エピローグ ~去り往く者 来たる者~
「ついた~! ヨハナンの船が見えて来たよ」
「俺の船じゃないって。でも久しぶりだ。色々やることやらないと」
抜ける様な青空が、広がるこの日、ラディオアサ・フォルタナ号の船員達は、己の船へとようやくたどり着いていた。
あの宮殿からここまで、北側から北東部にかけて沿岸部を回る経路をすすんだため、往路と比べ復路は余計に日数がかかっている。
北回りのルートは幾つかの大きな町を経由した事もあり、それらの町では船長のクライファスがそれらの町の長と会談を行ったのも時間がかかった要因だろう。
宮殿での謁見を経て、彼らの船及び母国であるクサンドル商人連合は、交易相手として港湾の使用許可や、交易の取り決めを交わしていた。
船長のクライファスは全般的な話のうまさに未だ警戒をしていたものの、取り決め自体はごく当たり前の内容であったため肩透かしを感じていた。
もっとも、現状は国と国との正式な取り決めではない。
漂流していたフォルタナ号を保護したこのアクバーラ島の主の厚意に対する返礼を今後行えるように取り決めたに過ぎない。
しかし、今後この島に多くの船が訪れるようになれば、この取り決めは大きな意味を持つことになるとクライファスは考えていた。
ともあれ、それらの雑事が終わったため、フォルタナ号の一行は、ようやく国元に戻ることとしたのだった。
行きと同じく、フォルタナ号の停泊している港への道は長大な地下道を通る。
トンネルを抜けた先にある海と港町、そして母船の姿に、幾つかの馬車に分けて移動していた船員から歓声が上がる。
「ん? あれは、何だ?」
「流氷? いやしかし、そんな時期か?」
しかし、直ぐに何人かの船員がそれに気づく。
フォルタナ号が停泊する港の近くに、奇妙なものが浮かんでいたのだ。
一見するとそれは、全長300m全幅150程の巨大な氷の塊。
しかし全体的なフォルムは流線型の船形であり、どこか人工物を思わせる。
その答えは、一行の同行者であるニーメが知っていた。
「えっと、あれは主様が見つけてきた氷山だよ。南から流れて来たんだって! 凄いよね~」
「そうなのか……って、北からじゃなくて南から!? そんな事があるのか」
彼女の言葉に、驚きの声を上げるヨハナン。
この世界の一般的な船乗りの知識からしても、寒冷な地域は北方であり、南方は熱帯である。
そんな方向から、これほどの巨大な氷の塊が流れてくると言うのは、想像の埒外であった。
この巨大な氷の塊は、夜光らが破壊した氷山戦艦である。
現状でも十分巨大だが、元は全長3キロに及んだ巨艦だ。
それがどうしてこれほどまでに規模を落とし、更には他を攻撃しないままこの場にあるのか?
当初夜光らは、氷山戦艦を核である氷結炉の破壊を以って撃退する予定だった。
しかしその存在を惜しんだ夜光が方針を変え、無害化の方策をとったのだ。
氷の女王に寄る氷結炉の掌握と、氷山戦艦の意思決定を行う指令部の停止。この二つの後、破壊された外殻ごと大凍球はアクバーラ島近海にまで曳航された。
その際活躍したのが七曜神だ。
彼らは世界の運行を司る者。広大な夜光のマイフィールドの環境管理を担う彼らは、同時にアナザーアース世界のシステム部分にもつながる権能を持っている。
つまり、マイルーム、マイフィールドの設定に干渉できるのだ。
これによりマイフィールドの一種である氷山戦艦はその規模を縮小され、およそ10分の1程の領域の範囲に収縮していた。
そこでようやく修復作業が行われることとなる。
凍結炉により制御される船体は領域の縮小により小型化し、今のやや大きい程度の姿となっていた。
更に最も問題であった攻撃性に関しても、対策が為されていた。
砲塔の射程圏内に捕らえたモノの殆どを外敵とし排除するのが、氷山戦艦を操る魔法人形たちに下された最後の指令。
しかし今の氷山戦艦は、港の近海に浮かびながら攻撃をすることはない。
七曜神の干渉により、氷山戦艦の領域は、夜光の領域と中立の扱いとなって居るのだ。
これは、氷山戦艦が置かれていた状況に由来する。
謁見室にてライリーが指摘していた通り、氷山戦艦のマイフィールドは、他のマイフィールドとの戦闘を楽しむフィールドバトル状態になっていた。
その為接触したマイフィールドに属する対象に攻撃を加えていたのだ。
だが、それを解除してしまえば、氷山戦艦も他の領域の物を外敵として判断しなくなる。
