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第7話

オリバー視点(出征前夜)

王宮の廊下は、夜になると音を吸い込むように静かだ。


松明の灯りが等間隔に並び、石床に長い影を落としている。


私は任務の合間、報告書を届けるために足早に歩いていた。


――今日は、彼が発つ前夜。


分かっている。

会えないことも、話せないことも。


それでも、心のどこかで――


もしかしたら、という淡い期待を捨てきれずにいる自分がいる。


その時だった。


廊下の向こうから、聞き慣れた足音がした。

一瞬で分かった。

視線を上げる前から、分かってしまう。

オーグだ。


遠征前の装備を整えた姿。

肩に掛けた外套。

ほんの少し、気を張った歩き方。


胸の奥が、きつく締め付けられる。


(……だめだ)


今の僕は、近衛だ。

名を呼んではいけない。

足を止めてはいけない。


彼も、こちらに気づいた。


一瞬、視線が合う。

ほんの一瞬。

でも、その青金石の瞳が揺れたのを、僕は見逃さなかった。


オーグの足が、わずかに止まりかける。


(――来るな。来てはいけない。)


そう願いながら、表情を切り替える。


冷静な近衛の顔。

感情を削ぎ落とした、仕事の目。


彼の前を、何事もないように通り過ぎる。


距離は、ほんの数歩。

手を伸ばせば、触れられる距離。


なのに。


すれ違いざま、風が外套を揺らし、彼の匂いが微かに届く。


(…っ)


呼吸が、一瞬だけ乱れる。


オーグが、何か言いかけたように唇を動かす。

けれど、声にはならなかった。

僕も、言わない。


言えば、終わってしまう。


任務も、理性も、全部。


ただ、通り過ぎる。


背中を向けた瞬間、拳を強く握りしめる。


(いってらっしゃい)


声に出さず、心の中でだけ告げる。


(どうか、ご無事で…)


足音が、遠ざかる。


振り返りたい衝動を、歯を食いしばって抑える。

――ここで振り返ったら、きっと駄目になる。


角を曲がり、視界から彼の姿が消えた瞬間、ようやく息を吐いた。


胸の奥が、ひどく痛む。


触れられなかった。

声も、かけられなかった。


それでも。


あの一瞬で、分かった。


彼も、同じだけ耐えていたことを。


「…行ってらっしゃい、オーグ」


誰もいない廊下に、かすれた声が溶けていった。


解放されるその日を、ただ、待つ。



*** オーグ視点(遠征中)



野営地の夜は、静かだった。

焚き火の爆ぜる音と、遠くで鳴く夜鳥の声。

鎧を外し、外套を羽織って空を見上げる。


―星が、よく見える。


王都の夜と違い、空は深く、濃い。

黒ではなく、藍に近い闇。


(…オリバー)


自然と、名を呟く。


あの夜の庭。

手をつないで歩いた石畳。

静かな声。

瞳を夜空に喩えられたこと。


胸の奥が、じん、と温かくなる。


…いや、少し、痛い。


三日前の出征前夜。

王宮の廊下ですれ違った背中が、脳裏に浮かぶ。


呼び止めなかった。

呼び止められなかった。


分かっている。

互いに任務中だ。

触れてはいけない。

それでも。



(……一言くらい)



「行ってくる」と。

「待ってろ」と。


言えなかった自分が、少しだけ情けない。


風が吹き、焚き火の火の粉が舞う。

夜気が、頬を冷やす。


「団長、冷えますよ?」


部下の声に、軽く手を振る。

「大丈夫だ。もう休め」


再び空を見る。

星は変わらず、そこにある。

遠征中、何度も見上げてきた光。



(今頃、同じ星を……)



いや、今は無理か。

彼は王宮の中、灯りの下にいる。


それでも。


(見てなくても、そこにある)


彼も、同じだ。


会えなくても。

触れられなくても。

確かに、いる。


胸元に手を当てる。

鼓動は、強く、確かだ。



同じ時間に、同じ場所にいられるようになる。

何を話すかは、決めていない。

ただ――


抱きしめる。

それだけで、いい。


夜風が、星を揺らすように見えた。

「待ってろ、オリバー」


誰に聞かせるでもなく、そう呟く。




遠征の夜は静かで、少し寒い。


それでも胸の奥には、確かな温もりがあった。


――彼が、いる。




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