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夢を、見ていた。
それは子どもの頃、父が所有していた大きな別荘を訪れたときの夢だ。
避暑地にあるその別荘には、たくさんの貴族たちが集まっていた。
あの頃の父は、富を築くことには成功していたものの、それほど大きな力はなく、どの派閥にも属していなかった。
だから少しでも有力貴族と繋がろうと、多くの人達を招待していたようだ。
その中に、サザーリア公爵家令嬢のソレーヌもいた。
まだ幼かったミラベルは、静養のために避暑地を訪れていた彼女と仲良くなり、一緒に本を読んだり、鉢植えの花を育てたりしていた。
十五歳で王立学園に入学したときに彼女と再会し、懐かしく思ったが、ソレーヌの方は覚えていない様子で、残念に思ったことを覚えている。
(そう。騒がしいホールから離れた二階の奥に、彼女の部屋があって……)
記憶を辿るかのように、夢の中のミラベルは階段をゆっくりと上っていく。
父の所有していた別荘はとても大きな建物で、一階は社交が中心。そして二階は、静かに過ごしたい人達に向けて作られていた。
静養に来ていたソレーヌの部屋は二階だった。
母は社交で忙しく、ミラベルが傍にいると厭わしそうだったので、滞在期間中、ほとんどソレーヌと一緒に過ごしていた。
「おはよう」
夢の中のミラベルは、そう言いながら扉を開ける。
幼かったこともあり、毎日のように遊んだのに、名前も知らなかった。
今思うと、互いに貴族だということはわかっていたので、家名を知ってしまうと、関係性が変わってしまうようで怖かったのかもしれない。
とくにミラベルの両親は、爵位が下の人間と関わることを嫌っていた。
ベッドの上に座っていたソレーヌは、ミラベルを見ると嬉しそうに笑顔で迎えてくれた。
「おはよう」
そう挨拶を返してくれた彼女の声が、記憶よりも少し低い気がして驚く。
よくよく見れば、綺麗な顔立ちをして体も細いが、少女というよりは、少年のように見える。
(もしかして、ソレーヌじゃなかった?)
この夢もミラベルの記憶に基づいているのだろうが、朧気になっていたやや記憶よりも鮮明だ。だから、もしかしたら思い違いをしていたのかもしれないと、気付かせてくれた。
考えてみれば、あれほど毎日遊んでいたのに、ソレーヌがまったく覚えていないのも不自然だった。
(ソレーヌも言っていたわ。お兄様と違って、小さい頃から健康には自信があったから、少しくらい無理をしても大丈夫だと思っていたって……)
夢から覚めたミラベルは、両手で顔を覆うと、そのままベッドに突っ伏した。
「私が幼い頃に遊んでいたのは、リオ……だったの?」
だとしたら、出会った当初から優しかったのも、ミラベルが鉢植えの花を好きだと知っていたことも、すべて説明がつく。
「あの花……。サザーリア公爵邸の庭に咲いていた花も……」
元気になったら一緒に見に行こうと、幼い頃に約束していた、あの花だ。
リオはその花を公爵邸の庭に植えて、ミラベルに見せてくれた。
遠い昔の約束を、果たしてくれたのだ。
(それなのに私は……)
ひどい思い違いをしたまま、それに気が付かなかった。
「リオ……」
今すぐに、彼に会いたい。
そして約束を果たしてくれたことに、お礼を言いたい。
けれど、父の不正を暴くまでは帰らないと決めたのは、自分自身だ。
父の罪を考えれば、もう会ってはいけないと思っていた。きちんと引き受けた役目を果たし、罪も償わなくてはならない。
でもそのあとにまた、一度だけでもいいからリオに会うことは許されるだろうか。
自分勝手かもしれない。
それでも、幼い日の約束を守ってくれたことに対する礼だけは、何としても伝えたかった。
夕方になると、ミラベルの手紙を渡しに行ったジアーナが戻ってきた。
サザーリア公爵邸では、ミラベルがジアーナと出かけて帰らないと、大騒ぎになっていたらしい。
彼女はそんな中、サザーリア公爵邸に戻り、事情を説明して、ミラベルの手紙を渡してくれたのだ。
戻ってきたジアーナはぐったりとした様子で、ソファーに身を横たえている。
「私が暴走して、無理矢理あなたを連れ出してしまったのだから、自業自得なのはわかっている。でも、大変だったのよ……」
