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トロピカル・ナイト・シティ  作者: 真好


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20.拳の蚊、巨大魚、サル

20.拳の蚊、巨大魚、サル


 迅璃が甲高い悲鳴を上げる。

 確かに恐ろしい光景だった。

「バレちゃったか……」

 だが、店員は小さな蚊が一匹現れた程度の、うっとうしそうな態度だ。

 化け物の群れが近づくと、店員はしゃがみ、ぬかるんだ褐色の泥を無造作にすくい、自分の体に塗り始めた。

「皆さん、早く泥を塗ってください」

 自虐的な笑みを浮かべ、促す。

「体を泥まみれにしてください。さもないと、噛まれますよ」

「噛まれるとどうなるの?」

「放電されます。最悪、バッテリーパックを交換する羽目になるかも」

「それは嫌だね」

 麻酔なしの歯茎治療の53倍以上の苦痛を伴う修理は、ヒューマノイドロボットが最も嫌うメンテナンスの一つだ。

 迅璃もぞっとしたようで、拳の蚊そのものより、その修理への恐怖が強く植え付けられたように見える。まあ、蚊がその修理の原因になり得るのだから、同じことか。

 とにかく、私と迅璃は急いでしゃがみ、店員と同じように体に泥を塗り始めた。裸だから、刺されると電気エネルギーを直接吸われやすい。

 時間がなく、結局泥の上に寝転がり、全身を泥まみれにする。

 迅璃も私に倣う。

 店員は服のない部分だけ丁寧に泥を塗り、慣れた手つきだ。

 拳の蚊たちが到達した時、私たちは泥で完全にコーティングされていた。

 拳の蚊たちが目前に迫り、その形相はすさまじく恐ろしく、まるで激怒したかのように顔をぎゅっと歪めている。

 そして突然、全身で私たちに体当たりしてきた。

「な、なに?!」

 迅璃が叫ぶ。

「泥を塗れば攻撃されないんじゃなかったの?!」

「いいえ」

 店員が落ち着いた声で答える。

「口の針で刺されないだけです。だから、刺せなくなったこいつらは苛立って、泥が剥がれるまで体当たりで殴ってくるんです。拳のパンチみたいな勢いで」

「いたっ!」私は叩かれながら声を上げる。「これ、結構痛いよ!」

「そりゃ、パンチですからね」

「どうすればいいんだ?」私は尋ねる。「このままじゃ、刺されて放電されるか、殴られて壊れそうなんだけど。殺虫剤とかないの?」

「ちょっと、持ってくるの忘れました」

「はあ?!」

「ごめんなさい。殺虫剤、大きくて重いし、面倒だったんで」

「じゃ、この状況どうしてくれるんだよ!」

 店員はうつむき、まるで群衆に踏みつけられたカメのように背中を丸めて攻撃に耐えながら説明する。

「でも大丈夫です。運がよかったですね」

「どういう意味だ?」

「幸い、私たちは今、川の近くにいるので、なんとかなりますよ」

 彼女の言葉が終わる前に、何かが起こる。

 川から突然、巨大なシルエットが飛び出してきた。

 水面を切り裂き、ピーコックバスが勢いよく飛び出し、姿を現す。

 その巨体は、私たちがヒッチハイクで乗せた白熊の約二倍の大きさだ。鋭い歯をむき出しにした巨大魚が私たちの方へ突進し、拳の蚊の群れの一部をリンゴをかじるように一気にかみ砕いた。

 すると、蚊たちの腹から消化しきれなかった鮮血が周囲に飛び散る。

 血のシャワーのように、鮮やかな赤が空気を染め上げる。

 次に、水面からシマウマ柄をまとった、10メートルはありそうなピラルクーが、網から逃げ出したような猛烈な勢いで飛び出し、蚊の群れの別の部分をかじる。

 またも血の豪雨が降り注ぎ、ジャングルの色彩を赤く塗り替える勢いだ。

 拳の蚊たちは瞬く間に数が三分の一に減り、天敵を避けて慌てて遠くへ逃げ去った。

 水面から飛び出したまま泥の上に落ちた二匹の巨大魚は、かじった蚊を咀嚼しながら、力強く泥の中でバタつく。猛烈な勢いで暴れるため、周囲の泥が四方八方に飛び散り、まるでグレネードが爆発したような惨状になる。

 このままでは、巨大魚のバタつきに巻き込まれ、殴られたら破損してしまうかもしれない。それに、巨大魚たちは食欲に駆られて水から飛び出し、蚊を堪能したまではよかったが、水中に戻る方法までは考えていなかったらしく、苦しそうに鰓をパクパクさせながら泥の中で身もだえしている。

