プロローグ 堕ちし世界樹 その9
関屋商店街、その中心にある商工会館の一室。
壁一面に映し出された映像は、巨大なゴーレムが見事に狂い捻じれた世界樹を両断する様子を映し出していた。
巨大な両手剣の一振りの余波は、遥か彼方の空が割れ、虚空に瞬く星さえその先に見えるほど。
しかし、それだけで世界樹は終わらない。
確かに、禍々しい気配を垂れ流しにしていた核は消え、地脈からの力の流入も止まった。だからこそ、それは起きる。
世界樹が、明確にそれを敵として認めたのだ。
邪樹翁を無尽蔵に生み出していたのは、そもそも世界樹の主たるプレイヤーを探すため。
生み出すために大地を涸れ果てさせるほどに力を吸い上げ、その行軍が世界を蝕んだとしても、あくまでその目的は探索であり、敵対行為では無かった。
それは夜光が精霊の扱いに長ける森の主らに邪樹翁を調べさせ判明した事実だ。
だからこそ、ここまで邪樹翁の群れも、攻撃されるまでは無防備であることが多かった。
だが、ここに至り世界樹は明確に夜光を敵とみなした。
今まではただその威容を示すだけだった狂った世界樹が、動き出す。
大樹の姿そのままに、その幹に葉に、殺意が混じってゆくのが、映像越しにも見て取れる。
更には、周囲に満ちた邪樹翁達だ。
こちらもその形態を個体ごとに変化させてゆく。
あるものは全身に花を咲かせ、そこから猛毒の花粉をまき散らし、あるものは砲弾の如き種子を放ち始めた。
何体かが寄り集まり巨大化し、ギガイアスに匹敵するような巨体へと変化したモノさえいた。
その全てが、本体である世界樹を害したギガイアスに、敵意を向け始めたのだ。
壁に映し出される光景が、雄々しく禍々しく葉を茂らせる狂った世界樹の姿を映し出す。
「お、おい。凄い技を出したのは良いが、こいつは拙いんじゃないのか?」
白銀に輝くギガイアスの巨体に殺到する変容した邪樹翁の群れの光景に、遠い地で観戦していたアキュラでさえ恐怖を抑えきれない。
しかし、同じように観戦している関屋は、動揺することなく平静に戦況を見守っていた。
「いや、まだ焦る程じゃないぜ。夜光は、ウチの同盟のリーダーは、あれでどうにかなるほどのタマじゃない」
「ほんとかよ!? だって滅茶苦茶攻撃されてるじゃねえか!!」
アキュラの言う通り、壁に映し出されているのは、周囲の全てが敵となり、攻め立てられる白銀の魔像の姿だ。
砲撃のような種子、圧倒的質量を伴った体当たり、周囲の地面さえ腐敗させる毒胞子に花粉。
地獄の顕現とさえ思える様な攻撃にさらされ、白銀の巨体は耐え切れずに蹲っているようにさえ見えた。
それでも、関屋は動じない。
夜光がこれまで戦ってきた姿、そしてギガイアスの性能を強化した者の一人として、この程度ではあの魔像が揺るがない事を知っているからだ。
「まぁ、見てろって。そろそろ動くころだ」
「何がだよ!?」
「軍勢が、だな」
関屋の言葉に応えたかのように、攻め立てられるギガイアスの遥か彼方で、何かが光る。
そして……。
轟!!!
