第03話 ~深夜のお持て成しとレディとす巻き~
(本当に今夜はお客様が多い事。お持て成しがいがありますわ)
時は夜半も超えた頃、女中人形のメルティは、フェルン邸に侵入する暗殺者の事如くを無力化し続けて居た。
彼女、メルティは<創造者>ライリーのパートナーであり最高傑作の一つだ。
言葉の通りに人形めいた整い過ぎた美貌とプロポーションは、製作者のライリーが全力で調整した結果。
また性能面でも、メイドとしての家事百般から戦闘ゴーレムの制作の補助、果ては補助操縦者とライリーのあらゆる面のサポートを行えるように調整されている。
しかし、事個人の戦闘面で見た際には、彼女は全く別の様相を示すのだ。
彼女は生体部品を多く使用され、生き物と区別はつかないが、本質的には魔像の一種である。
人を模した人形。だからこそ、彼女には生き物では不可能な機能も内蔵されている。
今もまた、フェルン邸に侵入した暗殺者が一人、身を隠していたいた筈の物陰から姿を現し、声も無く立ち尽くした。
微かに瞳が揺れているところを見ると、今はまだ意識がある様子。
しかし直にそれすらも無くなり虚ろな瞳となると、ゆっくりと歩きだす。
程なく使用人らしき男数人がそれを確認すると、メルティに一瞬視線を向けた後に男を捕縛する。
メルティは何も言わずに微笑むだけだ。
このようなやり取りは、この夜何度も繰り返されている。
ガイゼルリッツ皇国では、先だってのフェルン領への侵攻のような、諸侯間での武力衝突など本来は珍しい。
フェルン侯爵家とホッゴネル伯爵家のような反目し合う関係も多いが、小競り合いならばともかく本格的な武力衝突は中央の不興を買うためだ。
そこで古くから活用されてきたのが裏の技術を持つ者達、諜報員に工作員や暗殺者と言った類であった。
諜報や他領の状況、他家の内情などを探るところから直接の排除、更にはそれらに対する防諜。
現在の皇国は門の中の力を得て直接的な戦闘に傾いているが、かつて皇国が王国であった頃には暗闘こそが貴族間の闘争の主戦場であったのだ。
しかし、そのかつての主役である暗殺者たちは、ただ一人のメイドの前にことごとく屈していた。
(ふふ……こちらの方はこの世界の方では珍しいほど毒物に耐性をお持ちでしたが、マスター特製の私には通用しませんわ)
そう、これらは全て彼女メルティの仕業であった。
彼女は、メイド姿の人形であると同時に、その全身至る箇所に特性の錬金毒を仕込んだ毒人形でもあるのだ。
今回彼女が使用しているのは、対象の意識を奪い支配下に置く無味無臭の催眠毒。
ライリー謹製のこの毒は、この世界の人間では到底抵抗不可能な毒性を持ち、耐性などなかったがごとくに侵入者たちの意識を奪い、捕縛していったのだ。
更には、その称号<毒の達人>の特性により、自在な散布注入が可能となる。
その上彼女は暗殺者系統の伝説級位階である称号<死の刃>さえも持ち合わせている。
暗殺者側の行動を予測するなど、とるに足らぬ事であった。
結果ただの気体の如く無差別に散布するのではなく、指向性を持たせ暗殺者が潜みそうな箇所にのみ滞空維持させ得るのだ。
これにより、屋敷に侵入するもの達は、自分から催眠毒の漂う物陰に佇み、そして餌食になっていったのだった。
なおこの毒の自在な操作、普段ライリーへ行っている奉仕にて媚薬や興奮剤の操作と言う形で活用しているのはライリーと彼女だけの秘密である。
それはともかくとして、メルティは配置した毒の状況を確認しながら、屋敷の各部を回っていた。
使用人らしき男たちは、フェルン候直属の暗部であり、メルティが行っているのは本来彼らの領分である。
しかし、今回フェルン候へと延びる暗闘の刃への対処は、彼女が矢面に立ち続けて居た。
それがライリーがフェルン候へと帰順する証建てであるからだ。
暗部の者達も、船旅の当初こそ不満を抱いていたものだが、最早そんな色は浮かべようもない。
既に彼らにあるのは畏怖のみだ。
なまじメルティがこの世とも思えぬ美貌を持つがゆえに、現実感などとうに霧散しているのだろう。
船旅の最中にあった無数の夜陰に紛れての襲撃は、その全てが戦闘にすらならずに、無数のかつて暗殺者であった自意識を失った人形を量産するばかり。
あまりの常識はずれな光景に、相応の訓練を受けているはずの暗部の者達も驚愕を隠す事は出来なかった。
もっとも、フェルン候本人はその成果を豪胆にも喜び、嬉々としてナスルロン諸侯への裏工作に利用する気でいたのだが。
「……そろそろお客様のお友達もお眠りのお時間かしら?」
しばらくして、フェルン候の屋敷は深夜に相応しい静寂の中に在った。
既に侵入して来る者達は絶えている。
更には自意識を失った暗殺者たちの口から、後方の支援班の情報も明らかにされている。
メルティは邸宅内の防衛を続けなければならぬため、それら皇都の各地に潜む輩の確保は、フェルン家の暗部の仕事であった。
敵味方判別の符号さえ聞き出しているため、それらの捕縛は容易であると言え、今頃は密やかに事が運ばれていることだろう。
(ですが、夜が明けるまで……いえ、マスターと共に帰るまでは何が起きるか判りませんね)
とはいえメルティは気を抜かない。
ここまで襲撃してきたのは、全てナスルロンの諸侯からの刺客であったが、別口が居ないとも限らないのだ。
そもそも現在皇国の諸侯の内もっとも力を持つとされるフェルン候は、必然的に敵も多くなる。
ナスルロン諸侯が派手に動いているこの状況に乗じて足を引っ張らんとする諸侯も多いという情報は、フェルン候から、そして夜光がここまでに張り巡らせたモンスターの情報網にももたらされていた。
だから、一切気を抜いて居なかったのだ、彼女は。
故に、それに気づけた。
(……なんでしょうか?)
