第08話 ~悪魔は踊る 魅惑の外交官~
夜光のマイフィールドには、通常の空間とは別に、重なり合うようにして幾つかの世界が存在している。
神々や天使、神の眷属になった者たちが住まう天界。
妖精や精霊、といった四大元素の源である精霊界。
魔獣や妖魔、悪魔とその王たる魔王達の居城がある、魔界。
元々アナザーアースの世界に在るものを模倣したこれらは、もともとそういった空間に生息していたモンスターの為に用意された場所だ。
天界は、その名の通り地上から遥か上方に位置し、光に溢れた雲の大地に無数の神殿が建っているような世界だ。
一見穏やかながらも、その実無数の天使たちが神々の行いである世界の運行の手伝いに奔走しているお役所めいた一面も持ち合わせている。
夜光のマイフィールドにおいて、天界に向かう方法は主に二つ。
天界の中心の大神殿に据えられた転移目標への転移魔法での移動か、もしくは2か所ある専用の門をくぐる必要がある。
精霊界は、マイフィールドの地上を鏡のように左右反転させたような世界だ。
基本的には地上そのままのように見えるが、生きとし生けるものは全て半透明に見える。
此処に住まうのは様々な精霊や妖精妖魔等だからだ。
この精霊界へ向かう方法は、ただ一つ。
南西部の樹海にあるエルフの集落、その中心にある世界樹のウロを通るしかない。
そして魔界は、地下遥か深く、ドワーフの職人街がある位置よりもさらに深い。
そこは薄暗がりに満ちた世界だ。
光源自体は、あちこちで燃え盛るほの昏い炎や、燐光を纏う妖しき幻影、そして川のように流れるマグマなどが存在するものの、如何なる作用か完全に明るくなることはなく、同時に全くの暗闇にもならない。
その光景は、一般的に地獄と呼ばれる様を見せている。
昏い炎の山、凍てついた平地、雨の様に刃が降る谷、瘴気に満ちた沼地など、およそ真っ当な環境とは言えない。
もっとも、そういった環境こそ最適なモンスターも居るのだが。
この地へ行く方法は、天界と同じだ。
七大魔王の居城に置かれた転移目標と、2か所ある専門の門をくぐる事。
その魔界にあって、壮麗な宮殿を構えるのが、高慢の大魔王ルーフェルトの居城である伏魔殿。
その一室に、巨大な七つの影があった。
この部屋も外の魔界と同じく僅かな明かりしかなく、その全容はシルエットでしかうかがい知れない。
その中に在ってわかりやすいのは、小山のような威容をほこる半透明の塊だ。
色欲の大魔王ラスティリス。
本性が根源的な生命であるスライムである彼女は、フルンと体を揺らしながら、ひときわ巨大なシルエットに語り掛ける。
「それで、どうするのんルーフェルト? 貴方は先のことを予知できるから、また方策くらいは示して欲しいわねん」
「ああ、そこは問題ないさ。すでに手は打ってある」
その巨大影、六対12枚の翼を持ったソレは、高慢の大魔王ルーフェルトのモノ。
相も変わらず自信に満ちた声は、滔々と方策を語って見せる。
「まずは、この地の統治機構の一部として、外交部を立ち上げる。主に、色欲の君の配下によくいる読心の能力を持つ者達を配置する事になるだろうね」
「……なるほど、相手の手札を晒させる骨牌遊戯か。相も変わらずろくでもない事を考えるモノだ」
ルーフェルトが語るのは、外交官として配置するモンスターだ。
概要だけで唸ったのは、シルエットだけでも力の塊としか見えない巨大な獣の影だ。
それは憤怒の大魔王サトルギューアの唸り。彼はそれが何を引き起こすのか、想像がついたのだろう。
モンスターの中には、設定や戦闘ギミックとして心を読んでいるような挙動をする者がいた。
事前にクエストで好みの相手を提示させて、その姿を取るラスティリスは、その最たるものだろう。
精神系の魔法を扱う色欲系の悪魔は、特にそういう能力の傾向を持ち合わせている。
そんなもの達を中心に立ち上げられる外交部がどうなるかは推して知るべしだ。
そもそも、外交とは国家間の交渉による戦闘と言える。
言葉裏に潜ませた意図を如何に通すか、更にはその意図を交わして如何に自身の要求を通すか。
ほんの少しの隙が相手の意図により貫かれ、押し通される。
背負った国の国力を以てしての力押しもあるであろうし、逆に国力を隠しつつ相手の譲歩を引き出すこともあるだろう。
そこは、様々な知識と膨大な経験が要求される地獄のような戦場だ。
だからこそ、大魔王達の主人である夜光は、己の交渉力ではそんな戦場に立つ事も出来ないと、苦悩したのだった。
しかし、その交渉の戦場も、その骨子と言える情報、その全てが開示されている状況であればどうなるか?
巧みな話術の裏に隠されているはずの毒の刃が、そもそも隠されていないのであれば?
更に言うなら、相手の意図がさらけ出されているのであれば?
