章間 第2話 ~森の主と神樹の巫女~
夜光のマイフィールド、その中核をなす中央の島、アクバーラ島。
その南西部は、広大な森林地帯だ。
中心には天を突くほどの大樹である世界樹が聳え立ち、他にも見上げんばかりの巨木が立ち並ぶ。
植生も幅広く、北側にある砂漠地帯の傍は熱帯雨林であり、南方に向かうにつれて次第に広葉樹林などへと変化していく。
海岸近くの一部はマングローブさえ生えているのだから、その幅の広さが伺えるだろう。
およそ森林地帯と言える環境の中で、この森林地帯に無いのは極寒の針葉樹の森位。
それらは島の南東部、険しい山岳及び氷雪地帯である氷の女王の領域に存在する為、この南西部には再現されていないのだ。
幅広い植生を反映して、この地に生きるモンスターは実に幅広い。
野生動物そのままがモンスターとして扱われるタイプや、そういった動物の身体の一部として持つタイプ。
植物がモンスター化したものや、森に住まう妖精や精霊に近い者達さえいる。
また、プレイヤー種族であるエルフのNPCたちもこの地の住人だ。
世界樹の麓に位置するエルフの里は、この南西地域の中心と言っていい。
そしてこの地を治めるのは、半神とも言えるハイエルフの英雄であり、『森の主』との異名を持つエルフの里の長。
名をギリスブレシルという。
彼はこの森林に生きる多くのモンスターを取りまとめ厳格なる森の掟を布く為政者であり、守護者であった。
また、その妻はコルシールといい、世界樹の声を聴く聖樹の巫女である。
聖樹の巫女は世界樹のウロで繋がった精霊界の妖精や精霊と交信し、時として彼らの力を借りる精霊使い達にあって、最も強い力を持つ。
この二者と、長き寿命から高い実力を持つエルフやダークエルフ等により、この地は平穏を保たれていた。
……ただし、アナザーアースが終わり彼らが実体を持った今、その平穏は過去のものとなって居るのだが。
「長! またあの狼藉者達が東の森の端で暴れております!!」
「ええい、またか! 何時ものように古樹翁と湖乙女を向かわせて追い返せ! 燃えた森の再生に樹木乙女も向かわせよ!」
「それが、今回は炎の王まで! 更には巨人どもも数が多く、手が足りませぬ! 」
「あの燃えさし共が!! ならば仕方あるまい、吾も向かう!!」
風の精霊による<伝言>のリレーによって伝えられた理不尽に、森の主ことギリスブレシルは怒り狂った。
世界樹に生えたヤドリギより作られた冠を従者に放り投げると、精霊銀で出来た輝く兜を身に着ける。
本来ならば威厳と気品に満ち、芸術品めいた端正なハイエルフの偉丈夫なのだが、この所続く厄介ごとに今は見る影もない。
消沈し憔悴の色が隠せない森の主ギリスブレシルは、それでも毅然と戦支度を整えていた。
彼を悩ませているのは、大森林の東方に位置するバルカノ火山に住まう者達だ。
かつての世界、アナザーアースが亡くなる直前の時期に、この世界の主である夜光が作り上げたのが、件の火山である。
そしてその地に住まうようになったのが、気性が荒くさらに強大な力を持つ炎の巨人の一族であった。
「こうなれば、マスターに諫めてもらうべきでは!?」
「マスターになど言えるか! 誇り高きハイエルフが、新参の巨人に攻められ泣き言を言うなどと!」
「ですが、こうも森を焼かれては!」
「あれらにとっての闘争は、鹿が下草を食む様なもの。いわば自然の摂理なのだ! それに対応し得るとマスターは期待されたがゆえに吾らの隣へと彼奴等を置いたのだぞ」
テイムしたモンスターには、維持するためのコストが必要になる。
多くのモンスターは、食料アイテムや水などを要求するため、それらが自動で供給される環境を整えた上で配置される事が多い。
勿論、プレイヤーが別途それらを与える事でも対応可能であり、例えば竜王騎士アルベルトが従える九頭竜王ヴァレアスなどは、配置された場所が竜舎としての機能のみのマイルームであったためにコレが該当する。
また魔法生物等は精霊石などの資源や、純粋な魔力供給のみが維持コストとなる場合もある。
そして気性が荒いモンスターの場合、定期的に戦闘行為を行う事そのものがコストとして要求される場合があった。
そして、夜光がアナザーアース最後の三ヶ月の間にテイムしたモンスターの中にもそれが該当するものが居たのだ。
それこそが、森林地帯東方のバルカノ火山に住まう炎の巨人の部族。
今回は、その長である炎の王スルトの姿まであると言う。
