第09話 ~悪魔は踊る 誘われる者達~
夜光のマイフィールドの南東部、氷河に削られたフィヨルドに流れ着いた船の名は、ラディオアサ・フォルタナ号という。
彼らの国元、皇国の南のタルピア内海に面した諸王国の中にあって、南岸に位置するクサンドル商人連合に所属する交易船だ。
船名は彼らの国の言葉で、幸運の女神を意味する。
その名に反して嵐に巻き込まれ漂流したものの、船員の誰一人かけることなく陸に漂着したのは、やはり幸運に寄るものだろうか。
それはさておき、フォルタナ号は巨大な海獣──同行している海豹乙女が言う所の海王──に曳航され、漂着した地とは別の入江へと船体を運ばれていた。
フォルタナ号が漂着した入江とは違い、此方の入江は入り口が狭く、また両側が切り立った崖となって居るため、外海からは内海の様子は見えない。
しかし、その内に入った時、船員達は驚きの声を上げる事になる。
そこは、熟練の船乗りたちの目からみてもはっきりとわかる天然の良港であった。
入口左右に突き出た岬が、荒い外海の波から守る為か、入江の中の波は穏やかであり、さらに切り立った崖は内海の水位を深くし、大型の船であろうと航行に問題がない。
外界から見えぬ位置にあるのは、しっかりとした港湾施設だ。
タルピア内海でも、ここまでの良港は中々ないだろう。
今も何隻もの船が係留され、荷の積み下ろし作業等が行われている。
港から内地に向かう斜面には建物が立ち並び、港町の活気がそこにあった。
「これは、凄いな!」
「へへ~ん、此処の港なんて、大したことないんだよ! もっとすごい街とかあるんだから!」
見習い明けからまだ間もない若き船員ヨハナンが、港の規模と活気に驚きの声を上げると、同乗している海豹乙女の少女が自慢げに胸をそらす。
なお海豹乙女の少女は、現在完全に人間の姿だ。
アザラシの姿となる為の皮は、彼女曰くお姉様に渡したらしい。
ヨハナンは、その得意げな少女が同行する事になった経緯を思い出す。
この海豹乙女を名乗る少女がやってきて直ぐに、本来の使者を自称するものが現れたのだ。
しかしそれは船員らをして驚愕するより他なかった。
何しろ前日の日中に、船員達の心胆を凍えさせた巨大な蜥蜴の化け物、その背に乗って彼らの前に現れたのだから。
「お初にお目にかかる。小生は偉大なりし主に仕えし七王の一人、麗しきラスティリス様が配下、ポーレリスと申します」
船員達の認識する巨大な蜥蜴の化け物である氷雪竜から軽やかに降り立ったのは、男である船員達ですら目を疑うような、妖しく整った容姿の貴族然とした男だった。
ほれぼれするような華麗な礼と共に、片手を差し出す。
しかし代表者である船長以下フォルタナ号の船員達は、ポーレリスを名乗った男の背後に視線を向けるばかりだ。
無理もない。前日山の頂上を吹き飛ばすような大暴れをした化け物が、まるで馬程度であるかのように乗りこなされ、今は大人しく頭を下げているのだから。
「ああ、これは失礼。驚かせてしまったでしょうか? 丁度この付近を統べられるアレンデラ様の居城より此方に向かうのに、この氷雪竜は丁度良かったものですから、足代わりになってもらいましてね」
「あ、足代わり、だと!?」
「ええ、こう見えてこの者らは分を弁える習性ですからね」
ポーレリスの物言いは非礼を詫びる様ではあるが、その実内容は常軌に外れている。
このような化け物が弁える分とは何か?
