第17話 ~滅びの魔獣~
大陸中央から大河エッツァーが流れ込む広西海は、大陸の西に広がる広大な海だ。その彼方に夕日が沈むと、無数の星々が輝きだした。
夜の帳はあらゆる者へ平等に降り、全てを内に抱く。
昼に生きるモノ達に代わり、闇の中で野に森に夜行性の生き物たちが動き出す。
しかしその丘陵では、しばらく前から生けるモノそのものが、一つの例外を除き姿を消していた。
『災厄』の為だ。
ごく少数の運の良いモノは、他のモノが呑まれている間に逃げ出せたが、殆どの大多数は突如現れた『災厄』に呑まれた為であった。
そして夜の闇の中、災厄は周囲を睥睨していた。
夜の闇であろうとも、災厄の目は容易に周囲を見通せるし、その巨大な鼻が喰らうべき獲物の居場所を視覚よりも正確に暴き出す。
だが周辺は粗方食い尽くされていた。時に獲物が潜む岩ごと喰らった結果、周囲は荒れ野のような有様に成り果てている。
それでも収まらぬ飢えに、災厄の魔獣は獲物を求め動き出した。
その体格は余りに巨大だ。
人里や街道から離れた丘陵地の谷間に収まっていたからこそ目立ってはいなかったが、そうでなければとうの昔に人目に付き、皇国の軍が動いていたであろう。
なにしろその巨大さは、王都の大教会にも匹敵するし、その体高は尖塔の高さを超える程だ。
星明りのかすかな光の中でさえ、全身を覆う毛皮が銀の微かなきらめきを残す。
より獲物が居る側へ、丘陵そのものを喰らいながら進むその先、遥か彼方に人の手による建物の影がある。
だが、その嗅覚はただ漫然と災厄を前へと進ませはしなかった。丘陵地を抜けたその先で、災厄の鼻は獲物の正確な方向を嗅ぎとった。
大地喰らいには知性は無い。その行動は本能と何よりもその身を苛む飢えに支配されている。
故に大地喰らいは、獲物の香りに導かれるまま幾分進路を変え進んでいく。
その先には夜の闇に覆われた巨大な影……ヴェーチェの森が広がっていた。
「あぁ? 『門』が消えただぁ?」
「そうなんですよ大旦那! あれってまた何か起きるんでしょうか?」
関屋孫六は、ポーション職人のミルファから、突然の報告を受けて顔をしかめていた。
関屋の商店街は、今山賊の被害から立ち直ろうとしている最中である。
職人たちは皆復活できたものの、蘇生魔法のデメリットにより、職人としての腕が鈍ったものが多い。 同時に精神的ショックが後を引いているのか、襲撃から半日たった現状では壊れた建物などの修復も思うように進んでいなかった。
幸い、明日からは夜光の世界からドワーフの職人たちがやってくることになり、また精神的ショックもホーリィの神官たちやリムスティア配下の夢魔たちが和らげてくれている。
この分なら、明日からならまともに修復を開始できそうだ、と目算していたところにこの報告である。
門の異常ともなれば、何か厄介ごとかと思うのも無理はないだろう。
「……そもそも今門は機能を止めてんだ。消えるも何もないと思うが……おい、ユニオンゲートは稼働してるのか?」
「そっちはさっき見たけど光ってましたよー?」
どういう事だ? と関屋は訝しむ。
またこの小世界が実体化したような異変でも起きたのなら、外への門だけではなく、ユニオンゲートも異常を起こすはずだ。
だが、そちら側は異常がないとすると、門自体……それも、商店街側ではなく外の森の中にある門の側に何かあったのだろうか?
