【連載版始めました!】無自覚な天才付与術師は休み方を知らない ~過労死寸前だった私は隣国の王子様と政略結婚することになりました。好きに休んでいいと言われても……休むってどうするんだっけ?~
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『無自覚な天才付与術師は休み方を知らない』
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テーブルには山積みになった書類。
ガラクタみたいに乱雑に箱に入れられた素材たち。
後ろを振り向けば、ずらっと並べられた武器や防具。
鉄と埃の香りにも慣れてしまうほど、私はこの場所に居続けている。
ガギギギギ――
古びた扉が悲鳴みたいな音を立てて開く。
姿を見せたのは、宮廷の仕事を管理している秘書さんだった。
メガネをくいっと持ち上げて、いつものように偉そうな顔で言う。
「フィリスさん、お願いしていた仕事は終わっていますか?」
「すみません。まだもう少しかかります」
素直に現状を報告する。
納品の予定は明日だから、まだ遅れているわけじゃない。
だけど秘書さんは決まって、大きなため息をこぼす。
「しっかりしてくださいよ。毎回言っているはずです。納期はあくまでギリギリのラインです。その期日までに終わればいいというものではありませんよ」
「……」
そんなこと言われても……。
と、心の中ではぼやく。
現実で口に出そうものなら、すぐさま反撃が返ってくる。
だから私は申し訳なさそうな顔で謝る。
「すみません。すぐに終わらせます」
「頼みましたよ。あまり遅いようなら陛下にご報告させていただきます。あなたの代わりなんて、いくらでもいるんですから」
「……はい」
秘書は扉を閉めて去っていく。
嘆きのような音を立てた扉が閉まり、再び一人になったところで。
「はぁ~」
私はすべてを吐き出すように盛大な溜息を洩らした。
全身の力を抜いてだらんとする。
テーブルに顔をつけて、やる気のない顔が鎧に反射して映っていた。
「納期がギリギリって……そもそも一人でやる量じゃないのに……」
この倉庫に保管されている物すべてが、私に任された仕事だった。
私は付与術師として宮廷で働いている。
もう三年になる。
十五歳で宮廷入りした私は注目されていた。
なぜなら私が過去初めて、付与術師として宮廷の役職に就いたからだ。
薬師、魔導具師、鍛冶師……。
宮廷で働く者たちの役職は多岐にわたる。
しかし付与術師はその中に含まれていなかった。
なぜなのか。
それは単に、必要なかったからだ。
付与術とはその名の通り、能力をものに与える力。
魔法の一種であり、付与する対象は人間から無機物まで様々。
多様性はあるものの、基本的には効果は一時的なものであり、強弱にも術者によってムラが生じてしまう。
所詮はその場しのぎの力であるとされ、元から特別な効果をもつ道具を作る魔導具師が重宝され、付与術師は求められていなかった。
一番の問題は、効果が永続ではないということにある。
だから私は頑張って修行して、効果時間の延長と効果そのものの強化に励んだ。
効果時間の問題さえ解決すれば、付与術は極めて便利な力だ。
きっと王宮でも認められる。
そして私は付与術の有用性を証明して、この国で初めての宮廷付与術師になった。
「……まではよかったんだけどなぁ……」
華々しい始まり。
誰もがうらやむような宮廷で仕事ができる。
と、思っていたらこの現状。
明らかに一人で熟せる量ではない。
騎士団の鎧や剣をすべて一人で任され、期日までに特定の付与を施して納品しなければならない。
騎士団の人数は全体で五万人。
そのうち王都にいる騎士たちは一万五千人を、私一人で担当していることになる。
誰が聞いても無茶苦茶だと思うはずだ。
でも、これが現実に起こっている。