この貴公子然とした男は、自身がこの化け物よりも格が上だと、そう言っている。驚愕の中からそう船長が理解するのに数舜の時間を必要とし、同時に更なる驚愕があふれ出る。
信じたくない事実であるが、実際に氷雪竜なる化け物が従順な素振りを見せている以上、それは真実なのだろう。
それを思うと、差し出されたままの手が恐ろしく見える。
握手の風習は船長らの生きる世界にも存在しているが、こうまで恐ろしげに見える手も他にないだろう。
しかし、彼は船長だ。背後に背負う船員らの命運を考えれば、下手な真似は出来ない。
下手に機嫌を損ねようものなら、部下含め此処で命が終わりかねないと理解したのだ。
「クサンドル商人連合所属、ラディオサ・フォルタナ号が船長、クライファス・エル・ペランディラだ。商人連合第六席、ベランディラ商会に所属している」
震えそうになる手を意志の力で無理やりに押さえつけ、船長のクライファスはその手を取る。
船乗りとして鍛え上げられ未だ衰えを見せないクライファスであるが、ポーレリスを名乗る男の手はまさしく格が違った。
侮られぬようにと力を籠めるも、相手の手はわずかな変化も無く、彫像の手を握っているかのように錯覚する。
しかし、確かな体温と奇妙なしなやかさにより、確かに生きているのだと確信させられるのだ。
「では、クライファス殿。貴殿らは、この偉大なる王が治められる地においでになられた、初めてのお客人に御座います。そこで、小生が主たる偉大な方々は、皆様を宮殿にご案内し歓待したいとお望みで御座います」
余りに奇妙な感触に戸惑う中、軽く握り返され手放されると、クライファスは混乱治まらぬ中、ポーレリスが告げる。
それは、歓待の招き。
しかし、船長はその言葉を素直に受け止められはしなかった。
「歓待、だと? だが、我らはこの島の物を獲物を勝手に手にした。その懲罰に来たのではないのか? その招きに乗れば、俺達は囚われて罰を受けさせられるくらいはあり得るだろう?」
事実、船長らが生きる内海諸国群では、領地内での無許可の漁や狩りは、各地の領主の財を盗み取る行為として厳しく取り締まられている。
ましてや木材というのは、貴重な資源だ。
今回船体を修復するために用いた量を内海諸国群で勝手に場際した場合、国家間の問題にさえなり得ただろう。
フォルタナ号の船員らがこの地で伐採や食糧調達を行ってきたのは、緊急時であると同時に、この地が誰の所有物ではないと考えていたためだ。
しかし、それが異郷の地とは言え所有者があり、また信じられないような強大な力を持つ者がいると知った以上、それらは一気に危機感へと直結する。
諸国群の通例では、許可を受けていたとしても高額の料金を要求されるであろうし、無許可であれば法外な使用料を徴収され、交易品の大半が代償として没収される事になる。
しかし、ポーレリスはかぶりを振る。
「皆さまはこの地に至るまで、多大な苦労を為されたご様子。その状況に、偉大なるお方は心痛めておいでで御座いました。故に、皆様の窮状をお助けする為ならば、資材と労力を供給すべきとのお考えで御座います」
「……気前が良過ぎないだろうか? この身は船乗りではあるが、ベランディラの屋号を許された商人だ。無償の施しなどと言うものを信じる気にはなれない」
クライファスは、ポーレリスの言葉を鵜呑みには出来ない。
何しろ、商人として幾多の商談をまとめてきて身に染みているのだ。
美味い話は、基本相手を利用したいが為の呼び水であり、それに乗ろうものなら、およそ大損が待ち構えているモノだと。
それと同時に、内心ではある種の安堵もあった。
少なくともこのポーレリスという男にとって、クライファスらフォルタナ号の船員は、生きたままで利用価値があると認識されていると。
死んでいた方が都合がいいのならば、とっくの昔に殺されているはずなのだ。
その船長の心情を知ってか知らずか、ポーレリスは朗らかに笑う。
「いえいえ、皆様がお使いの木材や食料などであれば、この地には使い切れないほど溢れていますので。施しどころか、有効に使っていただけるのなら実に喜ばしいと言えましょう! ですが……そうですね、この地の豊かさを理解していただくには、実感を伴う方が近道と言えますか」
笑いながら一瞬思案を巡らせたポーレリスは、今度は悪戯気に笑う。
「皆さまをいち早く迎賓館にお招きする為、この氷雪竜で一気にお運びするするつもりでしたが……こうしましょう。少々迂遠になりますが、偉大なる王の領地をゆっくり見て回りつつ向かうと言うのは? さすれば、この地がいかに豊かか、皆様が使用なさった資材が如何に微々たるものであるか理解していただけるでしょう!」
その笑みに、背中に何か冷たい物を感じた船長であったが、氷雪竜なる化け物の背に乗せられるよりはマシだと、その提案に乗ることになる。
もっとも、初手で海王なる巨大な化け物に船ごと曳航される事になったので、早々に公開し始めたのだが。
「……とんでもないことになったなぁ」
「ん? 何か言った?」
「いや、なんでもないよ、セルキー」
ヨハナンは此処までに至る経緯を思いだしながら、改めて状況を見る。
船長以下彼ら船員は、ポーレリスと名乗った使者に連れられて、スレに港から上陸していた。
此処までの海路でも、豊かな海の幸が見て取れ、またこの港も活気に満ちている。
そのような港が、この島にして国にあっては地図にも乗らない小さな集落扱いされると聞き、驚く以前にヨハナンには理解できなかった。
同時に、何故この少女が同行しているのかも、ヨハナンは理解できていない。
多分面白そうだからついてきているのだろうか?
そんな事をヨハナンが考えていると、セルキーと呼ばれた少女が首を振る。
「わたしは海豹乙女だけど、セルキーって名前じゃないよ?」
「そうなのか? てっきり初めに言われたのは名前かと思ったけど、そういえば船長もそう言ってたな」
「うん、わたしニーメっていうの!」
「そっか、俺はヨハナン。よろしくな!」
改めて名乗り合う若い船員と海豹乙女。
そんな一幕を交えながら、船員達はポーレリスの誘導の元、港に用意された何台もの馬車に乗り込む。
目指す行く先は、この国にして島の北西部。
この地の王の居城のお膝元、パンデモニウム・サイドの町であった。
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