気になった関屋が情報ウィンドウを呼び出すと、意識に浮かぶそこには次の一文があった。
>>フィールドポータルに異常発生。ワールド側フィールドポータルが破壊されました。自然再生まで5時間27分かかります。
「ワールド側のポータル……外側の門が壊されているだと? どういうこった?」
関屋は意識に浮かぶ一文の意味を理解し、困惑する。
門とは入り口と出口の対になった魔法陣だ。片側を失えば、残った側も消えるのが道理だ。
だが一概に門と言っても、固定型の転移の門は、基本的に魔法的な産物であり、物理的に破壊する事は出来ない。
対抗魔法などで打ち消しを試みる事も出来るが、門は重要構造物の一種の為基本的に破壊する事は出来ない。
魔法に対する強度自体かなり高く設定されており、仮に破壊されたとしても今のように一定時間で復元する。
関屋やホーリィの世界に通じる門を『封鎖』するに留めたのも、これが一因だったのだ。
だが、実際に門は破壊されたという。
いったい誰が、何の為に?
浮かぶ疑問はとめどなく溢れるが、調べる為外に出ようにも、門は破壊されたばかりだ。
それに…
「門を壊せる奴なんぞ、伝説級の魔法系特化な廃人でもなかなか居なかったぞ? そんな奴が外に居るってぇのか?」
仮に門を破壊できる存在が居たとしたら、うかつに出ていくのは危険だ。
先の山賊の件もあるが、外で出あうナニモノかが友好的な存在とは限らない。
いや、封鎖してあるとはいえ門をいきなり破壊するような存在だ。直接出くわしたら、何をされるかわからないのだ。
そこまで考えた関屋は、自身の指で真新しく輝く指輪に目を向ける。
今のところ、指輪から何か緊急の連絡は無い。と言う事は、仲間内でこの異変に気が付いたのは関屋が初めてと言う事になるのだろう。
関屋の世界への門と、ホーリィ、夜光それぞれの世界への門は徒歩で数時間程の距離だ。
いま連絡をつければ、異常の元の接近よりも早く知らせる事が出来るだろう。
「……ユニオンリーダー、それにホーリィの姐ちゃん、聞こえるか? まだ寝てやしないだろうな?」
指輪が発動するのも待たず関屋は早口で直通ボイスチャットへ話しかける。
内に生まれた嫌な予感に駆り立てられるように。
それなりの規模の都市には、夜にこそ生きる道を選んだ、もしくは選ばざるを得なかった者達が確かに存在する。
そして、このガーゼルでもそれは同じ。
ランプの明かりに照らされ、もしくはあえて夜の闇に沈むそれらの者達。
「ふふっ……良い夜ですわ、ご主人様」
夜風を全身に浴びるこの美女などは、夜に生きるモノの最たる存在だろう。
陽光の中にあってはその本来の力を発揮できない存在、吸血鬼。その真祖たる彼女マリアベルは、夜の都市の上空を踊るように飛んでいた。
翼も無く空を舞うのは、真祖たるが故か。腕に抱いた小柄な人影を導くように、高く高く夜空を駆ける。
肢体を覆うナイトドレスは漆黒、また影のような気がその身を包んでいるため、仮に街の者が夜空を見上げようとも、その姿を捉えることは出来ないだろう。
その腕の中の長衣を纏った少年――夜光は、星明りに浮かぶ夜の街を見下ろしその規模に感心した声をこぼしつつ、彼方に視線を向けた。
「空から見ると、改めて中々大きい町だってわかるなぁ。まぁ、今はそれどころじゃないけど。僕達の世界への門は……ああ、あそこか」
関屋さんからの異常の報告があったのは、つい先ほどの事だ。
森に異常有り。その言葉を確かめるため、僕とマリアベルは空から森を調べることにしたのだ。
上空数百mからの視点は、町から少々離れた先に広がる広大な森を容易に見通せた。
煌々と輝く門の光が、地上から天へと延びているのが、はっきりとわかる。
森の中に、その数……二つ。それ以外でははるか遠くの山肌に一つと、別方向の田園地帯にもう一つ。