私もなんとか仕事を効率化させて、いつもギリギリで納品している。
おかげで休む暇もない。
一日の大半を仕事にあて、休日出勤は当たり前。
睡眠時間は一日二時間ほど。
人間らしい生活は送れていないと自覚している。
「はぁ……辞めたい。でも……」
辞められない理由がある。
私はどうしても、お金が必要なんだ。
なぜなら私には――
トントントン。
扉をノックする音が聞こえてくる。
秘書さんじゃない。
あの人はノックもなしに平然と入ってくるようになったから。
「フィリス、いるかい? 僕だよ」
「――! どうぞ」
ちゃんと確認してから扉を開けてくれる。
私は埃をかぶった服を手でパンパンと払い、できるだけぴしっとした姿勢で出迎える。
「いらっしゃいませ。サレーリオ様」
「ああ、こんにちは、フィリス」
さわやかな笑顔を向けてくれる彼は、サレーリオ・ラトラトス。
ラトラトス家の次期当主であり、私の婚約者でもある。
私の、唯一の理解者だ。
サレーリオ様は倉庫を右から左へぐるっと見渡す。
「相変わらず暗くて埃っぽい場所だね。こんな場所で仕事をしていて、体調は大丈夫なのかい?」
「あ、はい。もう慣れてしまいましたので」
「そうかい? 目の下にまたクマができているようだけど?」
「こ、これは……いつもです」
恥ずかしいところを見せてしまった。
サレーリオ様の前では、一人の女性として接したい。
この人にだけは嫌われたくないと思った。
それに彼には、彼の家には大きな恩がある。
「急に来てすまないね。仕事中だっただろう?」
「い、いえ、少し休憩しようと思っていたところです」
と、軽く嘘をつく。
本当は休憩なんてしている暇はないのに。
サレーリオ様と少しでも長く話をしていたいから。
「そうか。仕事のほうは頑張っているかい?」
「もちろんです。サレーリオ様やラトラトス家の皆様のご恩に報いるために頑張っています」
私には多額の借金がある。
元は王都でも有数の貴族だったけど、両親が不慮の事故で亡くなってしまい、手掛けていた事業がすべてご破算になった。
私には悲しんでいる暇すらなかった。
その責任を取らされ、多額のお金を要求された時、ラトラトス家がそのお金を肩代わりしてくれた。
昔から懇意にしていた間柄で、当時からサレーリオ様とは婚約をしていたことも理由だったのだろう。
身売りされる寸前だった私は、彼らによって救われた。
だから私は、その恩を返したい。
肩代わりしてもらったお金も自分で働いて返すために、宮廷付与術師になったんだ。
「そうか……忙しいとは思うけど、少しだけ時間がもらえないかな?」
「はい!」
サレーリオ様のためなら、何時間だって予定を空けよう。
私も話したい。
仕事ばかりでまともに会話する機会も久しぶりだ。
日ごろの疲れも、秘書さんから受けている辛らつな対応へのストレスも、彼との時間が癒してくれる。
「大事な話があるんだ」
「はい……」
大事な話?
一体何だろう。
いつもにこやかなサレーリオ様が暗い顔をしている。
何か悩みでもあるのだろうか。
だったら私も解決のために協力したい。
彼の助けになれるなら、と、前のめりになって彼の言葉に耳を傾ける。
そして――
「フィリス……君との婚約を破棄させてもらうことになったんだ」
「……え?」
告げられた一言に、私は言葉を失った。
聞こえた単語が脳内で再生される。
聞き間違え、だと思いたい。
私は顔を引きつらせながら、フィリス様に問いかける。
「え……っと、フィリス様? いま、なんと……」
「君との婚約を破棄したい」
二度目のセリフはよりハッキリと言い切った。
おかげで鮮明に聞こえて、もはや聞き返す必要もない。
信じがたくとも、真実が目の前にある。
「どうして……」
「……そうだね。理由はいくつかあるんだが、まず最初に、決定的な事実を伝えておこう」
「決定的な……」
事実?