このため無害となった氷山戦艦は、武装の数こそ規模に合わせて減らされたものの、元の機能を概ね取り戻していた。
そしてその管理は、氷の女王アレンデラに任され、こうやって彼女の領域である南西部の入り江に置かれることとなったのだった。
「それよりも、早くヨハナンたちのお船に戻ろうよ! これからずっと乗る船のこと知りたいし!」
「あ、ああ……いやでも、本当にいいのか?」
「なにが?」
「この島はニーメの故郷なんだろ? ここから離れるなんて」
馬車に揺られ、近づいてくる港を見ながら、海豹乙女のニーメにヨハナンは告げる。
彼女は一方的な宣言ながら、ヨハナンと結ばれ、共に歩むことを望んでいる。
それは住み慣れたこの島と仲間達から離れることを意味していた。
「良いの! わたしはヨハナンと一緒に居たいんだから!」
もっともニーメはずっとこの調子だ。
ヨハナンと共にある事に欠片も迷いが無い。
この後フォルタナ号はこの地の産物を乗せ国元に帰るが、ニーメもその旅に同行しヨハナンの国元で婚礼を行うつもりなのだ。
そしてヨハナンもまた、直接的に好意をぶつけてくるニーメに絆されてしまっている。
快活な彼女に押されまくっているが、同時にニーメの魅力に囚われ、魅入られているのだ。
ヨハナンの今の悩みは、国元に居る両親に何と話すべきか、その段階にあった。
「それに……これでいいの。わたしの中の種が此処で芽吹いたら、主様に迷惑がかかっちゃうから」
「うん? 何か言ったか、ニーメ?」
「何でもないよ。それよりヨハナン! わたしね、ヨハナンの国に行ったら、聖地って所にも行ってみたいな!」
だからだろう。一瞬浮かべた寂しげなニーメの表情と共に零れた彼女の声に気づけなかったのは。
かくして、フォルタナ号は夜光の領域、アクバーラ島を離れ、東の大陸へと向かう。
その内に災厄の種を秘めた乙女を乗せて。
それが東の大陸で何を引き起こすのか、それを知るモノはまだいなかった。
「ああ、やっと次で陳情対応が終わるなぁ……一時はどうなるかと思ったけど、何とかなってよかった」
氷山戦艦の一件と外からの船であるフォルタナ号との交渉などが一段落して、僕はようやく一息ついていた。
未だに西の大陸で実体化したマイフィールドの件や、ガイゼルリッツ皇国への対応など色々問題は山積みだけれど、ルーフェルト主導で動き出した外交部や他のNPCやモンスターに仕事を割り振った事で、僕自身は随分と楽になった気がする。
もちろん僕自身も必要なら動きたいのだけど、今はルーフェルトから仕事を任せたモンスター達に経験を積ませる必要があると、あまり対外的には動かないように言われていた。
その分今の僕は、今まで疎かにしていたマイフィールド内のアレコレに対処している。
具体的には、謁見室で皆の陳情への対応だ。
一応マイフィールドの、このアクバーラ島の王となってしまったので、王様らしい仕事を割り振られたともいう。
現実では一大学生でしかない僕が陳情の対応なんて、荷が重いにも程があるのだけど、引き受けてしまったからには仕方ない。
実際各町に配置したNPCたち皆が意思を持ったことで、様々な事件や問題が起きている。
その殆どは行政能力にたけた各町の長のNPCで対処できるのだけど、稀に僕自身が対処する必要が在るものもあった。
そういったものがここ数か月溜まっていたのと、宮殿と謁見室が出来上がった事で陳情する場が出来上がった事で、それらが一気に押し寄せて来たのだ。
だけど、ようやく終わりそうだ。
確か次は、巨人の里の長と竜族の長の共同での陳情。
珍しい組み合わせだと思いながら、僕は二人を待った。
しかし、僕は思いもよらなかった。
二人と共にやって来た少女、それこそがとてつもない問題の塊だなんて。
「初めまして夜光くん。私は女神アナザーアース。よろしくね!」
あっけらかんと告げて来たその少女の言葉に、僕の思考は完全に停止した。
彼女の言葉が理解できなかったわけじゃない。
理解したからこそ、訳が分からない。
女神アナザーアース。かつてMMOであったあの世界の創造主であると設定された存在。
滅びの獣を自称し、フェルン領の領都ゼヌートで僕に接触してきた傲慢も口にしていた存在。
そんな彼女を自称する少女が、目の前にいる。
ゆっくりと脳を再起動させながら、僕また新たに迫る波乱を予感せずにはいられなかった。
―――― 第5章 終わり ――――