激烈な劫火が、映し出された映像を、紅蓮に染め上げた。
□
炎の巨人族は、この戦場で最も暴れ狂った部隊の一つだっただろう。
邪樹翁は、確かに纏う湿気により火の属性への高い耐性を得ている。
しかし、それでも樹木であり、可燃性の身体であるには違いない。
故に、高い火の属性を内に宿した炎の巨人族は、大いに暴れに暴れたのだ。
巨人族として体格に等しい相手というのも、戦闘部族である彼らにとっては好ましいものですらあった。
何より、その先頭に立つ炎の巨人の長だ。
かつて夜光とギガイアスの力の前に恭順を選んだ炎の巨人族の長スルトは、炎の巨人族の中にあっても最も強大な火の属性を内に秘めている。
更に言うならその火の属性は、邪樹翁達には天敵に等しいものだ。
スルトの能力の一つ、『界滅の炎』。
北欧神話における世界樹を焼き尽くした炎を、スルトは権能として有している。
そして邪樹翁達は狂っているとは言え世界樹の眷属であり、故にスルトの炎は、その身を問答無用で焼き尽くすのだ。
だが、当のスルトはいささか機嫌が悪い。
スルト自身の権能が強すぎ、相手に歯ごたえを感じないのだ。
強敵相手に滾る戦闘狂でもあるスルトにとって、触れる傍から燃え尽きていく邪樹翁はつまらない相手にも程があった。
夜光に恩義も感じているためこの戦場に立ったが、これでは棲み処としたバルカノ火山の溶岩流に潜む溶熱鰐でも狩った方がマシとさえ思い始めていた。
そしてもう一つ。
「斯様な者ども、初めから燃えさしを投げつければ滅ぼせていたものを」
そう、その権能である界滅の炎をはじめから投げつけて居れば、狂った世界樹でさえその眷属を含めて焼き尽くす事も可能であるはずなのだ。
しかし、横に立つ者が苦言を呈する。
「まだそのような世迷言を……お前の炎は余波が大きすぎるであろうが!」
お目付け役として横にあるのは、古樹翁の肩に立つ森の主ことギリスブレシルだ。
普段からスルトの喧嘩相手として面倒を見ている彼は、スルトがしびれを切らしてその権能を振るわないよう目を光らせていた。
実際、夜光もスルトの権能には目をつけていたのだ。
氷山戦艦との戦いでも発揮したその権能は、世界樹相手の今回の戦いではまさしく切り札と言える。
しかし、界滅の炎は、その名の通りのデメリットもある。
世界樹が生えている『世界』すら滅ぼしかねないのだ。
氷山戦艦との戦いにおいては、ギリスブレシルが放った世界樹の矢によって生えた世界樹の苗木を焼き尽くし、その『土壌』とした氷山を焼き尽くしただけで済んだのは、これはその被害がごく小規模に収まった例だ。
本来燃えるはずのない氷山に、周囲は海という環境。世界樹の苗木の根も、浮島めいた氷山にのみ限り、他の大地には及んでいない。
だからこそ、被害はキロ単位とはいえ島一つの範囲にとどまった。
しかし、今回の相手は違う。
狂った世界樹の本体は精霊界に居るとは言え、この精霊界の範囲は西方大陸と重なる規模であり、更には根の一端が通常空間にも伸ばされ、地脈と接続までされている。
この状態で界滅の炎を放ては、狂った世界樹のある精霊界も燃やし尽くされ、更には西方大陸の精霊のバランスも崩れ去りかねない。
更には通常空間に伸ばされた根を通じて、西方大陸の地脈も燃え尽きかねないのだ。
到底放っていいものではない。
しかし、それも状況が変わるまでの話だった。
天にも届く光の剣により、天が割れ、地脈に伸ばされていた根が断たれたとの知らせが、夜光の率いていた軍勢全体に広がったのだ。
同時に、変容していく邪樹翁の群れを見て取り、スルトはにやりと笑った。
「これは機であるな。」
「お、おい待て、早まるな馬鹿者!」
何処からともなく巨大槍めいた『燃えさし』を、界滅の炎を取り出し、構える。
慌てて止めようとする森の主だが、スルトは笑いを止めない。
「なに、直接は投げつけぬ。炎を一部飛ばすだけぞ。何といったか……そう、先っぽだけというやつであるな」
「どこでそのような物言いを覚えたのだ!?」
厳ついスルトの顔に見合わぬ物言いに森の主が溜まらず突っ込む中、スルトは構えた界滅の炎を、投げつけるのではなく大きく横に振るった。
途端に、槍めいた先端から、豪炎が溢れて邪樹翁の群れへと襲い掛かる。
本来の権能と比べれば、火の粉一つ飛ばしたに等しいであろうそれは、それでも邪樹翁には必滅の炎だ。
隙間ないほどに群れ成していたのも災いし、炎は燎原の火もかくやに周囲の一切を焼き尽くしていった。