件の王は、この世界の主たる夜光が、かなりの戦力をつぎ込みようやく仲間にした強大な存在だ。
普段の巨人の一団の襲撃ならば、古樹翁の強靭さと湖乙女の炎対策により封殺が可能なのだが、炎の王が居るとなると話が違う。
アレが満足する戦いとなると、並みの相手では心もとなく、であるならば森林地帯の長であるギリスブレシルが出るより他ない。
むしろ下手な戦力を差し向けた場合、丸ごと灰にされかねない恐れがあった。
もし仮にどうしようもなく被害が大きくなれば、主である夜光がやってきて蘇生や再生の魔法を使用することになるのだろう。
だがそのような事態、ハイエルフとしての自負を持つギリスブレシルにとっては到底耐えられるものでは無かった。
だからこそ、己が出向き、事態の収拾を図る。
実際これまで炎の王スルトが来襲するたびに、ギリスブレシルは出撃し、追い返して来た。
このところは頻繁に炎の王が現れるためギリスブレシルの疲労はより多いものとなって居るのである。
「アナタ、お出かけですの?」
「コルシールか。また東の炎の部族が攻め寄せてきた。故に吾は行かねばならぬ。留守を頼むぞ」
従者が精霊銀の鎧を用意する中、ギリスブレシルに近寄るたおやかな人影があった。
その姿を見た時、誰しも可憐という一言が脳裏をよぎる、そんな容姿をもつハイエルフの美女、それが森の主の妻であり、真珠の巫女であるコルシールであった。
普段は可憐で楚々とした彼女だが、今この時はどこか咎めるような空気を漂わせている。
「……そうやって構うから、炎の王が喜ぶのですよ?」
「だからと言って、捨て置けぬ。再生するとは言え森は我らが領域なのだ」
「燃えているのは、バルカノ火山のすそ野の森でしょう? むしろ領域を侵犯しているのはアナタではなくて?」
「森は森だ、コルシール……そう拗ねるな」
「拗ねてなどいません!」
炎の王スルトとて、今は夜光にテイムされた存在。無暗に他の領域を侵犯するわけではない。
ただ、彼の領域が新しく作られたと言う点に問題があった。
かつて大森林は、バルカノ火山がある場所まで伸びていたのだ。
現在火口がある付近まで半島が伸びていて、その先端まで森林は覆っていた。
それが、炎の巨人族を住まわせるために用意した火山により、森林が大きく失われたのだ。
故に森林の領域の者達は火山へと少しづつ植生を伸ばし、対して炎の巨人族は日々の破壊衝動をぶつけるのに丁度良い相手が見つかったとして、互いに激しくぶつかるようになっていた。
ひとえに、森の主ギリスブレシルのプライドの高さと、スルトの好戦的な思考が化学反応を起こしたが為の状況であった。
躍起になっているのは森の主と炎の王であり、コルシールは神樹の巫女として森林地帯の長の妻として、一言いいたくもなっている。
とはいえ、今長に伝えるべきは別の言葉。
「……全く、困ったヒトね。でも一つ、心得なければいけないことがあるの。神樹様のお言葉よ」
「む? そうか、啓示があったか。して、神樹様は何と?」
「……『女神は目覚め、外よりの風は嵐となる。備えよ』だそうよ」
神樹の巫女としての言葉に、ギリスブレシルはゆっくりとかみ砕く様に虚空へと視線をやると、改めて自身の妻へと向き直る。
「備えよ、か。嵐は直ぐには来ないと言う事か?」
「どうでしょうね。七曜神も動いては居るみたいだけれど」
ギリスブレシルは瞠目する。
この世界の運行や摂理と言った部分をこの世界の主である夜光より任された七曜神は、その本質として自然神の色合いが強い。
天空の光である三天光と四元素という、自然現象の神格化が七曜神の本質だ。
神格であっても善悪を超越した力の象徴としての意味合いが強く、信者に対してさえ細かな啓示は苦手なのだ。
ましてや実際に下界に干渉するとなると、力の加減を誤れば大規模な災害となってしまうために神々自身も迂闊に動けないという事情があった。
それらを踏まえ、森の主はひとしきり悩み、
「……必要なら、里の者を動かしていい。その件、精霊界の者にも確認するように」
「判ったわ……って、結局炎の王のもとに行くのね」
とりあえず問題を先送りにすることにした。
いつ起きるか判らない嵐よりも、直近で起きてる炎の災難に向かうのが道理であるのも確かであった。
「違うぞ、燃える森を救いに行くのだ。まぁ、そのなんだ……後は任せる」
「判りましてよ、旦那様」
それでも何処かバツが悪そうな森の主は、好敵手である炎の王が待つ東の森へと足を向けるのであった。