そう、相手の手札を完全に明かしているポーカーのようなモノだ。
余程の試合巧者でも、下手をしたらルールを覚えた初心者にすら勝つことはおぼつかなくなる。
そして、読心能力をもつ色欲系統の上位悪魔であれば、それが可能となるのだ。
憤怒の大魔王がろくでもないと評するのも仕方のない事だろう。
経験不足という点も、相手の意図が見えている状況でなら、大きな失敗をすることなく経験を積んでいける為深刻な問題とはならなくなる。
そして、同時に色欲の大魔王も、何かを思い出す。
「ああ、そういえばワタシが夜光ちゃんに同行してた時、ウチの子達に接触してたのは、そういう事ん?」
「ああ、外交官に必要な立ち振る舞いと前提知識についてアレコレをね」
ラスティリスに夜光への同行を要請した折、ルーフェルトは彼女の配下にも接触し、その何人かにちょっとした指導を行っていた。
もとより色欲系統の悪魔は享楽的な性質を持つことが多い。
読心という強力な特性をもちつつ、享楽的な者達の中でも外交官として活動可能な者達を選んでいたのだった。
更には、ルーフェルトには別の意図もあると察する者がいた。
居並ぶシルエットの中でも特に異常な、背に無数の手を生やした異形の影。
強欲の大魔王グラムドーマだ。
「それだけじゃないよね? 僕も知識だけは知ってるよ? ハニートラップって」
「ああ、『外』で活動するならコストの問題もあるのでね。丁度いいとは思わないかい?」
「そうだね!」
朗らかに笑うルーフェルトと、それに応えるグラムドーマ。
しかしこの場には居ないものの、語っている内容を理解したならば、顔を顰める者も多いだろう。
読心の能力を持つモンスターは、なにも色欲系統の悪魔だけではない。
所謂『サトリ』と呼ばれる東洋型の妖怪モンスター等は有名であるし、精霊界に住まう妖精系モンスターにもそういった能力を持つ者は多い。
そんな中でルーフェルトが色欲系統の悪魔を選んだ理由はただ一つ。
彼ら彼女ら達が、強力な魅了の能力も持ち合わせていることだ。
夜光が傍に置く愛欲の魔王リムスティアのように、色欲系統の悪魔は、夢魔や淫魔などが多い。
それらは蠱惑的な姿とふるまいで相手を惑わし、堕落に誘う魅了の魔だ。
そのような能力を持つ者たちが、外交の場に立ち交渉し、時に交流したならどうなるか?
悪魔の魅惑の魔力に晒され、そもそも交渉そのものが成り立たなくなるほどに魅了されてしまうだろう。
更にいうなら、モンスター達は維持コストが必要になるのだが、そのコストを相手方の交渉相手から確保した時どうなるか。
仮に魅了の能力を使わなくとも、高位淫魔がもたらす快楽に溺れ、言いなりになってしまうだろう事は容易に想像がつく。
そもそも『外』の者達は、位階が低い為、彼ら彼女らの魅惑に耐えられる筈もないだろう。
むしろ、ルーフェルトの意図としては此方の比重が高いかもしれない。
魔力で操るのは、露見した場合に相手の攻撃材料を提供する可能性がある。
しかし素の姿ともたらされた快楽での魅了は、万が一私的されても相手の訓練不足と意志の弱さであると断じてしまえる。
そういった意味で、実に理にかない、同時に恐るべき戦略であると言えた。
とは言え問題がない訳ではない。
「もっとも、まだ我が契約者の地は、東の大陸の国々に国として認識されていないのだから、国として接触するのは気が早いと言えるね。唯一接触し始めている皇国は、我が契約者のようなプレイヤーがいる以上、魅了の手は通じにくいとも言える」
「なら、どうするのさ?」
ガイゼルリッツ皇国は、プレイヤーが協力者として所属し、更には色欲系統の悪魔たちの能力が通じにくい高位位階の者も存在している。
色欲系統の悪魔の知識がある場合相手に警戒されであろうし、強大な力を持つプレイヤーがいる以上力押しのような真似は避ける必要があった。
コレに関しては、ルーフェルトの声にも真剣さが混じる。
「そこは、我が契約者が此処までに培った人脈が生きると言うものだよ。特に、フェルン侯爵、そして皇王。この二人とまかりなりにも交渉の席を作れると言うのは大きい。其方は……私自身が交渉に当たるとしよう」
「へぇ、動くんだ?」
「ここばかりは重要なのでね。あとは、皇国以外の国に関してだが……」
今回立ち上げる外交部の主戦所となる、皇国以外の国々。
そこへの接触の手段を、ルーフェルトは既にその手に収めていた。
「丁度良く、そこから来ている船があるだろう? 彼らに協力してもらおうじゃないか」
それは、この場に居る者達が知る、そして夜光が頭を悩ませていた問題の一つ。
この地、アクバーラ島に漂着した異国の船。
異国からの来訪者に、大魔王の手が伸びようとしていた。
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