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謎姫、世界を救うっ!  作者: 吉岡果音
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第22話 僕の物語

 僕は、先生に救われたんだ。


 津路亜希螺(つじあきら)は、本棚を前に一人呟く。

 暗い部屋の壁には、いくつかの穴。昔自分で開けた穴だ。


 うるさい両親も、僕を毛嫌いしていた妹も、もういない。だいぶ昔に、僕の世界から消えた。


 うまくいかない現実。家族からの無言の重圧、無関心と同時に突然思い出したようにやってくる過干渉。すべてが、嫌だった。


 家族を殺せば、安全な自分の空間ができるかもしれない。


 そう思い始めたころ、生活のすべてが一変した。両親と妹のほうが、家を出たのだ。


 少し、暴れただけだったのになあ。


 もともと、古くて痛みの目立つ家だった。生活にも不便で、いつか引っ越すつもりではあったのだろうと思う。

 置き手紙一つで、縁が切れた。そんなもので縁が切れるかどうか、亜希螺にはわからないが、少なくとも逃げ出した彼らは、そう信じているらしい。

 子どものころから親しんでいたネットの海の中、一人で生活する金や知恵を探し出す。

 そんな中、たまたま見つけたのが「伊崎賢哉先生」だった。

 

 先生は、動画や記事の中、不思議な話をいくつもしてくれていた。なぜか、心が癒された。


 世の中の、説明のつかない奇妙な話、恐ろしい話、奇跡のような話。それらの話を、時に熱く、時に明るくさらりと、独特な語り口調で伊崎は展開させていった。青白く光る四角の画面が、無限の広がりを見せるようだった。

 伊崎賢哉の見せてくれた世界は、乾いた亜希螺の心に、不思議な明かりを灯した。


 僕みたいな人間も、いたっておかしくないんだ。僕は奇怪で理不尽な世界の中の、一滴に過ぎない。


 自分が名もない魂の一つであることを改めて確認し安堵すると、今度はなぜかまったくの正反対に、強烈な自尊心が顔を出し始めた。


 僕が、真の先生の理解者だ。僕は、他の連中とは違う。僕こそが先生にとっての特別であるべきだ。


 伊崎の出した新作小説に、心が震えた。


 これはきっと、真実の物語だ……! 僕が、真実であると証明してみせる……!


 小説の断片的なキーワードを手掛かりに、「蟲」の居場所を探り続けた。

 亜希螺に特別な能力はなかったが、時間は豊富にあった。

 亜希螺が静月(せいげつ)に出会ったのは――、小説で「怪物」が川べりに現れていたシーンにならって河原を探索し、自らが「怪物」――魔族――と遭遇してしまい、命を奪われそうになったときだった。




 怪物に、襲われる――!


 津路亜希螺は、異形の存在を前にし初めて、自らの死を覚悟した。


 先生は、きっと――。無残な僕の死骸を見て、自分の夢がほんとうだったと、心から満足されるに違いない。


 足が震えた。滝のような冷汗が噴き出た。本能は、生きよ、生きることに全力を傾けよ、と告げていた。

 後ずさった。しかし――、「先生」の笑顔を想像すると、笑みが浮かんできた。


 先生の笑顔。


 亜希螺は、伊崎の小説のカバーの折り返しの、小さな写真にならい、銀のフレームの眼鏡を愛用し始めていた。


 きっと、先生は大量の死の情報の中から僕の屍を見つけ、僕の物語を綴ってくださる――。


 亜希螺は、ぎゅっと目を閉じ震える拳を握りしめ、その場で最期の刻を待った。


 眼鏡だけは、先生が僕を見つける手掛かりとして、残してほしいな。


 しかし、亜希螺の覚悟に反して、決定的な恐ろしい瞬間は訪れなかった。


「どうしてあなたは、魔族を恐れないのですか?」


 不思議な声に、目を開ける。

 背に満月。とび色の髪を揺らす、美しい青年。


「魔族――」


「ええ」


 青年は微笑む。

 亜希螺は、ハッとした。


 この男が、先生の小説に出てくる、異世界の民――!