ほんの、些細な違和感に。
何かを感じているのに、それを認識できないかのような。
同時に、メルティは気づけなかった。
目の前にいる彼女に。
「その言葉を言おうとするまさしくその最中、その笑いと喜びのまさしくその最中、彼は突然静かに消え去った――」
「えっ!?」
突如吟じられた詩の一節に、彼女は夢から覚めたかのように目をしばたかせた。
それが目の前の女の口からもたらされるのを認識し、混乱は加速する。
あり得ない事だった。
メルティの称号<死の刃>は暗殺者というだけではなく、斥候としての知覚判定に多大なボーナスを与えるものだ。
その知覚の精度は透明化や霊体、存在の希薄化といった特殊な隠蔽にすらカウンターとして作用する。
少なくともそれらが行使されて居れば、能力を行使されていると言う事実自体は察知可能なのだ。
しかし、目の前の女からは一切それらを感じなかったのだ。
「弛んでいるぞ人形メイド。どうやら愛しのご主人様に抱かれ過ぎて鈍ったらしい。なんなら修行をやり直すか?」
めの前の女は、今まで目の前にいる事すら気づけない筈がないほど、特徴的な存在だった。
まず容姿が際立っている。艶やかな漆黒の髪に無数の飾り紐を編み込み、それらは文様を描いていた。
身に付けた装束はどこか道化師のようにひらひらとした飾り布で彩られている。
そんな姿で、何故か大領のロープでグルグル巻きにされた何かを小脇に抱えているのだ。
奇妙にもほどがある。
次いで言うならば、この女の事をメルティは知っていた。
その事実が彼女を混乱させる。
記憶の中の彼女ならば、ただ気配を消すという一点のみで誰かの視界に入っていても一切知覚させないと言う芸当を行えたのは確かだ。
更に言うなら、神に編み込まれた無数の飾り紐や装束の飾り布は全てそれぞれが強力な効果を持つマジックアイテムであったり、毒物や暗器の隠し場所であったはずである。
同時に、ここにいるはずのない存在でもあった。
(スナーク師!? どうしてここに!?)
とっさに叫びそうになるのを何とかこらえ、メルティは目の前の女をつぶさに観察した。
そして己の五感と直感すべてで彼女が、アナザーアースの盗賊系PCの全ての師であるレディ・スナークだと確信したのだった。
プレイヤーは、職業系の称号を得る際には特定の職業系のクエストを受注することになる。
殆どの場合それは各職のギルドへの加入と、その中で師となるNPCから指導を受ける事となるのだ。
そしてこのレディ・スナークは、盗賊系職業共通の師匠NPCであった。
アナザーアースの開始都市である王都の裏通りからたどり着ける盗賊ギルドの教育係が彼女だ。
当初はややズレた言動をしつつもごく普通の教育係として、斥候等にも役立つ称号を取得させてくれるだけの存在だが、位階を上げるにつれて解放されるクエストでは、比類なき暗殺者としての顔をまざまざと見せつけるのだ。
なお余談ながら、この盗賊ギルドの構成員は、何故かルイス・キャロルの創作物のキャラクターから名前を付けられていた。
メルティもまた、各種称号の取得の為にライリーから盗賊ギルドに修行に出された身である。
その頃はまだ自身の意識が生まれる前であったが、設定と言う名の記憶が彼女にとってもレディ・スナークを師だと認識させていた。
「……お見苦しい姿をお見せしました、スナーク師。それにしてもどうしてここに?」
「その疑問こそ弛んでいる証拠だ人形娘。あれだけ皇都で騒ぎを起こせば否応なしに目につくに決まっているだろう?」
次いで告げられるのは、この暫く皇都で起きていた異変について。
当初は門の中の物品を持て余したこの世界の馬鹿者共の戯れかと傍観していた所に、今夜は大魔王に巨大魔像と大盤振る舞いされては動かざるを得なかったのだと。
「いえその事ではなく、この世界に師がおいでになられるその事がそもそも疑問ですわ」
「ああ、そっちか。大した話ではないぞ? これが原因でな」
そう言うと、盗賊師匠は背負っていた荷物を下ろす。
実の所メルティはその荷物を認識していたが、あえて意識から外していた。
何しろ、もぞもぞと動くす巻き状態の何かだ。
如何にも怪しさが満点である。
しかし、レディ・スナークの次の言葉に目を見開くことになる。
「これはな、ワタシの最後の弟子だ。ワタシは今こやつの同行者なのだ」
芋虫めいた動きをする物体。それは猿轡をされす巻きにされた少年であった。