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40.裏京里



「ねえ策。君は、自分と僕が無事だったことを、自分たちへの挑戦状だとそう言っていたね?」



墨は立ち上がりながら、低い声でそう告げた。

策は動揺しながらも静かに頷く。



「違うね。君が無事だったのはたまたまだ」



しかし、次に墨が口にしたのは否定の言葉だった。

策は黙って、彼の次の言葉を待つ。



「アレは人間になんか興味ない。アレが誘い出そうとしてるのは僕。昔からそういうヤツなんだよ」

「…は」

「人間がアイツを利用してるんじゃない。アイツが人間を利用しているんだ」



墨は部屋の入口に向かいながら、小さくそう呟く。

そして部屋から一歩足を踏み出すと、一度策の方へ振り返った。



「策。君はとにかくこの路川街から離れた方がいい。できれば国外、それか神里…裏京里に行くといいよ」

「裏京里?」

「ああ。あそこだけは、未だに滅んだ場所であると、皇帝たちは思っているから。僕の中に、あそこが滅びてから一度も『裏京里』の名は流れてきてない」



策は墨の言葉に目を丸くする。

そんな彼を見て、墨は小さく笑った。



「…ちょうど、僕の弟子が里帰りをしているからさ。彼を尋ねるといい。命日なんだってさ」

「…っ、先生は!」

「僕?僕はアレと話さなきゃならないからさ。あれから300年。いい加減逃げてばかりじゃいけないね」



墨はそう言うと、策に背中を向けたまま、手をひらひらと振った。





*



墨が去って行った後、策はしばらく呆然としていた。

部屋の出入り口に向かって伸ばされたままの腕は、そのまま空中を漂っている。


相変わらず、外からは何も聞こえない。

本当にこの世界にただ一人だけになってしまったかのような感覚が、策の胸に渦巻いていた。



「…俺は三大貴族の長として、何も出来ないのか」



静寂の中、ポツリと零されたのはそんな言葉だった。

誰にも拾われることなく、言葉だけが空中分解する。



「…っとに情けねぇよ。路川街全体、なんていうデカいもんだけでなく。

俺は自分の家や、虎雅、そしてあの孤独なお坊ちゃんすら守れなかった」



策は拳に力を込める。

爪が掌に激しく食い込む。

痛い。血が出る。

しかし、彼はそれを止めなかった。



「…一体、何のために三大貴族なんてあんだろうな。いや、その前に何のために国なんかあんだろうな。

国民を守れなくて、何が皇帝だよ…!」



ぽたり、ぽたり。

掌から滲み出た血が、宿屋の古びた畳の上に滴り落ちる。

だが。

今は誰もそのことに対して、文句すら言ってくれない。


策はしばし沈黙に入った。

そのまま目を閉じ、そして数刻の後にカッと開く。



「…行くか、裏京里へ。先生が行け、と言ったんだ。先生の弟子とやらは、相当な実力者なんだろう」



策は自らの着物の襟を急いで整えた。

走って乱れた髪も、さっと手櫛で直す。



「待ってろよ、先生、虎雅、廉。それに路川街」



策は再び、誰もいない路川街へと足を踏み出した。




*



策は、裏京里への旅を始めた。

彼が頼りにできるのは、自身の脳内にある情報のみ。


その情報すらも、心に棲み着く不安が顔を出すと曖昧なものになってしまう。




──本当に裏京里は生きているのか。

──でも先生が言うのなら、嘘はないだろう。




彼の心には、不安と期待が交互に渦巻いた。


だから彼は裏京里についた途端、目を疑ったのだ。

なぜなら、そこには多くの人々が笑顔で暮らしていたから。


路川街や華見台よりも遥かに田舎。

だが、その二つの都会よりも生き生きとしていた。



「…ここが裏京里。本当にあった」



滅ぼされたと思っていた。

いや、一度は確実に滅ぼされた場所。


策は、旅の道中でボロボロになった服の袖で汗を拭う。

きっと今の自分は、誰もが三大貴族の長だと気付かないだろうと彼は思う。



「ふーっ、ここで探すか」

「誰をですか?」

「…そりゃ、先生の弟子を…って、は!?」



策は背後からの声に勢いよく振り返る。

そこには茶色の髪を靡かせる、一人の美青年が立っていた。




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