「僕は、あなたを探していた……! あなたが、異世界から来た人間!?」


 青年は、美しい眉を上げ涼やかな目を見開き、驚いた表情を浮かべた。


「私の名は、静月。こちらは、独特の高い文明を築き上げているご様子。こちらのことは、わからないことばかりです。あなたに、案内をお願いしてもよろしいでしょうか?」


 心を先生に救われた僕は、先生にもう一度命を救われたのだ――。


 月の光。幻ではなく、確かに自分の目の前にいる「怪物」と異界の人間。

 耳に届く川の音が、亜希螺に自分がまだ生きている、そして生き続けることができるのだという事実を静かに伝え続けていた。




 本棚の前、本の中を旅する読者のように、津路亜希螺の記憶は自由に時間を前後させる。

 ふと、ついさっきの光景が目に浮かんでいた。


 さきほどの、変な老人はなんだったのだろう。


 配達ドライバーから、荷物の配達完了のメールが届いていた。

 亜希螺は、そのとき玄関の戸を開け、置き配の荷物を家の中に運び入れていた。

 視界の隅に映った奇妙な人物。金髪でセーラー服を着た、大柄な筋肉質の、老人。

 さっ、とすぐに角を曲がっていってしまった。

 首をかしげる。


 嫌なものを、見てしまった。


 亜希螺は、気付かない。

 老人が、荷物の届け先の名前を確認していたことを。

『津路亜希螺』の名と住所を、密かに確認していたことを。

 そのときだった。

 窓を、コツコツと叩く音がする。

 さして驚くふうでもなく、カーテンを開ける。

 窓の外には、一羽の鳩。


「ああ。静月が、呼んでいるのか」


 静月は亜希螺に来てほしいとき、鳥を使っていた。カラスだったり鳩だったり、そのときにより色々だった。どうやってよこしたのか、ペリカンが来てびっくりしたときもあった。

 あまりにも怪しい老人のことは、もう頭になかった。亜希螺は、出かける準備を始めた。



 伊崎邸を中心に、見回りをしていた時雨(しぐれ)とバーレッド。

 なにかの気配を察知し、時雨が空を見上げる。


「あれは……!」


 黒い影が、空を飛行していた。


「魔族……!」


 時雨の手に、光る槍が握られる。

 バーレッドの手にも、剣が握られていた。駆け出す二人。

 

 ダンッ!


 走行中の車の上に、黒い影が降り立つ。車の屋根は凹み、驚いた運転手はハンドルを切り損ね、周囲の車に接触し、三台が絡む多重事故となっていた。

 道行く人々の悲鳴。事故を目撃したショックというより、事故の原因となった、説明のつかない異形の怪物に対しての悲鳴だった。


「化け物だ! 化け物が出た……!」


 白昼堂々町中に、姿を現した魔族。

 翼を持ち、長い角と尻尾を持ち、大きな猿のような姿をしている。

 時雨とバーレッドは、それぞれの武器を構え、恐怖に逃げ惑う通行人の合間を縫って駆ける。


「念のための警戒だったが、まさか、こんなに堂々と現れるとは――!」


「くそっ、間に合ってくれ……!」


 魔族は、車のガラスを割って車中に手を伸ばそうとしていた。運転手は、事故の衝撃で気を失っているか、または怪我を負ったのか逃げ出す様子がなかった。


 ドン……!


 バーレッドのとっさに投げた爆弾が、魔族の体を直撃する。

 ぎろり、魔族がバーレッドのほうへ振り返る。頑強な体をしているのか、爆発による影響が見られない。


「わしの攻撃は、どうじゃっ!」


 時雨の槍が、見事魔族を貫いていた。


 ギャアアアア……!


 爆弾には耐えられた体だったが、時雨の渾身の槍の攻撃はしっかりと届いていた。


「魔族め! 消え去れ!」


 大きく弧を描いたバーレッドの剣が、魔族の首を跳ね飛ばしていた。


 悲鳴と、どよめき。車から逃げ出した他の運転手や、遠巻きの通行人たちが、目の前の光景をどう理解したらいいか戸惑い、それぞれ震えながら時雨とバーレッド、そして魔族を見つめている。

 すぐに、魔族の死体は光りながら消えていった。肉体から魂が離れると、体は消失してしまうようだった。あり得ない光景に、また小さな悲鳴が上がる。


「……この場は去ったほうがいいな」


 バーレッドが呟く。


三色丸(さんしょくまる)!」


 時雨が手を突き上げ、叫ぶ。

 青空に、錦鯉が現れる。時雨の錦鯉の名は、「三色丸」だった。三色丸も、小さな姿となって時雨と一緒にこの世界に来ていたのだ。

 時雨とバーレッドは三色丸に飛び乗った。三色丸は二人を乗せたまま空高く飛び上がる。

 尾びれが、力強く風を切って進む。


「ありがとう。俺の蛇玉を、出してもよかったのだが」


 時雨の後ろに乗ったバーレッドが声を張り上げる。激しい風の音に、負けないように。


「手の内は、なるべく見せないほうがいい。どこで敵が見ているか、わからんからな」


 振り返りつつ、時雨も大きな声で答える。


「敵って、静月だろ。やつには俺たちの力はほとんど知られてっから、今更だよなあ」


 バーレッドの大声。

 それに対する時雨の返事はなかった。

 雲が流れていく。あっという間に。

 黙ったままの時雨。

 時雨の背は――、バーレッドの言葉を受け止めたくないようだった。

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