だって嬉しかったので
ヴェルデ領の領主ご夫妻の部屋へ入ると、二人はそれぞれのベッドで、すうすうと寝息を立てていました。
瘴気によるものだからか病人特有のにおいはしませんが、二人の身体の周りには薄っすらとした瘴気の靄が漂っていました。
この靄は……あ、良かった、毒がない奴ですね。
「もしかして今は薬で眠ってらっしゃいます?」
「はい。昼食後に身体が痛むと言っていて……」
「なるほど、なるほど」
ありがたい――と言ってしまうのはあまり良くない事ですが、浄化をする際にはあまり動かないでもらえた方が良いので、心の中だけでそう呟いておきます。
「それでは始めても?」
「はい。よろしくお願いいたします」
リーフさんはそう言って頭を下げました。
……本当に真面目な方です、この人は。人によってはふんぞり返ったりするんですよ。
それなのに、まだ信用や信頼関係を築けていない私に対して、ちゃんと敬意を表してくれている。
この屋敷の使用人さん達の反応を見ても、きっと誰に対してもそうなのでしょう。
こういう人こそ穏やかで優しい人生を歩んでほしいものですね。
そんな事を考えながら私は、リーフさんのお父様の身体に手のひらを向けました。
目を凝らして瘴気を確認しますが、やはり肉体が盾になっていて身体の中にある瘴気が見え辛い。
ならば視点を変えましょう。先ほどの無害な瘴気を利用するのです。
有害無害と言いましたが、一つの場所から発生した瘴気は基本的に繋がっています。
なので無害な方の瘴気の穴から浄化の力を注ぎこんでみましょう、という感じです。
ま、いつものやり方ですね。
これならたぶん漏れなく行けるとは思うのですが……一度で成功するかは分かりません。根気強く続けましょう。
よし、と小さく気合いを入れると私は浄化の力を使い始めます。
先ほどと同じようにキラキラした光の粒を生み出すと、慎重に穴に注いで行きます。
一度にたくさん注いでしまうと、途中でその見えない血管が破れてしまい、隅々まで届かなくなってしまうので慎重に、丁寧に。
……正直に言いますと、今までで一番緊張しています。思わず手が震えそう。
ですが私よりもリーフさんの方がずっと緊張しているはずなので、何とか震えを堪えます。
処置をしている側が怖がっていたら、見守っている側なんて、もっと怖くなってしまいますからね。
ゆっくり、ゆっくり、時間をかけて浄化の力を注ぐ。
リーフさんのお父様が終わったら今度はお母様も、同じように浄化を進めます。
「…………これで、どうでしょ」
二人分の浄化を終えて、独り言をつぶやきます。
リーフさんのお父様とお母様の身体の瘴気の有無を、もう一度頭のてっぺんから足の先まで確認しましたが――大丈夫そう?
こうなると一番上のお兄様に診ていただきたいですね。瘴気の状態を確認する目が一番鍛えられているのはお兄様ですから。
時間が空いた時に来てもらえるように、後で手紙を書いておきましょう。
ですが二人の顔色は先ほどと比べるとずいぶん良くなっています。
上手く行ったかどうかはまだ分かりません。
けれども身体への負担は減ったと考えて良いでしょう。
「たぶん浄化出来たと思いますが、断言は出来ません。正確に診断が出来る人に連絡を取りますね。ちょっと時間はかかると思いますから、ご心配でしょうがそれまでお待ちください」
「――――っ、ああ……っ」
リーフさんは口を押えてくしゃりと顔を歪めます。
「……っ、ミモザ様、ありがとう、ございます……!」
そして嗚咽混じりの声でお礼を言われました。
彼の目からは涙がぽろぽろと零れ始めます。
「いえいえ、お礼はまだ早いです。本当に。ね!」
成功したとはっきり言えるまでは、ぬか喜びになってしまう可能性があります。
なので私はそう言ったのですが、リーフさんは首を横に振って、
「父と母のこんなに穏やかな顔を見たのは、ずいぶん久しぶりなのです。その事だけでも、何と感謝したら良いか……!」
と言いました。
……その気持ちは私も分かります。家族の苦しむ姿を見続けるの辛いですよね。
私の場合は家族に見せていた側なのですけれど、どれだけしんどいかは分かります。
辛くて、苦しくて、目を逸らしたくなる事だってあったでしょう。
けれどもリーフさんはそうしなかった。出来なかったとも言えるかもしれません。
十八歳という若さで領主代行を務める重責と、瘴気に侵され苦しむ両親の看病を同時に行うのは、相当の覚悟が必要だったと思います。
「リーフさん。もう大丈夫ですよと直ぐに言えない代わりに、もしも今回上手くいかなかったとしても、定期的にご両親の瘴気を浄化しに伺う事をお約束します」
「……ミモザ様?」
「何といってもご縁が出来ましたのでね!」
私はにこっと笑って返します。
本音を言えば、落ちこぼれだの力が弱いだの言われていた私がした事に、こんなに喜んでくれる人がいたのが嬉しかったんです。
それにリーフさんは私を最初に選んでくれました。
そこには何かしらの意図はあったのだと思いますよ。
でもね、自分は選ばれないって分かっていたのに、そうじゃなかったって結果をもらって。
……ちょっとだけね、救われた気持ちになったんですよ。捨てたもんじゃないなって。
私はコローレの王族の一人です。国民の憂いを晴らすのが私達の仕事です。
けれども私も人間なので、嬉しくなってしまったら、好きだなって思ってしまったら、ちょっとくらい贔屓したくなっちゃうんですよ。
言い方はあまり良くないんですけどね!
「だからね、気楽にって言い方は変ですが、ちょっとだけ肩の力を抜いていきましょう。リーフさんまで倒れてしまったら、ヴェルデ領は大変ですからね!」
「…………っ」
私がそう言うと、リーフさんは目を見開いた後、突然その場に跪きました。
あれ、これはどういう流れ……?
「私、リーフ・ヴェルデはミモザ・コローレ様に忠誠を誓います。これから先、永久に、如何なる悪意や災いからあなた様を守る剣となりましょう」
感極まった様子のリーフさんは誓いの言葉を口にしました。
何と言う事でしょうか。私、生まれて初めて忠誠を誓われてしまいました。
とても光栄な事なのですが、本当に私で良いのでしょうか。
そしてどうすれば良いのか……!
私は内心焦りながら、自分の記憶の引き出しを、一つ一つ大急ぎで開けていきます。
そう言えばお兄様やお姉様が忠誠を誓われた時に、たまたま居合わせた事がありました。
その時の二人は確か……。
「――ゆるし、ます?」
そう、確かそう言っていたはずです!
若干不安さが混ざった返事をすると、リーフさんは顔を上げて、パッと人懐っこい笑顔を浮かべました。今までと比べると年相応の表情に見えます。
良かった……んですかね?
とりあえずお兄様に送る手紙にこの事も書いておきましょう。
それにしても初日にも関わらず色々ありました。あまりにも濃い一日です。
そんな事を考えながら私はリーフさんの嬉しそうな笑顔を眺めていたのでした。