「僕と君の婚約は、君のご両親が健在だった頃に結ばれたものだ。いわゆる政略的な意味合いで。君の家、フレリオス家が厳しい状況になっても変わらなかったのは、君のご両親との縁があったからに他ならない」
それは理解している。
私たちの婚約が、貴族間のつながりを強固にするためのものであったことも。
それを知った上で、私はサレーリオ様をお慕いしていたのだから。
「僕が君と婚約していたのは家の意向で、僕自身が理由じゃないんだ。もっとハッキリ言ってしまうと、僕は君を愛しているわけじゃない」
「――!」
わかっていた。
いや、わかってはいなかった……のだろう。
勘違いしていたんだ。
両親がいなくなり、貴族としての立ち位置もあやふやになった私と、今日まで変わらずに接してくれていたから。
元は決められた婚約でも、彼は私のことを本気で大切にしてくれているのだと。
そう思ってしまっていた。
ただどうやら、それは私の勘違いだったらしい。
ショックで全身の力が抜けそうになる。
だけどまだ話は終わっていない。
打ちひしがれる私に追い打ちをかけるように、サレーリオ様は続ける。
「でも僕は、ついに見つけたんだ。僕が本気で思える相手を、そう! 真実の愛を!」
「真実の……それって」
「紹介するよ。僕の新しい婚約者だ」
サレーリオ様が扉に向かって呼びかける。
誰かが中に入ってくる。
やめてほしい。
新しい婚約者なんて……そんな人を見てしまったらいよいよ立ち直れない。
目の前の事実が余計に現実味を増してしまう。
「こんにちは、フィリスさん」
「……レイネシアさん?」
彼女はニコッと微笑む。
「ああ、やっぱり顔見知りではあったんだね」
「ええ、同じ宮廷で働く者同士、職種は違えど顔を合わせる機会はありますわ」
レイネシア・ハイベル。
知らないはずはない。
彼女は私と同じ時期に宮廷入りを果たした人。
職業が魔導具師。
私より一つ下、十四歳という若さで宮廷入りした天才魔導具師……だった。
タイミングが悪かったんだ。
私が初めて宮廷付与術師になったことで注目され、彼女にスポットが当たることはなかった。
本来ならもっと評価され、周囲からも尊敬される存在になるはずだったのに。
必然、彼女は私のことが嫌いになった。
没落しかけの元名門貴族の令嬢、という肩書も気に入らなかったらしい。
働き始めてからずっと、私に対する嫌がらせをしていた。
「知り合いなら話が早いね。彼女が僕の新しい婚約者だ。僕は彼女と出会い、本当に人を愛することが何なのかを知った」
「私も愛していますわ。サレーリオ様」
わざとらしく、見せつける様に。
彼女はサレーリオ様にくっついて、色っぽい声を出す。
まさか、と思った。
けどこの勝ち誇ったような表情……間違いない。
彼女は意図的に、私からサレーリオ様を奪ったんだ。
「ま、待ってくださいサレーリオ様! 私との婚約はラトラトス公爵様との約束で、いくらサレーリオ様が新しいお方を見つけたと言っても簡単には――」
「もちろんすでに了承済みだよ」
「え……」
「君との婚約を破棄する理由はいくつかある。そう言ったはずだ」
彼は険しい表情を見せる。
まるで他人……知らない人みたいに。
「宮廷での君の評判をよく耳にする。期待されていた当初とは違って、今はあまりいい評判を聞かないよ」
「そ、それは……」
「納期はいつもギリギリで、一日中倉庫に籠って仕事をしている。婚約者である僕との時間も積極的には取れていない。正直言って、父上も困っていたんだよ」
「そんな……」
それは与えらえる仕事量が多すぎて一人じゃ……。
と、言い訳を漏らしそうになって、咄嗟に口を塞いだ。
今ここで言い訳をしても反論されるだけだ。
「それに比べて彼女は優秀だよ。悪い話を一つも聞かない。秘書からも聞いた限り、彼女こそ理想的な宮廷魔導具師だとね」
「そんな。私は当たり前のことをしていただけです」
「ははっ、それがすごいことなんだよ」
「ありがとうございます」
彼女は私に視線を向ける。
言葉には出さない。
けど、伝わる。
いい気味ね。
そう言っている目だ。
「他にもまだ理由があるが……もう十分だろう。それとも聞きたいかい?」
「……いえ」
「そうだろうね。じゃあ、君とはこれっきりになる。ああ、借金の返済は今後も続けてもらうよ。君と婚約が切れたことで、本来なら縁もなくなるはずなんだが……」
「サレーリオ様はお優しいですわ。フィリスさんも感謝していますよ、ねぇ?」
あなたに言われなくても感謝はしている。
けど、私の彼への思いは冷めきってしまった。
結局私は一人だったんだと思い知らされた。
「……話は終わりですよね。じゃあ……私は仕事に戻りますので」
「そうだね。さようなら、フィリス。今日までありがとう。どうか君も幸せになってくれ」
「……はい」
「それではフィリスさん、ごきげんよう」
二人は去っていく。
バタンと閉まった扉を眺めながら。
私は一人になった。
本当の意味で、独りぼっちになった。
ポツリ。
「あ……れ?」
ふいに涙が零れてしまった。
両親がいなくなったとき、私はもう泣かないと決めていた。
強く生きるしかない。
涙を流している暇なんてないと思ったから。
だけど無理だ。
そんな覚悟も揺らぐほど、私は何もかもを奪われた気分になっている。
気づけば瞳から涙が溢れでて、ぐしゃぐしゃになりながら仕事を続けた。
◇◇◇
翌日の早朝。
結局一日じゃ終わらなくて、夜通し倉庫に籠って作業をした。
あれから一睡もできてない。
忙しかったからもあるけど、やっぱりショックが大きかった。
仮眠を取ろうと目を瞑ると、瞼の裏にあの光景が映し出されれる。
君との婚約を破棄する。
信じていた相手に裏切られた気分だった。
彼だけは、私の味方でいてくれる。
どんな時も、これから先も、彼が支えてくれると思っていた。
「仕方なく……だったのね」
そこに愛はなかった。
私からの一方的な思い、信頼しかなかった。
そう、彼はきっと悪くない。
私という婚約者がいながら、他の女性と親密になっていたことも。
全部私が悪いんだ。
わかっている。
わかって……いるけど……悔しい。
何より、その相手が彼女だったことが腹立たしかった。
彼女が優秀?
