27
ここで婚約者ではないと言ってしまえば、リオは隣国の王女に嘘を言って縁談を断ったことになってしまう。
ここはリオのためにも、否定せずに受け入れるべきだ。
そう思ったミラベルは、ジアーナに深々と頭を下げる。
「申し訳ございません」
ミラベルという婚約者がいなければ、ジアーナはリオと婚約していた。
この国までリオを追いかけて来るくらいだ。きっと自分のことを厭わしく思うだろう。
そう思っての、謝罪だった。
「謝らなくても良いわ。むしろ私は嬉しいの」
けれどジアーナはそう言って、親しみさえ感じる笑顔を見せた。
「あのリオが、身分違いの恋をしていたなんて。家族以外を愛するような人には見えなかったのに」
さらに感慨深そうに、言葉通り嬉しそうに、そう言う。
(え?)
王女はリオに恋していない。
それがミラベルにもはっきりとわかった。
ジアーナは、噂に聞いていたような我儘王女ではないのだろう。
それならば何故、リオとの婚約を強請り、断られたというのに、わざわざこの国まで赴いたのか。
彼女の考えがまったく読めなくて、笑顔でこちらを見ているジアーナを、ミラベルはひそかに警戒していた。
「名前を教えてくれないかしら」
「ベル、です」
この屋敷でも、事情を知らない者にはそう名乗っていたので、そう答える。
「ベルね」
ジアーナは小さくそう呟くと、ミラベルをじっくりと眺める。
「メイドとはいえ、所作がとても綺麗だから、あなたも貴族なのでしょう?」
「……い、いえ」
貴族だと言えば、次は家名を尋ねられるかもしれない。
そう思ったミラベルは、首を横に振る。
「あら、そうなの? 幼い頃から身に付いた、自然な所作に見えたわ」
「……」
どう答えたら良いのかわからずに、ミラベルはソレーヌを見る。
けれどソレーヌも動揺しているらしく、表情を隠すのが精一杯のようだ。
(私が、何とかしなければ)
ここですべてが嘘だと知れたら、その矛先はリオに向かう。
もう、元の身分は捨てたのだ。
これから生きるために、必要な嘘を作り出さなくてはならない。
「元は、貴族でした。ですが没落してしまい、もう家族は誰もいません」
静かに、少し寂しげに、そう語る。
「そうだったの。それでメイドをしていたのね」
ジアーナは、納得したように頷いた。
ほっとして、思わず息を吐く。
けれど彼女はそれを、緊張しているせいだと思ったようだ。
「急に訪ねてきて、質問ばかりしてごめんなさいね」
「い、いえ。とんでもございません」
それを見ていたソレーヌもほっとしたのか、きつく握りしめていた両手を、膝の上に置いていた。
「でも、これからリオも大変ね」
にこやかに微笑みながら、ジアーナはミラベルを見つめた。
「守る者が、増えたのだから」
「……っ」
そう言ったジアーナの瞳が冷たい光を帯びたような気がして、ミラベルは息を呑む。
その瞬間。
扉が、やや乱暴に叩かれた。
この屋敷で、そんな無作法なことをする使用人はいない。
驚いて顔を上げると、中にいる人達の返事も待たずに、扉が大きく開かれる。
「お兄様?」
その姿を見たソレーヌが、声を上げた。
慌てた様子で駆けつけてきたのは、王城にいるはずのリオだった。
「ジアーナ王女殿下」
やや乱れた銀色の髪を撫でつけながら、リオは咎めるような視線で彼女を見つめる。
「これは、どういうことでしょうか」
「リオ、怒らないで。あなたの婚約者に会ってみたかったの」
ジアーナは、先ほどの冷たい瞳が嘘だったのではないかと思うほど、可憐なしぐさでそう言った。
「何を言っても会わせてくれないから……。本当は嘘ではないかと疑っていたの。でも、あなたの婚約者に会えてよかったわ」
彼女は、ミラベルをリオの婚約者だと勘違いしている。
その経緯を知らないリオは、いきなりそんな話をされて驚くだろう。
そう思っていたのに、彼は最初から知っていたように、ミラベルに心配そうな視線を向ける。
「大丈夫か? 遅くなってしまってすまない」
「い、いえ」
ミラベルは慌てて首を横に振った。
急に隣国の王女が押しかけてきて、ミラベルもソレーヌもとても心細くて不安だった。
忙しいリオが、急いで駆け付けてくれて嬉しい。
「大丈夫です。来てくださって、ありがとうございます」
お礼を言って微笑むと、リオの表情が柔らかくなる。
「……あなたも、そんな顔ができるのね」
そんなリオを見て、ジアーナは本当に驚いた様子だった。
「王城までお送りしましょう」
リオはその言葉には答えず、そう言って彼女に手を差し伸べた。
「いいわ。ひとりで帰れるから」
その手を取らずにひとりで立ち上がったジアーナは、ミラベルを見てにこりと笑みを浮かべる。
「また会いに来るわ」
「……はい」
王女の言葉を拒絶することもできず、ミラベルは頷くしかなかった。
リオは険しい顔をしたが、ジアーナはまったく気にする様子はない。
「私が気に入ったとなれば、あなたの大切な人を侮る者もいなくなるでしょう? 感謝してほしいくらいだわ」
そう言い残して、ジアーナは護衛や付き添いのメイド達に守られて、王城に戻っていく。
緊張が解けて、ミラベルは思わずその場に座り込みそうになる。リオが手を差し伸べて、支えてくれた。
「すまなかった」
「ううん。来てくれてほっとしたわ。私こそ、勝手に婚約者を名乗ってしまってごめんね」
そう謝罪すると、リオは複雑そうな顔をした。