第12話 ~悪魔は踊る 万魔集いし謁見室~
「皆様、此方へ。謁見室へご案内しましょう」
「おぉ……これは何という」
宴から一夜明けて、フォルタナ号の船員達は、案内人のポーレリスに連れられ、パンデモニウム・サイドの最も新しい区画、宮殿へと足を踏み入れていた。
前夜は殆どの船員が絶世の美女に付き添われ、それぞれに用意された個室で魂が蕩け堕ちるような夜を過ごした船員達であったが、その顔に腑抜けたような色はない。
いや、本来の意味で、魂が抜けたような表情をしていた。
それほどまでに、案内された宮殿は壮麗かつ豪華だったのだ。
見た事もないような細工を施された柱や壁はもちろんのこと、足元に敷かれた織物は天井の雲の上を歩くかのようなほど柔らかく彼らの脚を受けとめる。
更には、宮殿のあちこちに控えているのは、昨夜彼らを相手した以上の美男美女ばかり。
つまり、余りに規格外過ぎ、圧倒されているのだ。
「噂に聞く、聖地の大聖堂みたいですね、船長」
「いや、それ以上だぞ。何よりあれは華美である事を過剰に誇示していたが、この宮殿はまるで違う」
「おぉ、その言葉を聞けば、我らが偉大なる主もお喜びになるでしょう」
船員の中で船長だけは、聖地にある唯一神教会の総本山、中央大聖堂を知っていたために更に驚愕が強い。
長年聖地の聖職者たちが財をつぎ込み続けた大聖堂を、華美さで上回る建造物が存在するとは想像もつかなかったのだ。
かの大聖堂は、病的なまでに聖地の者達がその財を注ぎ込み、壮麗な威容を誇ることで知られている。
船長のクライファスは直接その聖地に赴いたことがあり、直接目にしたことがあった。
だからこそ、その大聖堂をもってしても、この宮殿の素晴らしさには及ばないと断言できてしまう。
そして一行は、ひときわ巨大な扉の前へとたどり着く。
そこに居たのは、ポーレリスを上回る端正かつ高貴な顔立ちの青年だ。
見たところポーレリスよりも若年に見えるが、クライファスはその青年を前にしてポーレリスが身を固くしたのを感じ取っていた。
「ルーフェルト様、皆様をお連れしました」
「御苦労、ポーレリス」
案内人がルーフェルトと呼ぶ青年は、そうされることが当たり前のように、案内人の最敬礼を受け取ると、連れられてきたフォルタナ号の一同に優雅な一礼を披露する。
「ようこそ、外つ国の方々。我が名はルーフェルト。このアクバーラ島の支配者にして、このザナドゥ宮の主、偉大なる救済者たるわが主は、皆さまの来訪を喜ばれておいでです」
「クサンドル商人連合所属、ラディオサ・フォルタナ号が船長、クライファス・エル・ペランディラだ。その、偉大なる主というのは、この扉の向こうに?」
「ええ、此方が謁見室。我らが主が、皆様をお待ちです」
まるで巨大な人が通る為に作られたような、巨大な扉。
この宮殿に来るまでに見聞きした様々な物を思い出し、船員達はこの扉の向こうに居る主というものを様々に思い描いた。
そこでふと、船長のクライファスが思い至る。
「失礼ながら、此処までの道のりで度々この地の主の事を耳にしたが、具体的な名を聞いていないように思うのだが」
「ああ、なるほど。我々も余りに我が主が偉大な為、恐れ多く尊名を避ける傾向がありますからね」
ルーフェルトが言うように、ポーレリスや他のこの地の住人は、およそこの地の支配者を主とばかり呼んでいた。
「名は大きな意味を持つモノ。故に我々はかの方の事をこう呼ぶのですよ。万魔の主と」
「万魔の主……」
その言葉が合図だったように、ゴウンと巨大な音が鳴り響く。
そこからゆっくりと、巨大な扉が開いて行き……。
「ヒッ!?」
「な、なんだ。ここは!?」
多くの船員達の顔から血の気が引いた。
部屋の中、そこは今しがた伝えられた言葉通りの光景が広がっていた。
