幕間-4 墨の日常
「ふわあああ〜、眠いなぁ」
「ちょっと!タダで泊まらせてるんだからね!ちゃんと掃除くらいしてもらわなきゃ!」
「えーん、酷いってぇ。女将さぁん」
「酷いのはどっちだい!この丸メガネ!」
路川街のとある宿屋の一室。
今日もお馴染みの怒鳴り声が聞こえてくる。
怒鳴られて涙目…のようになっている墨の手にはボロボロの布切れ。
彼はいやいやながら、それで窓硝子を拭く。
「でもさっ、こんなにボロボロなんだから新しくすればいいのに。布も硝子も」
「お生憎様。誰かさんみたいなのがいるせいで、ウチは貧乏から抜け出せなくてね」
「ありゃー、誰のことだろなっと」
「あんたねぇ!」
宿屋の女将は、額に青筋を立てながら墨の頭にげんこつを落とす。
彼はわざとらしく泣いてみせた。
「うえーん、ひっどーい!女将さんが殴ったあ」
「嘘つくな!ったく、あんたは昔からそうなんだから!
よくもまあ、よく来るあの美男子の兄ちゃんは、あんたから逃げ出さないもんだよ」
「楓葉のことー?駄目だよー?あの子、多分理想高いから。
いくら女将さんでもあげませーん」
「何変なこと言ってんだい!そんなつもりで言ったんじゃないよ!
ほんっと、あんたと話してると疲れる!」
「へへへ、褒め言葉として受け取っとくよ」
ここまではいつもと同じ流れ。
女将は変わらない墨に向かって、深くため息をついた。
「あたしもね、いつまでも生きているわけじゃないんだ。今年でもう75。いつ何があっても可笑しくないんだから」
「あの可愛かった子が、もうそんな年かあ」
「そうだよ。この宿屋だってボロい。あたしが死んだら壊しちまうかもしれない。
あんた、もっとちゃんと身の振り方考えなよ。
…って、そう言い続けてもう60年か」
「ははは、そうだね」
女将の表情が緩む。
そして彼女は、部屋の入口へと歩いていった。
部屋を出る前、彼女は顔を少しだけこちらへ向ける。
「掃除が終わったら、次は買い物だ。それくらいやってもらうよ」
「はいはい」
「はい、は一回!」
「はぁい」
トントンと階段を降りていく音がする。
墨はその音が聞こえなくなるまで、しばらく耳を澄ませていた。