森の中でリムスティアに確認してもらった際は、森の中に三つの門があったはずだ。
確かに、関屋さんの言うとおりに何か起こっているのだろう。
「マリアベル、此処から森で何が起きているのか、わかる?」
僕は僕を抱え飛ぶマリアベルに問いかける。
彼女は夜の支配者たる吸血鬼の真祖だ。夜の闇は彼女の世界。
暗闇など容易に見通し、その感覚は昼間よりも鋭くなっているはずだ。
「はふぅ……ますたーのにお――は、ハイ何でしょう!?」
……数瞬のタイムラグは脇に置き、僕は改めて彼女に森の様子を尋ねた。
「そうですわね……ご主人様のお話に聞いていた、三つ目の門のあるあたりですけど、樹木が随分と少ない様な気がしますわ」
「木が、少なく……?」
僕は視線を凝らした。空から見ているのと、星明りがそれなりに有るので、特殊な感覚が無くとも夜目を利かせられそうだ。
だが、黒々とした森の影の広さは、感知系スキルの無い僕に何物も見通せない闇そのものだ。
今日一日歩いた場所のはずなのに。そう思いながら僕の世界への門の光を見る。
あそこから、ホーリィさんの門に行ったのが昨日で……
二つ目の天への光の柱に視線を移した時、突如マリアベルの身体が固くなった。
「マリアベル……?」
僕は訝しんで彼女に問いかける。
帰ってきたのは奇妙な質問だった。
「……モンスターにお詳しいご主人様にお聞きしたのですが、銀の毛皮を持つ巨大モンスターと言うのには、どんな種類があるのでしょうか?」
突然の質問だが、その意図は僕にもすぐに理解できた。
ホーリィさんの世界に続く門の向こう、巨木の列が揺れていた。
かと思うと、遠目でも判る程の巨木が、ゆっくりとした動きで倒れていく。
明らかに異常な事態だ。
ガーゼルの近くにある森――ヴェーチェの森は、巨大な樹木が立ち茂っている。
その高さは炎の巨人などの大型種モンスターよりも大きいのだが、その木々を容易に引き倒すような何事か起こっていることになるのだ。
そして、その原因となった思しき存在が、木々の合間に見え隠れしている。
それは微かな星明りさえ反射するモノだった。マリアベルの言が確かなら、それは銀色の毛皮なのだろう。
遠すぎて詳しくはわからないが、実際に森を歩き木々の高さを知っているからこそ、その巨大さは感じ取れた。
森の木々は、ざっと見て良くある電柱の四倍ほどの高さがあったように思う。
それ以上の体高となると、電柱の高さを14mと考えたとして56m以上。
つまり恐らくは体高は60mに届くのではないだろうか?
それは、大型モンスター化したゲーゼルグの倍近い大きさだ。
圧倒的巨大さと、ゆっくりと森の中を進むその姿に、僕は脳裏にひらめくものを感じた。
「60m級の銀の毛皮を持つモンスター……魔獣に、そんなモンスターが居たような」
だがその名や特徴はなかなか浮かんでこなかった。
少なくとも、契約や仲間にはできないモンスターのはずだ。
出来るなら、既に僕自身のマイフィールドに居るはずで、あんな巨大なモンスター容易に忘れないだろう。
せめて、全体の姿を見れば直ぐに正体を浮かべられるだけの自信があるが、シルエットにも満たない微かな姿のみでは、さすがの僕も正体をなかなかつかめない。
それに内心で何か引っかかった。
何か起きるはずの無い事が起きているような……
だけど、状況は待ってくれない。
それに気が付いたのは、やはりマリアベルの方だった。
「ご主人様、あの巨大なモンスター、門の魔法陣に向かって動いているような……」
「……っ!?」
確かに、あの銀の毛皮のナニカはホーリィさんの門の方面へ向けて移動しているように見える。
ならば、関屋さんの世界への扉を破壊したのはあの魔獣だろうか? 関屋さんの門を壊したのと同様に、ホーリィさんの世界への門を壊そうと言うのだろうか?
