章間 第4話 ~海王の宮殿にて~
夜光のマイフィールドは、中央のアクバーラ島とその四方を取り囲む海によって構成されている。
大まかに中央の島から見て東西南北の方向それぞれの海を、東方海、西方海、南方海、北方海と名付けられていた。
これは、それぞれの方向の海で特色がある為でもある。
夜光のマイフィールドは、精霊の偏りにてそれぞれの地域の気候に特色があった。
わかりやすいのは、西方の砂漠地域と南東地域の氷雪地帯だ。
炎の精霊力が強い砂漠がある西方に行くほど気温は高くなり、そのやや南に位置する大森林も西側は熱帯雨林のジャングルや海岸沿いはマングローブが生えているほど。
逆に南東地域の中央は氷雪地帯であり、海岸沿いは氷河で削られたフィヨルド地形となって居り、一部では永続して氷結している湾まで存在する。
これらの傾向が、海中にまで及んでいるのだ。
西方の海中はサンゴ礁さえも存在する常夏の領域。カラフルな熱帯魚が生息するが、同時に大型の鮫などのモンスターも多い。
東方海の南寄りの海中は逆に荒々しい氷海であり、豊富な魚介類に恵まれているものの、それらを捕食するモンスターも存在する。
残る北方海と南方海だが、此方は此方で特色があった。
双方とも、大きな湾であるという点だ。
だが、同じ湾でもそれぞれに異なった顔を見せる。
まずは北方海。
こちらは東西から大きく突き出したふたつの半島の間に、内海というべき海域を作り出していた。
それというのも、ふたつの半島の北端を結ぶ内海と外界との境は、暗礁域となって居るのだ。
水深も浅く、もし仮に船でこのさかいを超えるとなると幾つかある水路を正確に通る必要があった。
また、この内海は、北側の外海と比べると水深が浅く、また波も穏やかであると言う特徴もる。
この内海には大小多数の島が浮かび、それぞれが小規模ながら独立した生態系を形成しているのだ。
これは、夜光が危険度の高いモンスターや、逆に弱く繊細なモンスター等を他のモンスターから隔離するために用意した環境でもある為。
危険度の高いモンスターの一例では、全身毒の塊で吐く息でさえ猛毒の鳥である鴆や、視線を向けただけで生き物を殺す魔眼を持つ邪眼牡牛や毒蛇王といったものや、余りに獰猛な燻狂獣等が挙げられる。
特に毒等が危険なモンスターは、解毒作用や浄化能力のある植物を周囲に配置しなければ、周辺の海も汚染される為大変危険だ。
その様に専用の環境を備えた内海は、ある意味夜光のマイフィールドの中でも、最も特異な領域と言えた。
そして南方海。
こちらも湾を形成しているものの、趣きは明らかに異なる。
こちらは、海底が深い海溝へと向けて沈んでいくのだ。
沖に行くにつれて急速に深度が深まるそこは、大帝烏賊や孤島亀等の超大型海棲モンスターの巣だ。
アナザーアースにおいても、海洋が舞台の大規模戦闘でしか活躍できないであろうモンスター達も、夜光はテイムして保護しているのだ。
そしてその南方海にあって、ひときわ特徴的な一角がある。
深度の深い南方海に在って、上空から見てもその海域は海の色からして別物。
何しろ、海底山により一部だけ水深が浅いそこに、巨大な街が作られているのだ。
正確には、その海底山そのものが一つの町である。
何層にもくり抜かれ、立体的な高層建築と化したその海底山の街。
そこは海底宮と名付けられていた。
此処は、海に棲むモンスターの中心地。
それぞれのモンスターの棲みやすい深度に、それぞれのモンスター用の棲み処が作られ、そして最下層はあるモンスター用の宮殿となっている。
それこそ、海を治める王の座所。海底宮の名の由来であった。
「『外』よりの船、だと? 誠か?」
海底深くに在って、光に満ち溢れる海底宮、その最奥に海王の玉座は在った。
そこに座るのは、年若い少年にも見えるモンスターであった。
銀色の鱗鎧を身に着けた少年戦士と言った風体だが、注意深い者ならそうではないと看過するだろう。
鱗鎧に見えるのは、鎧ではなく素肌。
輝く魚鱗で身体のあちこちが覆われているのだと。
「確かに御座います、レイン様。南東の沖合にて海豹乙女が発見致してございます。マストが折れているせいか、思うように動けぬようで。あの辺りは氷の精霊力と周囲との干渉で荒れやすく、島には近づけぬやもしれません」
「となると氷結湾の沖合だと? 距離は? その船は島を確認出来得るのか?」
海王をレインと呼び報告するのは、下半身がしなやかな魚、上半身は嫋やかな乙女である人魚の如きモンスター。
しかし、周囲の海水が仄かに魔力の揺らぎを帯びるほどに、その報告者は強大な力を有していた。
「船員が生きているのなら、島を確認したかと。ただ、海域が海域で御座います。全容まではわからぬでしょう」
人魚族の中でも、海魔女と呼ばれる魔力に長けた海王の側近は、一言詠唱すると周囲の海水に問題の海域の様子を映し出す。
そこに映し出されたのは、マストが折れ、辛うじてオールで進まんとする異境の船の姿があった。
「随分と古風な船だ。かつての世界ならば骨董として飾られるべき物にも見えるが」
