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「ああ、エミリア。たとえ過酷な運命がふたりを引き裂こうとも、私が愛しているのは永遠に君だけだ」

 まるで恋愛小説のようなセリフが聞こえてきて、ミラベルは思わず足をとめた。

 ミラベル・ドリータは、このララード王国の伯爵令嬢だ。

 今日は王城で夜会が開かれていて、会話に疲れたミラベルは、少し休憩をしようと庭園に出ていた。

 婚約者はいるが、ファーストダンスを踊ったあとは互いに自由行動をすることが多かった。春に王立学園を卒業したばかりで、お互いにまだ学生気分が抜けていないのかもしれない。

 相手を嫌っているわけではないが、よくある政略結婚だ。

 ずっと離れずに寄り添っていられるほど、情熱的にはなれなかった。

 だから今日も、必要な挨拶が終わったあとはひとりで行動していたのだ。

 季節は夏だったが、夜になれば涼しい風が吹く。

 ミラベルは、その風にしばらく身を任せていたところであった。

 ところが、その庭園で逢引をしている者達と遭遇してしまったらしい。

(今の声、誰かしら?)

 一瞬、劇場にでも迷い込んでしまったのかと思うほど、芝居めいた言葉だった。

 しかも聞いているだけで恥ずかしくなるセリフから察するに、道ならぬ恋のようだ。

 禁断の恋は燃え上がるもの。

 最近貴族の令嬢の間では恋愛小説が流行っていて、そんな話がたくさんあった。

(この人達も、禁断の恋とかに酔っているみたいね)

 関わり合いになる前に、立ち去ろう。

 そんなことを呑気に考えていたミラベルは、聞こえてきた名前に思わず足を止める。

「ニース様。わたくしも、あなたのことだけを……」

「……嘘」

 思わずそう呟いてしまい、慌てて口を閉じる。

 ニース・ディード。

 それはディード侯爵家の次男で、ミラベルの婚約者の名前だった。

(まさかあの恥ずかしいセリフ、ニース様なの?)

 さっきの声は、自分の婚約者かもしれない。

 そう思ったミラベルは、咄嗟に物陰に隠れて、声の聞こえた方向を伺う。

 ニースとミラベルの婚約は、十歳のときに父親同士の間で決まっていた。まだ幼かったこともあるが、最初の頃のニースの態度は最悪だった。

 伯爵家のミラベルを完全に見下して、この婚約が不満だと、何度も口にしていた。

 のちに謝罪してくれたので水に流したが、あのときの不快な気持ちは今でも覚えている。

 あれがなかったら、もう少し友好的な関係になれたかもしれない。

 でも、貴族の結婚などそんなものだ。そう思って納得していたのに、どうやらニースは違っていたらしい。

(そう言えば最近、忙しいと言って、私と会おうとしなかったわね)

 ミラベルにしてみれば、ただ両親に定期的に交流するように言われて、それに従っていたにすぎない。

 だから忙しいなら仕方がないと気にも留めていなかったのだが、彼にはこういう事情があったようだ。

(エミリアって、誰だったかしら?)

 相手がニースだとわかると、女性の声も聞き覚えのあるような気がして、ミラベルはそっと声のした方向を伺った。

 王城から零れた光が、庭園を照らしている。

 その光の中に一組の男女がいた。

 ひとりは間違いなく婚約者のニースだ。

 金髪に、緑色の瞳。

 背も高いし顔も整っていて、学生時代はそれなりに人気があった。

 そして彼がその腕に抱きしめているのは、茶色の髪をした落ち着いた印象の少女。

(ああ、ピエット子爵令嬢のエミリア様ね)

 春まで通っていた王立学園の同級生だ。学園ではおとなしく控えめで、さらに女性らしいと評判だった。

 ただ同性にはあまり評判は良くなく、男性の前だと態度が違うとか、メイドのような身分が下の人には冷たいとか、陰では色々と言われている。

 つまり、そういう女性なのだろう。

 そんなエミリアを抱きしめて、ニースは愛を告白している。

 状況から察するに、ふたりは以前から恋仲であり、しかも王城で夜会が開かれている庭園でこんなことをしているということは、それを隠すつもりはないのだろう。

(……というか、ここって王城のホールからよく見えるような)

