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トロピカル・ナイト・シティ  作者: 真好


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7.処方箋

7.処方箋


「太陽ですか?」

 私はできるだけ冷静に問い返す。

「でも、太陽の方がもっと熱いんじゃないですか?」

「そう。太陽は熱い」

 エンジニアが説明する。

「だけど、暑くはないんだ。この違い、感じられる?」

「感じられません」

 そう答えるしかなかった。

 原因を考える余裕もないほど、パニックに陥っていた。

 だが、このパニックはいったいどこから来るのだろう?

「でも、あんまり怖いとは思ってないみたいだね」

 エンジニアがそう言うと、私はその通りだと感じて頷く。

「正直、そうです」

「だけど、怖いと思わなきゃいけないと思ってる」

「似たような感じです」

 エンジニアは頷く。

「多分、それは人間にとって死が一番怖いものだから、そう感じるようプログラムされているからかもしれないね」

「先生もそう感じるんですか?」私は思わず尋ねる。「先生は、死が怖いと設定されてないんですか?」

「いや、設定されてるよ、もちろん」

 彼は続ける。バーの向こうに置かれたマグカップに入った、ブラックホールが渦巻くようなブラックコーヒーを口にしてから。

「だけど、君みたいに『恐怖だと感じなきゃいけない』というメタ認知が働いてる状態とは少し違うかな。まあ、根本的に恐怖を感じるようプログラムされてる点では同じだけど」

「そうですね……」

 私はついネガティブな気分になる。

「メタ認知したところで、プログラム自体を変えることはできませんからね」

「そうなんだよね」

 彼は、ほぼ光速の10分の1ほどの速さで動く手で編み物を続けながら言う。

「いくらエンジニアの仕事を選んでも、死への恐怖をどうにかしたくてこの道を選んだとしても、無理だった。このプログラミングは、人工的に作られたものじゃなくて、宇宙の自然な意思――エントロピーの増加傾向に直結してるものだから、どうしようもない」

 そんな話をしているうちに、ふと横を見ると、一緒に来ていた迅璃がいつの間にかスリープ状態に陥っていた。

 彼女はバーの一角に座り、耳に有線イヤホンのようにケーブルを接続して充電中だった。

「そろそろ本題に戻ろうか」

 突然、エンジニアが編み物をやめ、私の方を向いて言う。

 処方を下してくれるらしい。

「とりあえず、処方箋を渡すよ」

「はい。お願いします」

 エンジニアは、猫たちのうちに唯一起きている黒猫に視線を送る。すると、黒猫が毛玉を吐くような仕草で何かを取り出し、エンジニアがそれを拾う。彼は手際よくその毛玉を編み物のように扱い、A4サイズのきれいな紙に仕上げた。

そして、それを私に手渡す。

私はそれを読む。



「トロピカル・ナイト・シティから出る。太陽を拝む。残り時間、168時間」



 私は処方箋をじっと見つめ、1秒という長い時間をかけて目に焼き付ける。

 あまりにも強い視線で凝視したせいか、紙は本当に焼き尽くされ、火がついて灰になってしまった。

「どう?」エンジニアが言う。「目に焼き付いたから、記憶喪失でも忘れられない感じ?」

「はい、そんな感じです」

「よし」

 エンジニアがスツールから降りる。

 スツールの下は、果てしないブラックホールを中心に、金平糖が吸い込まれるような明るい絨毯が広がっている。足のつく場所がないため、この小さな男の子がブラックホールに飲み込まれてしまうのではないかと一瞬心配したが、彼は落ちもせず、空中に浮かんだ。

 まるで宇宙の仙人のように。

 白衣の裾はブラックホールの床に触れ、金平糖のような色とりどりの光に染まっていく。

 その仙人のようなエンジニアは、まるで映像が一時停止したかのように静止しながら、ゆっくりと私の方へ近づいてくる。

 私はその光景を、まるで幽霊に取り憑かれたような、あるいは悪夢と良い夢の狭間にいるような神妙な気持ちでじっと見つめる。

「薬局に行く時間もないだろうから」

 エンジニアが言った。

「薬も私が渡しちゃおう」

 彼が差し出したのは、ずっと超高速で編んでいた編み物の完成品だった。

 それはマフラーだった。

 まるで星の王子さまが身につけていたような、淡い清涼飲料水をさらに薄めたような空色の、ふわふわとしたマフラー。

 私はそれを受け取り、尋ねる。

「これは何ですか?」

「鎮痛剤だよ」

 エンジニアが説明する。

「時間が経つにつれて、頭痛が起きる可能性が高い。まあ、起きないかもしれないけど、起きた場合はきっと寒くなるはずだ」

「こんな真夏に、ですか?」

「そう。感染してボディの免疫ソフトウェアが働き始めると、温度調節プログラムが狂う。この点も実に人間らしいところがあるよね」

「じゃ、頭痛が起きたときだけつければいいんですね?」

「それはお勧めしないね」

 エンジニアは懐からパイプのようなシャボン玉を吹く棒を取り出し、小さな瓶にライターのようにつけて透明な原液を入れ始める。

 原液は透明だったが、彼がその棒を吹くと、淡い紫色のネオンライトのようなシャボン玉が、かすかな煙のように漂い始める。

 めまいがするほど甘い香りを放ちながら。

 その甘さに、まるでスイーツを頬張った子供のような幸せそうな表情になったエンジニアは、薬の取り扱いについての注意点を続ける。

「頭痛が始まってから鎮痛剤をつけても、効くまで時間がかかる。ずっとつけておけば、頭痛がひどくなる前に抑えられる。予防的な感じだね。火事が大きくなる前に消火できるようなものさ」

「そうですか」

 私は渋々頷き、両手に持った厚くて暑そうなマフラーを見下ろす。

 作り自体はとても精巧で、編み目一つ一つに誠意が込められているようだ。模様やパターンはない無地のデザインだが、私は模様のあるものより無地を好む。このエンジニアは私の好みまで読み取って作ってくれたのではないかと思ってしまう。

 このエンジニアが好きになる。

「ありがとうございます」

 私は彼にお辞儀をし、これなら文句を言わずにずっとつけていようと思う。

「診察料と薬代はいくらですか?」

 彼が料金を告げると、私は財布を取り出し、中を確認する。

 電子マネーは全くなく、コインしか入っていない。そのコインも、0.0003秒前に下落したばかりで、辛うじて支払うべき総額を0.003円上回る程度だった。

「ギリギリ払えるね」

 エンジニアが苦笑いしながら、さっき毛玉を吐いて処方箋を印刷してくれた黒猫を私の方へ送る。

 黒猫は私のそばに来て、財布からコインを0.003円だけ残してきっちり受け取った。

 こうして、私の全財産は0.003円になった。

 支払いを終えると、ちょうど迅璃が目を覚まし、伸びをするところだった。

「終わったんですか?」

「うん」

 エンジニアが彼女に答えると、迅璃は私を見て、どこかすっきりしたような笑みを浮かべる。

「よかったですね」

「いや、別に良くはないけどな」

「あ、そうか……」迅璃の顔がすぐに曇る。「今、死に際に立たされてるんですよね」

「まあね」

「じゃ、というわけで」

 エンジニアが話を締めくくり、急に私たち二人に興味を失ったような表情に切り替える。

「次の患者が待ってるから」

「はい」

 私はすっとスツールから立ち上がり、迅璃と共に、金平糖のブラックホールで満ちた床を自然に浮遊しながら診察室を出た。

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