リオの怒りを恐れていたジアーナだったが、実際に怒りをぶつけてきたのは、ソレーヌの方だったと言う。
「ミラベルを返さないのならば、もうロヒ王国など信用できない。ロランドとの婚約も解消するとまで、言われてしまって」
「え?」
さすがに驚いて、ミラベルは声を上げていた。
たしかにソレーヌとロランドの婚約は政略的なものであり、もとは第一王子であるロランドの力を削ぎたい側妃の希望で成り立ったものだ。
けれど今のふたりは数々の困難を乗り越えて、固い絆で結ばれているはずである。
それを、簡単に解消するなどと口にするはずがない。
「私も驚いてしまって。つい、大袈裟だと言ってしまったの。たしかに無理に連れ出してしまったけれど、協力してもらうと約束もしてもらった。手紙だって書いてもらったのに、と」
するとソレーヌは涙ながらに、ミラベルはただの友人ではない、と語ったようだ。
学園で孤立してつらかったとき、ミラベルだけが傍にいてくれた。
敵対する立場であるのに、そんなことは関係なく、いつも親友でいてくれた。
ロランドもたしかに大切な存在ではあるが、ミラベルには変えられないのだと。
(ソレーヌ……)
そんなふうに思ってくれていたのかと、ミラベルの目にも思わず涙が滲む。
ミラベルにとっても、ソレーヌは大切な親友だった。
でもまさか、婚約者のロランドよりも優先してくれるとは思わなかった。
「ソレーヌまで泣かせてしまって。もうリオは私を許してくれないと思っていたわ。サザーリア公爵を怒らせてしまったら、ロヒ王国側にも損害を与えてしまう。もう捜査どころではないかもしれないって」
子どもたちを探すことを諦めるつもりはないが、ここは引いて、ミラベルもサザーリア公爵邸に返すしかないと覚悟を決めた。
「でも、リオは私を責めなかった。彼も、ドリータ伯爵家の裏には気が付いていたようね」
「え?」
リオは、父の違法な人身売買を知っていた。
そう思うと恥ずかしくなって、ミラベルは俯いた。何も知らなかったとはいえ、ミラベルはドリータ伯爵家の娘である。
「もちろん、ミラベルが何も知らないことはわかっていたわ。それどころか、ドリータ伯爵と彼が後継者として育てている、あなたの従兄……」
「ルーカス、ですか?」
「そう。その彼以外は、誰も知らないようね」
母も知らなかったと聞いて、ミラベルは少しほっとした。
けれどルーカスも知っていたということは、それらの裏取引も含めて、彼に継がせようとしていたのだろう。
「彼は直接話したがっていたけれど、あなたが帰らないと決めたから、その意思を尊重すると行っていたわ。だから私から、説明するわ」
ジアーナはソファーから起き上がると、真剣な顔になって話を始めた。
「第二王子の動向を探っているうちに、リオは多額の資金がドリータ伯爵家から流れていることを知った。たしかにドリータ伯爵家は裕福ではあるけれど、その成功はあまりにも急だった」
たしかにリオが疑問に思ったように、ドリータ伯爵家はもともと手広く商売をしていた家だったが、父の代になって急に裕福になったようだ。
それは父が優秀だったからだと、母は語っていた。
たしかに父は商売が好きで、いつも金儲けのことばかり考えているような人間だったから、そうかもしれないと思っていた。
「何か裏があるかもしれないと思ったリオは、数年かけて慎重に、ドリータ伯爵家を探った。そして、違法な人身売買をしていることを知った。しかも、この国ではなく、ほとんど交流のなかったロヒ王国から浚っている。……実は、ロヒ王国側にもドリータ伯爵家に手を貸している者がいたの」
ジアーナはそう言うと、暗い顔をして視線を逸らした。
「しかも高位貴族で、私もよく知っている人だった。リオが証拠を提示してくれなかったら、信じられなかったくらい」
「証拠を?」
「ええ。リオは、私よりもずっとこの事件に詳しくて、もう証拠もいくつか揃えていた。あなたにも、協力を要請しようと思っていたみたい」
「……私に」
「ええ。私が暴走してあなたを誘拐しなかったら、今頃は四人でこの話をしていたかもしれない。本当にごめんなさい」
そう言って、ジアーナは頭を下げた。
「いいえ。私が自分で決めたことです。でも……」
リオはすべてを知っていたのだ。
そう思うと、覚悟を決めて書いたはずの手紙がすごく恥ずかしくなって、いたたまれない気持ちになる。