仮にそうなら魔法的な要素を破壊できる何かを、あの銀の魔獣は待ち合わせていることになる。
マリアベルの言うとおり、このまま進むとじきにホーリィさんの門や僕の世界への門にたどり着くようだ。
関屋さんの連絡では、門を破壊されても自動で復元されるようだが、だと言って見過ごすわけにはいかない。
あの銀の魔獣は、微かに見えるだけでも何か空恐ろしいものを感じる。
まるで破滅そのもののような……そこまで連想し、僕は急にその正体に思い至った。
「あ……もしかして、<大地喰らい>!?」
「大地喰らい? あれは、そういう名なのですね。流石はご主人様です! それでどのようなモンスターなのですか?」
マリアベルが問いかけてくるが、僕はそれどころではない。
何故なら、<大地喰らい>というモンスターは、『存在するはずの無いモンスター』だからだ。
「……あれは、世界の終わりに現れる『はずだった』モンスターなんだよ」
「……?」
僕の言葉が理解できなかったのか、マリアベルが小首をかしげる。
その仕草は絶世の美女がするのにいっそ合わないほど可愛らしいモノだが、今はそれに言及する余裕が無い。
僕はただ、記憶の中にある『AE』のある設定を言葉にしながら、動揺を抑えるのに必死だ。
「マリアベル、君たちが生まれた世界に来た『終わり』には、至高の最高神や大魔王さえ覆せない大異変が起こるとされていたんだ……無数の天変地異に、未だ誰も見たことのない魔物の群れが、世界を滅ぼしつくす、と。実際には、その形での滅びは起こらなかったのだけど……」
僕の言葉に何かを感じたのか、マリアベルは視線を森の向こうの銀のシルエットに向ける。
「まさか……あれは、魔物の内の……」
「うん、マリィ、君が思った通り。アレはその滅びの魔物の内の一体……全てを食らい尽すモノなんだ」
つまり、『AE』で設定としてのみ存在していた、ゲームで登場しない魔物なのだ、アレは。
公式の発表で、『AE』から『AE2』への移行するゲーム的な設定ストーリーの中にのみ、存在した魔物。
運営会社の公式HPに挿絵付きで載っていたので、良く覚えている。
同時に正体がわかった今なら、わかる。あの銀の魔獣が今何をしているのか。
森を食っているのだ。
大地喰らいは人々の暴食の大罪が形になって暴走した存在だという設定だったはずだ。
その食欲の対象はあらゆるモノに及ぶ。生物、モンスター、岩や大地、そして……植物も。
あの銀の魔獣は今まさに、森に生える無数の巨木を喰らっているのだ。
今なら、関屋さんの世界へ続く門がどうやって壊されたのかもわかる。
アレは、その目につくものなら、たとえ魔法生物であっても食いつく存在だ。
なら、これ見よがしに輝く門はさぞや目についた事だろう。
そして……これから僕が何をしなければいけないかも、わかった。
「マリアベル、急いで戻ろう。アレが森の中に居て、まだ誰の目についていない今なら……まだ間に合うはずだから」
僕はユニオンリングを起動させながら、マリアベルを促す。
急がなければいけない。あれは放置すれば、辺り一面を荒野に変えてしまう。
僕らのマイフィールドへはあの巨体故に入り込んでは来ないはずだから、僕らの世界自体は影響ないのは分かっている。
だけど、大地喰らいは最終的にはその名の通り、大地すら喰らい始める。
そうなったとき、小世界に本当に影響がないと断言する材料は持ち合わせていなかった。
なにより、これ以上ことが大きくなる前にあの魔獣に対処した方が、手遅れになるよりもよほどましという物だろう。
ただ、あの巨体となると、対処可能なのは大型種化の能力を持つゲーゼルグや九乃葉と……
僕は、脳裏に浮かんだ仲間の名に頷いた。
そう、彼の力を借りる時が、やってきたのかもしれない。
僕の最後のパーティーモンスターの力を。
決意と共に夜空を飛翔する僕らを、現れたばかりの月が案じるように照らしていた。