私と違っていい評判しか聞かない?
そんなの当然よ。
だって彼女の仕事量なんて、私に与えられている仕事量の十分の一もないんだから。
一人に与えられる適切な仕事量をこなしているだけ。
そんなのみんなやっている。
私はその十倍以上を一人で頑張っているのに、仕事が遅いとかサボっているなんて囁かれる。
理不尽だ。
日をまたいで寝不足も相まって、なんだかイライラしてきた。
私は早朝の誰もいない宮廷を歩く。
一度部屋に帰って休もう。
この時間はまだ誰も出勤していないから静かだ。
誰も……いない。
「はーあ、いっそ宮廷なんて辞めちゃいたいなぁ……仕事は無理やり押し付けられるし、いつもガミガミ言われるし、寝れないし……」
なんて、誰も聞いていないことをいいことに本音を漏らす。
これから先の人生、私は借金を返すためだけに費やすことになる。
そんなの……。
「嫌だ」
「――辞めたいなら辞めればいいんじゃないか?」
「簡単に言わないでよ。私の家には返さないといけない借金が……え?」
「そうか。借金が問題なのか」
誰かがいる。
思わず立ち止まり、声のした方向へ振り向く。
そこに立っていたのは見知らぬ男性だった。
気軽に話しかけてきたから知り合いかと思ったけど、こんな人は知らない。
「いいことを聞いたな」
「あ、あの……」
今の話を聞かれてしまった?
どうしよう。
思いっきり宮廷の悪口を言ってしまった。
ここにいるってことは、彼も宮廷で働く誰か?
今の話を秘書さん……いや、陛下の耳に入れられたら、私は間違いなくクビだ。
「い、今のは違いま……」
「違うのか?」
「……」
別に、クビになってもいいじゃないか。
私がここで働く理由は、一刻も早くラトラトス家に借金を返すためだった。
借金のある相手と結婚なんて、サレーリオ様に恥をかかせてしまう。
せめて正式な結婚まで返し切りたいと。
でも、その必要もなくなった。
急ぐ必要もなくなったのなら、のんびり返せばいい。
無理に過酷な環境で働くことも……。
「伝えたければ伝えてください。私は……もういいです」
「伝える? 誰にだ?」
「誰にって、秘書さんに……」
「なぜ俺がそんなことをするんだ?」
逆に質問を返されてしまった。
私は首を傾げる。
すると彼は小さくため息をこぼし、得意げな顔で言う。
「お前は勘違いしているようだが、俺はこの国の人間ではないぞ」
「……え?」
「見えないか? この紋章が」
彼は自分の服に刺繍された紋章を見せつける。
確かにこの国のものじゃない。
あれはたしか隣国の……。
「イストニア王国の……紋章?」
「そうだ」
「どうして隣国の方が、ここは宮廷ですよ? 勝手に入っちゃ……」
「無論許可は取ってある。というより、この国には客人として招かれて来たんだ」
客人?
宮廷に足を踏み入れている時点で、それなりの立場の人であることは間違いない。
隣国では名の知れた貴族の方?
でも、どうしてそんな人が早朝の宮廷にいるんだろう。
やっぱり不自然だった。
こんな時間に、職員すらまだ出勤していないのに。
普通の人じゃない。
もしかして、不審者かもしれない。
私は警戒心を高まらせて、後ずらさりながらじっと彼を見つめる。
「何を逃げようとしているんだ?」
「うっ……あ、あなたが誰かわからないので一応……」
「なるほど。ならば先に名乗っておこう。俺の名はレイン・イストニアだ」
「イストニア……え?」
倉庫に閉じこもりがちな私でも、その名でピンとくる。
なぜならその名前は、隣国の名前にもなっているのだから。
国の名前が家の名前……つまり彼は――
「お、王族の方……ですか」
「ああ、そうだぞ」
「――も、申し訳ありません!」
咄嗟に私は頭を下げた。
隣国とはいえ王族の方に、私はなんて不敬な態度を取ったのだろう。
もはや罰は免れないと覚悟した。
「気にするな。俺も勝手に出回っているだけだ。それにここはお前たちの国だろう? そう畏まらずに堂々としていればいい」
「い、いえ……そんなことは……」
「特にお前は、もっと威張ってもいいと思うが? フィリス・リールカーン」
思わず顔をあげる。
私はまだ名乗っていない。
しかも家の名前まで知っている。
他国の王子様が、私のことをどうして?