『万魔』、つまり無数の魔物の群れ。
下手な村がすっぽりと治まってしまいそうな巨大な空間には、まさしく言葉通りの光景が広がっていた。
彼らが怯えた巨大な蜥蜴の化け物に似た、されどさらに強大な化け物が居る。人を何倍もの大きさに拡大した様な巨人が居る。
特に目立つその巨大なモノ以外にも、人に近い姿、獣に近い姿、翼を持つ者、ヒレを持つ者、その他無数の化け物がひしめき合っている。
その中にあって、ごく普通の人らしき者も混ざっているのが、一層船員らの混乱を助長する。
何より恐ろしいのが、そんな化け物達が中央の通り道を挟み、規律正しく並んでいる点だ。
この化け物達は、完全な支配の中にある。
その事実が、何よりも恐ろしい。
「皆様、どうぞ奥へ」
「あ、ああ……」
だからこそ、ユーフェルトの促しに、そのまま進むことが出来たのは、船長のクライファスと、
「いこ、ヨハナン」
「う、うん」
海豹乙女のニーメに誘われたヨハナンだけであった。
その他の船員達は、扉から進むことが出来ずにいる。
「ふぅ、やはりこうなりましたか。ポーレリス、そちらの皆さんは任せます」
「畏まりました」
先導するルーフェルトはその場に案内人を残し、二人の客人と何故かついてくるおまけを連れて、謁見室を進んでいった。
クライファスは、多くの化け物の視線にさらされながらも、一つの事実に気づいていた。
見た目が恐ろし気な化け物ばかりだが、むしろその中に混ざる人を見た際に、内から湧き上がる恐怖があることに。
実際、その船長の感覚は正しかった。
アナザーアースの高位のモンスターは、人の姿を持つことが多いためだ。
特に最奥、一段と高く据えられた玉座の付近にいる者達は、この島の各地域を統治する支配者級のモンスター、そして七大魔王と七曜神であった。
そして船長クライファスは、その玉座に座る者を見た。
(あれが、万魔の主……この地の王か)
玉座には、様々な文様が編み込まれた長衣を着た者が座っていた。
謁見室を進む途中の船長からは、目深に下ろした長衣の奥底をうかがい知ることは困難だが、一つ言えることがあった。
大きい。体力仕事の為大柄なものが多い船員達と比べても、恐らく頭一つは背が高い。
両脇に並ぶ異形の化け物達と比べて、さほど脅威を感じないが、ゆったりと玉座に座る姿は逆に余裕を感じさせる。
足元には二匹の獣。黒い毛並みの狼と、金色の毛並みの狐が控え、両脇には側近であるのだろう漆黒の鎧姿の騎士と、蜥蜴のような顔の剣士が並ぶ。
なるほど、王だった。
居並ぶ人も、化け物も、玉座に座るその主への敬意を隠しもしない。
同時に、謁見室を進む二人の来訪者への容赦ない視線も。
(……昨夜腑抜けていたら、この中を進むのは無理だったろうな)
クライファスは、自分が正気で居られる理由を察していた。
多くの船員らのように、心身ともに蕩けさせられてしまえば、こんな中を進む芯も失っていただろう。
その結果が謁見室にすら入れない船員達だ。
恐らく、この地の者達も、来訪者全員がそうなることを望んではいない。
少なくとも、交渉を行えるものが必要なのだと。つまりは、この両脇の化け物達も、クライファス達を害する気はないのだろう。
とはいえ、気にするなというのは無理な話でもあるのだが。
そうしているうちに、クライファス達は、玉座の手前にまで至っていた。
「我が主、偉大にして慈悲深き救済の主よ。来訪者の皆様をお連れいたしました」
「…………」
クライファスらを先導していたルーフェルトが一礼し、玉座の王が軽く頷く。
そのままルーフェルトは玉座の脇に控える。
かくして、船長と若い船員は、この地の王を前にする事となったのだった。
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