 隠すつもりどころか、もはや見せつけている状態だ。

 さすがにホールにいる全員に見られるようなことにはならないと思うが、それでもミラベルの他にも気が付いた人はいるだろう。

(結婚前から浮気確定ね。でも、これで婚約を解消……とは、ならないかもしれないわね)

 ミラベルは、ふたりに気付かれないように溜息をついた。

 普通なら、こんなに堂々と結婚前から浮気をされてしまったら、即座に婚約を解消したいところだ。

 でも貴族の結婚は、家同士の契約である。

 簡単に解消することはできないと、ミラベルにもわかっていた。

 爵位は、ニースの実家のディード侯爵家の方が上である。

 しかしディード侯爵の先代が事業に失敗して、あまり金銭的に余裕がなく、今はかなり切迫している状態だと聞く。

 それでもニースの姉であるリエッタは、第二王子であるクレートと恋仲で、ほぼ彼の婚約者に決まっていると言われていた。

 この婚約が成立すれば第二王子の派閥のトップに立てることもあり、ニースの父は必死だった。

 だが、そのためにはかなりの資金が必要だった。

 第二王子の婚約者に選ばれるには、クレートの母の側妃の意見も、非常に重要である。

 その側妃に定期的に贈り物をして、印象を良くしなければならない。

 さらに同じ派閥の貴族令嬢たちとも良い関係を保てるように、定期的にお茶会などを開いて、交流を深めなくてはならないだろう。

 そこで、資産家であるミラベルの父、ドリータ伯爵の手助けが必要になる。

(そして私のお父様は、有力貴族との繋がりが欲している。だから、ふたりの利害は一致していた……)

 ミラベルの生家であるドリータ伯爵家は、国内でも有数の資産家だった。

 領地には大きな港があり、さらに宝石が採れる鉱山も複数所有していた。

 ディード侯爵家ではその資金を欲し、父は事業をさらに拡大させるために、王家との繋がりを求めていた。

 ミラベルとニースの婚約は、その取引のための証のようなものだ。

 しかも、国王はまだ王太子を決めていない。

 第二王子の婚約者候補であるニースの姉は、王子妃どころか、王太子妃になる可能性もある。

 ララ―ド王国の王子は、ふたりいた。

 ひとりは隣国出身の正妃を母に持つ、第一王子ロランド。

 もうひとりは、側妃の子である第二王子クレートだ。

 本来なら正妃の子であり、第一王子であるロランドが王太子になるところだ。

 だが正妃は隣国であるロヒ王国の王族であり、最近は隣国との関係が悪化している。

 そのせいで数年前までロランドは、第一王子でありながら、冷遇されているような状態だった。

 クレートの母親は側妃ではあるが、建国時から続く名家の出身で、実家もかなりの権力を持っている。

 現在は公爵家の娘と婚約し、後ろ盾を得たロランドではあるが、いまだに第二王子のクレートのほうが、王太子になる可能性は高いのではないかと噂されていた。

 そんな事情もあって、ディード侯爵としては、何としても第二王子に娘を嫁がせたいところだろう。

 それに、かなりの資産を持つ父が第二王子の派閥に入れば、派閥の力もより増すだろう。

 もし第二王子が王太子になれば、他国との輸出入の主たる港として、ドリータ伯爵家を取り立ててくれると約束しているようだ。

 父は貴族なのに、心根は商売人のよう人である。

 その約束を無駄にするわけにはいかない。多少の浮気など目を瞑れと言って、ニースにミラベルを嫁がせるだろう。

 だがこんな状態で結婚しても、エミリアに恋をしているニースが、ミラベルを受け入れるはずがない。

(むしろ家のために結婚したけれど、本当に愛するのは君だけだ、とか言って、さらに盛り上がりそうなのよね……)

 ただの浮気、不倫が、なぜか当人達の中では悲恋、純愛に変化してしまうのだから、不思議なものである。


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