目が合って、彼はニヤリと笑みを浮かべる。
「この国のめぼしい貴族の令嬢の名はすべて記憶している。俺の意志ではなく、父上の計らいだがな」
彼は大きくため息をこぼす。
「俺がここに来たのは、妻になる女性を探すためだ」
「え……」
「驚くか? まぁそうだろうな。なぜ他国の王族が、わざわざ自らの足で探しに来ているのか。答えは簡単だ。今の俺に、結婚する気などないからだ」
「どうして……」
「聞きたければまずしっかり顔をあげろ。いつまでも見苦しいぞ」
「は、はい!」
私はすぐさま姿勢を直し正面を向く。
殿下は小さな声で、よしと呟いて話し始める。
「俺に結婚する気はない。ただ、結婚そのものを嫌っているわけではない。嫌気が差したのは、俺に言い寄ってくる者たちの態度だ」
「態度、ですか?」
「ああ、なんだあれは。俺に取り入ろうとする気があふれ出ているじゃないか。誰も俺を見ていない。見ているのは俺の名前、立場、権力……未来だ。それを悪いとは言わない……が、少なくとも俺は、そんな相手と婚姻したいとは思わない」
少しだけ、共感する。
王子という立場しか見ていない相手に言い寄られ続けて、いつしか彼は結婚そのものを避ける様になったらしい。
あくまで嫌いではなく、すべき相手が見つからないと。
「だが父上や周りは、早く相手を見つけろとうるさくてな。ならば国外でもいいから、いっそ適当に相手を見つけてこようかと……思っていたら、お前を見つけた」
「……え?」
さっきから驚いてばかりだけど、これが一番の驚きだった。
「フィリス、お前を俺の妻にする」
「……」
「聞こえなかったか? 俺の妻になれと言ったんだ」
聞こえてはいる。
ハッキリと。
驚きすぎて声も出ないだけだ。
「な、ななな、何をおっしゃっているんですか? 私が殿下と?」
「そうだ。適任だと思うが?」
「ぜ、全然適任じゃありません! どうして私なんですか?」
「条件がそろっているのと、利害が一致しそうだからだ」
「り、利害?」
話が見えてこない私に、殿下は説明を続ける。
「お前はさっき言っていたな。仕事を辞めたいと」
「うっ……はい」
「だが簡単には辞められない理由がある。借金があるそうだな」
「は、はい」
「その借金を俺が肩代わりしてやろう」
またしてもビックリする発言が飛び出す。
もはや何に驚くべきなのかも見失ってしまいそうだ。
「そうすればお前を縛る者はない。俺の国に、俺の妻として来い。そうすれば、今の環境から大きく変わる。俺としても、表向きは妻として演じて貰えればそれでいい。悪くない話だろう?」
「い、いやでも、私はただの付与術師で」
「ただの、ではない。史上初となる宮廷付きとなり、生まれも一応は名家だろう? 本来地位としては十分にある。他国との親交を深めると言う意味でも、政略的価値がある」
「そ、そうなんですか」
納得していいのだろうか。
認めてもらえている気がするけど、素直に同意できない。
私には、私の価値がわからないから。
「まぁ、お前にその気がないなら無理にとはいわない。これはいわゆる契約結婚。互いの利益のために協力するか否か。選べ」
これは究極の選択だ。
宮廷でこれから先も働き続けるか。
異国の王子様の妻になるか。
人生が天地ほどに変わるだろう。
「私は――」
どちらを選んだ方が幸せか。
そんなこと決まっている。
◇◇◇
「――今までお世話になりました」
「……」
いつも威張る秘書さんに、私は最後の挨拶をした。
私はこれから隣国へ行く。
殿下と結婚して、王族の一員になる。
それを快く思っていないのが丸わかりな表情だった。
「頼まれていた仕事はすべて終わっています。今後のお仕事は、新しい方を探してください。それでは」
「ま、待ちなさい。フィリス・リールカーン……あなた、どうやって……」
「それにお答えする義務はありません。それと、婚姻はすでに決定しています。私はもうフィリス・イストニアです。間違えないでください」
「っ……」
悔しそうな顔が見えた。
