跡を頼りに追跡する地の精霊から逃れるために、男はそんな天然の洞窟に身を躍らせていた。
(あのような汚らわしい者達に、我らが後れを取るなど……!)
教会にとって、『門』の中の物は、悍ましき穢れの象徴だ。
聖地より始まるこの世界を、穢し、狂わせ、滅ぼす元凶だとさえ教えられている。
だからこそ、唯一神教会は『門』の中のモノを利用する皇国に対して、有形無形問わず工作を重ねて来た。
この男もまた教会の教えに従い、不遜なる背教者どもを掣肘せんと前線に赴いたのだ。
しかし結果は見ての通りだ。
男が『門』の中の遺物と比べても圧倒できると信じていた仲間の神秘者や祝福を与えられた者達は、成人の腰ほどの背丈しか持たない樽のような体型の者達に、一方的に蹂躙されたのだ。
清涼たる教会の教えに忠実な自分たちが、穢れた『門』の産物より逃げ帰る。
その事実は、男の信仰に深いくさびを打ち込むことになった。
そして、今だ。
(何とかして聖地に戻らねば……)
男は辺りを見回しながら、己の状況を確認した。
幸い、希薄化の神秘を持ち合わせた為に、男は傷一つ負っていない。
しかし同時に、現在位置は不明なままだ。
何しろ地の精霊を撒くために、一時地下水脈へ落ちてその探知から逃れている。
大地を踏みしめる者に対して絶対の感知能力を持つ地の精霊を撒くには、他に手段が無かったとはいえ、男自身の方向感覚を大いに狂わせる結果に繋がってしまった。
そして男は希薄化は可能なものの、祝福を受け異形化した者らのように暗闇を見通せるような目を持ち合わせていない。
一応、たいまつなどを用意していたが、地下水脈に潜った事もあり、その殆どはロクに火をつける事もできなかった。
その為、男は暗闇の中をほぼ手探りで進んでいる。
(しかし、随分と下に落ちた。水脈にも流された以上、ここは未知領域なのかもしれん)
余りに入り組み、時に水脈の浸食などによって新たな地下の空間が発生し得る聖地周辺の地下は、教会ですら把握していない領域が存在する。
この男は、実際その領域に足を踏み入れていた。
上下にも入り組む天然の洞窟は、登っているのか降っているのかもわからなくなる。
(くっ、やはり歩みにくい。聖地に戻り得たなら、この付近の地下に手を加える事を進言しよう)
何とか進みながらそう考える男だったが、同時にある不安を抱えていた。
唯一神教会の教えの一つに、この様な一節が存在する。
『地の底に触れる事無かれ。そは最も神聖であるが故に禁忌である。最後の日、罪ある魂が地の底より溢れ、裁きを受けるであろう』
教会の教えによると、人は命尽きた際、全ての魂が地の底へ還り、審判の時を待つのだと。
だからこそ、人々は地の底へ辿り着きやすいように、遺体を地に埋めるのだと。
そして、最後の日に罪のある魂だけ、裁かれるために地の底から蘇るのだと。
男の不安はそれだ。
教会の信徒にとって、地下深くとは冥府に他ならない。
深く潜る程に、これまでに生まれ死んでいった者達の魂が眠る地に近づくのだから、気が気で無いのだろう。
皇国部隊へ襲撃を行った際に使用した地下通路は、比較的浅くまた教会の祝福を施されていた為に問題なかったが、そんな領域は遥か上方だ。
(……せめてわずかでも明かりがあれば……む?)
そんな事を想い進む男の目に、望むものが見えた。
光だ。
淡くではあるが、通路の進む先、そこから僅かな光が差し込んでいた。
(おお、神よ! 導きに感謝いたします!!)
これこそ、神の啓示と、男は光の下へと足を速める。
しかし進むにつれて、男の脳裏に疑問が浮かんでは消えていく。
(……あの光は何だ? このような地の底にあのような輝きをもたらすものがあると言うのか?)
疑念を浮かべながら進んだ先。仄かな輝きは、通路の終点、その床に走った一筋の亀裂からもたらされていた。
容易く人を飲み込めるであろう、巨大なヒビ。そこから漏れる光の正体を男は探ろうとして。
「………なんだ、あれは」
目に入った光景に、思わず言葉が漏れた。漏れて、しまった。
だからこそ、それは無慈悲な必然となる。
「排除開始」
(……!?)
抑揚のない声と同時に、ほのかな光に包まれながら、男は一瞬で消滅した。
「禁忌に触れる者、その全ては無に還る」
そしてその凶行を為したモノ……亀裂から伸びあがった、酷く薄っぺらい影のような何かは、一言残すと再び亀裂の先に消えてゆく。
僅かに残った灰……男の残骸のようなモノも、亀裂の向こうから吹き付ける風に消えてゆく。
全ては、無かった事になったように。




