5.大人と子ども
「…寝ましたか」
楓葉は自身の肩の上で眠る虎雅を確認し、小さく呟いた。
軽やかに聞こえる寝息を聞いていると、この少年が墨を手に掛けようとしたとは思えない。
楓葉はそんなことを考えながら、先程の墨との会話を思い出していた。
『ねぇ、楓葉』
『はい、何でしょう』
『急に呼んで悪かったね』
『何を今更』
虎雅が窓硝子を突き破って行った後。
墨と楓葉は沈黙の中にいた。
実は、昨夜のこと。
虎雅が眠っている隙に、墨は宿屋を抜け出していた。
それもこれも、楓葉に事情説明と協力を仰ぐため。
深夜の訪問客に、楓葉は目を擦りながら対応したのだ。
『貴方は本当にやることが突飛なんですよ。全く、昨夜も少年が逃げ出すとは思わなかったのですか?』
楓葉は目を座らせながら、墨を見た。
墨はそんな彼の意図を察してか、大袈裟にやれやれと首を竦める。
『僕を馬鹿だと言わんばかりの発言は止めておくれよ。
僕は彼を信じているからね。
絶対に僕の巻物を奪うって』
『その信じ方はどうなんですか』
楓葉は自信満々に、しかも満面の笑みを浮かべながらそう言う彼に溜息をついた。
『だがね、彼はあまりにも青い。そして物事を知らなさすぎる。
だから、彼に色々と教えてやって欲しいのよ』
『…それを私に、と?』
『ああ。頼まれてくれるかい?』
楓葉は思った。
この巻物の危険性を知った時に、少年はどのような選択をするのだろう、と。
きっと彼ならば、その危険性すらも受け入れてしまうのではないか、と。
「…だからこそ、私は君を止めなければいけないんですよ。虎雅くん」
楓葉は虎雅を抱き抱える腕に、そっと力を込めた。
*
虎雅は夢を見た。
子どもの頃の夢である。
小さな自分が、父や兄、そして母に愛情いっぱいに育てられている夢。
美味しい食事。
温かい寝床。
行き届いた教育。
そして柔らかな母の腕。
彼は夢の中で、これは夢だとすぐに気付いた。
しかし、この上なく幸せだった。
この夢が覚めて欲しくないと思った。
──それ程までに戻りたい過去は、もう2度と蘇ることは無いのだ。
「っ!はぁはぁ…」
「目覚めましたか」
「こ、ここは!」
「ここは私の屋敷です。安心してください、独り者なので。私以外は誰もいません」
布団から飛び起きた虎雅。
その横で楓葉は急須から温かい茶を注いでいる。
あまりにも静かなその様子に、虎雅は一旦噛みつくのを止め、再び布団に横になった。
虎雅は冷静に周囲を見回した。
居室から見えるのは、広い庭。
苔生した小さな岩があちらこちらにあり、まるで森深くの静けさを感じさせる。
さらには庭の中央に池。
時折魚影が水面をちらついて見える。
「…あった」
虎雅は布団の中から小さく呟いた。
楓葉は穏やかな声で「何が?」と返事をする。
「あったんだ。俺の実家にも池が。同じように魚が泳いでいた。
その魚に兄と餌をやるのが日課で…」
先程あのような夢を見たせいだろうか。
虎雅の口は自然と過去を紡ぐ。
「…魚は跳ねるんだ。そんで水をぶっかけられてさ。何度服をびしょびしょにしたことか」
楓葉は虎雅の独白を静かに聞いていた。
否定も肯定もなく。
ただ正座をしながら、相槌だけを打つ。
「…俺は実家を滅ぼしたヤツに復讐をしたい。
アイツの巻物は何でも書いてあんだろ?
犯人も分かるんだろ?
俺は、家族を殺したヤツを殺さなけりゃならねぇんだよ!」
静から憤りへ。
虎雅は布団を力強く握りしめながら、そう叫んだ。
彼の瞳からは、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出す。
「ったく、てめえもあの占い師も俺のことをなんだと思ってんだよ!
クソ、ナメやがって!
俺はあんたらから見たら、まだそんなにガキなのかよ!」
虎雅の叫び声と連動するように、庭に集まっていた複数羽の鳥が一斉に羽ばたいた。
白い羽根が庭に雪のように降る。
「違います」
楓葉は鳥たちが飛び去った後、穏やかな声でそう言った。
あまりにも優しい声だ。
虎雅は潤む瞳で彼を見つめる。
「ど、どういうことだ」
「師匠…墨も言っていましたが、あなたは知らないんです。
あの巻物の力を借りるということが、どういった意味を持つのか」
「は、は?」
虎雅は困惑した。
そんな彼の反応を見ながら、楓葉は続ける。
「確かにあの人は、巻物を使って商売をしています。
しかし、それは誰彼構わずではない。
きちんと依頼人の話を聞いた上で、引き受けられる依頼だけ受けている」
「は?」
「だから当然断る依頼もあるし、必要に応じて優しい嘘もつくでしょう。
だから思い通りの答えを得られなかった依頼人たちが、『アイツはインチキだ』と評価を下す」
「え、は?」
虎雅は困惑した。
脳内が情報でいっぱいになってしまう。
虎雅の瞳が左右に不規則に動き出したところで、楓葉は彼に茶を差し出した。
「ごめんなさい。
いきなり話しすぎましたね、貴方は病み上がりだというのに」
「…病み上がり?」
「3日、ですよ。貴方はずっと眠っていたんです」
今度は驚愕する虎雅。
コロコロと変わる彼の顔色に、楓葉はぷっと噴き出した。
「…あー、師匠が貴方を放っておけない訳が何となく分かりましたよ」
「んだと、またガキ扱いか!?」
「…まあ、広い意味で言うとそうでしょうね」
楓葉は穏やかな笑みを浮かべながらそう言った。
あまりにもほんわかとした雰囲気に、虎雅の怒りもすぐに引っ込んでしまう。
「守りたいんですよ、墨は貴方を」
「…は?」
「1つ、昔話をしましょうか」
楓葉は微笑んだ後、一口お茶を飲み込んだ。