「であるなら、霧の領域の『外』は、やはり主たるお方が調べられている『外』なのでしょうか?」
「わからぬ。わからぬが、故に確かめるべきであろうな」
映像に映る船は、所謂キャラックと呼ばれる帆船であった。地球で言えば大航海時代の前半期に活躍した、遠洋航海に適するタイプだ。
積載量や操作のしやすさなど、交易船として十分な性能を持ち、所謂アメリカ大陸発見の際に使用されたのもこのタイプである。
だがアナザーアースにおいて、船は海洋での大規模戦闘用として扱われたため、大砲などをより多く積める等の特徴を持つ発展形のガレオン船の戦列艦が主とされていた。
そう考えると、あの船が来た『外』は、アナザーアースとは全く無関係とも思えず、海王とその側近らからしても容易に正体を判断出来ない状態にあった。
「ヴァネッサ、万魔殿と氷の城に使いを出せ。万魔殿には、異境の者が来たれりと。氷の城のあの女には、警戒せよとな」
故に海王レインの行動は、まず使いを出すことからだった。
海洋モンスターであっても、飛行や高速移動が可能なモンスターは多い。
また目の前のヴァネッサと呼ばれた海魔女のような、ある程度の転移系統の魔法を扱える者も居る。
それらならば、直ぐにでも知らせを届ける事が可能であった。
伝えるべきは、主である夜光と、外からの船が辿り着くであろう地の陸の支配者。
『外』からの船は、見たところ難破しかけている。
となれば見つけた陸地にまずは向かおうとするだろう。
そして船の状態からして長い航海は出来ない。となれば、今船が居る海域から最も近い陸、つまり氷の女王の領域に上陸するのは必至となる。
同時に海王レインは、おもむろに立ち上がると、玉座傍に突き刺さった豪壮たる三又の鉾を手に取った。
「はっ! ……して、レイン様は一体何を?」
「何、この目そのもので件の船を見るべきと思ってな」
少年の姿をした海王レインは、三叉の鉾を虚空へと突き立てる。
溢れんばかりの力の奔流が巻き起こるも、同時に制御されているのを示すように、突きで溢れた魔力は何物も破壊することなく、一つの渦だけを残して影響が消えた。
恐るべき手練れであり、技量である。だが今の行いの主眼は、鉾の試しではない。
己の身の幾つかの機能の開放、それこそが今の突きの本質。
海王レインは、少年の姿をしているものの、それはあくまで仮のものだ。
それが、鉾を一振りすることでスイッチが入り、別の姿を呼び覚ました。
そこには……
「こんなものか。少々、見てくるとしよう」
銀色の鱗を持つ小魚が泳いでいた。
これが、海王レインの幾つかある姿の一つ。
彼は、海で生きるモノの殆どすべてを身に宿すことが可能だったのだ。
今は偵察に秀で、その実水中を恐るべき速さで疾駆する飛刀魚の姿を写し取ったらしい。
「おやめください、海王様! そのような姿で、万が一傷ついたら如何なさいますか!?」
「あのような骨董に乗る輩がこの身に何かできると? 炎の長でさえ攻めきれなんだこの身をか?」
おもむろに、再度海王レインは力を振るった。
次の瞬間、仮初の肉体は力を失い、そして莫大な魔力が膨れ上がった。
見る者が見れば、その正体は容易に判別できるだろう。
溢れる力の奔流、それが海底宮の謁見室を駆け巡り、やがて一つに収束し、爆発する。
するとそこには、化け物じみた存在が佇んでいた。
見た目は竜に似ている。しかし、その巨体は恐るべきもの。
特にその口の巨大さは、筆舌に尽くしがたい。
例えるなら、小型のクジラを一度に10匹近く丸呑みできるような……
海王の名は、レイン。海王蛇。
その名は英国の伝承にある巨大な海蛇からつけられており、伝承によると銀色の小魚の姿で油断させ、不意を突いて正体を現し獲物を捕食する恐るべき海の魔であった。
海王は同じく好戦的な炎の巨人の長と度々ぶつかり合う戦闘狂であり、その際に用いるのがこの姿であった。
小魚とこの本来の姿であるならばいつでも姿を変えられるため、海王レインに傷を付けられる者は極稀であるのも事実。
とはいえ、海魔女ヴァネッサとて、仕えるべき直属の上司である海王を未知の相手の前にやれるほど神経が図太くはない。
だからこそ、彼女は意を決した。
「調査は、この様に私どもが行いますので、海王様は座ってお待ちください」
魔力を費やし、『船』の様子を映し出し続けるヴァネッサ。他にも魔術に長ける海の眷属達が、手分けして観察を続ける準備にとりかかる。
ある意味状況の先送りとも言えるが、これはこれで『船』の正体がわかりやすくなる分、必要な行いであった。
「そうか。ならば任せよう。ではこの身はそろそろ……」
「あのような『外』の者が来た以上、レイン様にはこの場で指揮を執り続けていただかなければなりません。よろしいですね?」
「む………」
常の動きとして、西の火山の炎の長の日々の闘争に付き合おうとした海王は、ズイ、と身を乗りだした海魔女に、気圧される。
存外、海の支配者は配下からの推しには弱い物であったらしい。