36.策と墨④
あの日の出会いから数ヶ月。
策は墨から、さまざまなことを教わっていた。
彼が文字の付喪神であること。
巻物のこと。
そして世界各国のこと。
墨の話は、策の心を掴むのに十分だった。
ちなみに、墨が文字の付喪神と知った時も策は別に驚きはしなかった。
どこか浮世離れした雰囲気の墨。
だから、心の中で人間ではないかもと思っていたのかもしれない、と策は後にそう振り返っている。
『先生。先生は時々、路川街を酷く懐かしい目で…何かを慈しむように眺める。それは何故なんだ?』
ある日。
いつもの古寺。
策は読んでいた書物を閉じて、ふとそう尋ねた。
寝転んで空を見上げていた墨。
彼は、その顔をゆっくりと策の方へ向ける。
『ほんっとに、君は最初の言葉使いから変わったよね。
それが先生に対する話し方?』
『いいだろ、別に。俺の素はこっちなんだ。先生の前では本当の自分でいたい』
『ははっ、やれやれ。よいしょっと』
墨はゆっくりと身体を起こした。
『まさか、君が僕の視線を見てるとはね』
『いつも見てるよ』
『え、愛の告白?』
『…冗談でも気持ちの悪いことを言うな』
両手で口を抑える墨を、策はジト目で睨み付けた。
墨はそれに対して、愉快そうに笑う。
『…ここは僕の故郷だからね』
『故郷?路川街が?付喪神に故郷なんてあるのか?』
『あるんじゃない?少なくとも僕にはあるから。ま、正確には「僕」が「僕」として意識を持った場所、かな』
『なんだ、それ。意味分からない』
『分からないよね。僕自身も分からないんだ、自分というものが』
墨は真っ直ぐに策を見つめた。
蟻すらも逃さないような鋭い視線。
策は唾を飲み込む。
『昔々、ここがまだ露華国になったばかりの頃に僕はここ路川街…正しくは、路川街になる前の小さな集落で生まれたんだ』
『路川街になる前の集落?』
『ああ。ふふっ』
『何を笑っているんだ?』
『いいや。こんな昔話、今まで生きてきて誰にも話してなかったと思ってさ。
聞いてくれるのかい?
長い話になるけど』
『もちろんだ。俺を誰だと思っている。俺は知識欲の塊だぞ』
『ははっ、それもそうだね』
墨はゆっくりと口を開いた。