 到底抜け出せそうには見えない。

 むしろ、徐々に泥の底に沈んでいく。

「助けてあげよう!」

 迅璃が叫び、早速ピーコックバスのそばへ駆け寄り、両手でその巨体を川の方へ押し始める。私もすぐに加わり、一緒に押す。しかし、押せば押すほど私たちの足も泥に沈み、結局諦めて沼から出るしかなかった。

 沼の外から、沈んでいく巨大魚たちをかわいそうに見下ろす。

 彼らの目は、だんだん死んだ魚の目のように灰色に濁っていく。

 迅璃が涙声で私に尋ねる。

「どうにかならないの?! このままじゃ死んじゃうよ! 私たちを助けてくれたのに!」

 私は0.00025秒考え、素粒子サイズのインベントリーリュックを取り出し、そこから何かを取り出した。

 それは、白熊からもらった毛並みで作られた布だった。

 私はその布をくるくると巻いて縄状にし、近くの頑丈な木の幹にしっかりと結びつける。最悪の場合、布が巨大魚たちと一緒に泥に沈まないようにだ。

 次に、布の端を沼の方へ投げ、巨大魚たちがそれに食いつくように仕向けた。しかし、巨大魚たちはそれを漁師が自分たちを釣ろうとする罠と誤解したのか、口にしようとせず拒絶する様子だった。

「大丈夫!」迅璃が巨大魚たちに叫ぶ。「安心して掴んで! それが君たちの命の綱だから!」

 巨大魚二匹は、訝しげな目で迅璃を睨むが、鰓をゼイゼイと動かし、息も絶え絶えな様子で、結局は「ダメ元でもいいか」と諦めたように私が投げた縄状の布に食いつく。私はそれを力強く引っ張り始めた。

「…重い!」

 重い。だが、完全に不可能なほどではない。

 迅璃もすぐに手伝ってくれたので、なんとかなる気がした。いくら巨大とはいえ、こちらも高性能なヒューマノイドロボットだ。自分でも驚いたが、意外と力が強かった。

 徐々に巨大魚が沼から引き上げられていくのが目に見えてわかる。

 だが、だんだんパワーが落ちていく感覚もある。

 もう少し力が必要だったが、迅璃と私だけではどうにも足りない。

「店員さん!」

 私が美貌の店員に声をかける。

「手伝ってください!」

 だが、店員は微動だにせず、ただじっと私たちを見つめているだけだ。

 面倒くさがりな性格だからやる気がないのだろうと思ったが、彼女の表情はどこか違う。今まで死んだ魚のような生気のない目だったのが、退廃的な美しさを漂わせていたとはいえ、今回は明らかに様子が違った。目の奥に宿る力が、まるで空気圧が変わったかのようだった。

 彼女の視線は私たちではなく、正確には私たちと巨大魚を繋ぐ布の縄、そのピンと張った直線に釘付けになっていた。

 手伝ってくれないなら仕方ない。

 迅璃と私だけで何とかするしかないと諦めかけたその時、遠くからサルたちの声が聞こえてきた。誰かを呼びつけるような声が、徐々に近づいてくる。

 振り返ると、大勢のサルたちが木々をターザンのように素早く飛び移り、こちらへ向かってくるのが見えた。

 ちょうどいい。

 手を貸してくれと頼むまでもなく、サルたちは私たちのそばにやって来て、縄を両手でしっかり掴み、一緒に引っ張り始めた。

 まるでジャングルの運動会で綱引きでも始まったかのような光景だ。

 30匹ほどの小さなサルたちが力を合わせてくれるおかげで、巨大魚は目に見えてぐいぐいと沼から引き上げられていく。

 縄は十分な長さがあり、全員が掴めるようになっていた。

 その結果、サルたちの助けで二匹の巨大魚は無事に沼から脱出できた。

「やった!」

 迅璃と私がハイタッチを交わし、助けてくれたサルたちにもハイタッチを提案しようと振り返った瞬間、言葉を失った。

 サルたちが巨大魚を食い始めたのだ。

 迅璃は止めようとする気力もなかったのか、目を逸らし、ついには私の胸に顔を埋めてその光景から視覚センサーをそらした。

 確かに厳しい光景だったが、私は目を逸らさなかった。これがジャングルの法則、プリミティブな自然の成り行きだと、世の理について思いを巡らせた。

 サルたちは秒速で巨大魚を平らげ、ついには骨だけがきれいに残された。

 私がその残骸を客観的かつメタな視点で見つめていると、横から声がかけられた。

「それ…」

 店員の声だった。

 彼女はこれまで見たことのないほど興奮した表情で、私が握っている白熊の布を指さしながら尋ねてきた。

「その布、どこで手に入れたの?」

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