私は性格が悪いのかもしれない。
その顔を見て、少しだけスカッとしてしまったから。
「さようなら、私の故郷」
こうして、私は隣国へと旅立った。
もう二度と、ここへ戻ってくることはないだろうと予感して。
◇◇◇
隣国へ来て一週間が経過した。
「……疲れたぁ」
私は自室のベッドで倒れこむ。
ここ数日、私に自由はなかった。
予想はしていたけど手続きやらあいさつ回りやら、披露宴もあって毎日が忙しくて。
宮廷で働いていた頃と同じか、それ以上に怒涛のような日々を送っていた。
ただの仕事じゃなくて、王族の妻として振る舞うのがこれほど大変だったとは……。
「思わなかったか?」
「――あ、殿下!」
慌てて立ち上がる。
はしたない姿を見られてしまった。
「気にするな。ここはお前の部屋だからな。自由にしていろ」
「は、はい……」
だったら勝手に入ってこないでほしいけど……。
まだ知り合って間もないけど、殿下のことが少しずつ分かってきた。
彼は王族とは思えないほど自由な人だ。
偉い人なのに、そう感じさせないように振る舞っている。
だから多くの人から慕われている。
貴族はもちろん、国民にも。
今さらながら、凄い人の妻になった……。
「忙しいのも今日までだ。明日からは特に予定はない。好きにダラダラしているといい」
「は、はぁ……」
「ああそうだ。一応聞いておくが、大臣からお前の付与術のことで相談を受けていてな。可能ならこっちでも多少仕事をしてほしいそうなんだが、どうする?」
「それは、私が決めていいんですか?」
「もちろんだ。お前はもう、俺の妻だ。決定権はお前にある」
仕事を受けるかどうか、自分で決められる?
そんな夢みたいなことがあるの?
「どうする?」
「受けます。何もしていないのも申し訳ないので」
「そう言うと思った。まじめな奴だなお前は。やりすぎないように注意しておけ」
「はい」
そう言って私に依頼内容の書かれた紙を手渡し、殿下は部屋を去っていった。
私と違って殿下はこれからも忙しい。
この後も会議があるそうだ。
「えっと……結構多い」
でも、これなら一日で終わって余裕もある。
宮廷で要求されていた量に比べたら全然大丈夫そうだ。
明日から……。
「うーん……今日からやっておこうかな」
どうせこの後の予定はないし。
殿下も頑張っているのに、私だけ寝ているのもなんだか申し訳ない。
翌日。
昼頃になって、私は殿下の執務室を訪ねた。
報告のために。
「殿下、ただいまよろしいでしょうか」
「いいぞ、どうした?」
「昨日いただいた依頼が終わったので報告に来ました」
「……な、もう終わったのか?」
殿下は酷く驚かれた。
嘘だと疑われているのかと思って、私は慌てて言う。
「ちゃんと終わっていますよ。倉庫にあるので見ますか?」
「いやいい。さすがに嘘だとは思っていないが……早すぎないか? 大臣からは十日後の遠征までにと言われていたんだが……」
「そうだったんですね。ですがあの量なら宮廷で受けていた頃よりずっと少ないので」
「なるほど……いや、ご苦労だったな」
「ありがとうございます。次はどうすればいいでしょう」
それは自然に出た言葉だった。
一つの仕事が終わったから、次もすぐに取り掛かろうと。
宮廷で習慣化していた仕事への姿勢が抜けていない。
殿下は呆れた顔でつぶやく。
「十日分の仕事は終わらせたんだ。あと九日は休んでもいいんだぞ?」
「さ、さすがにそこまで休むのは申し訳ないです」
「誰にだ? 俺はいいと言っている。お前はあれだな。働き過ぎて感覚がマヒしているのだろう」
そう言いながら彼は立ち上がり、私の隣に歩み寄る。
「よほど過酷な環境にいたんだな。思っていた以上に……」
「すみません……ですがその、今までちゃんと休んだことがなかったので、どうすればいいのかわからくて……」
「まぁ、頑張り屋は嫌いではない。ほどよく頑張って、しっかり休め。自分の身体も大切にするんだぞ?」
「ぇ……はい」
優しくささやかれ、彼の手が頬に触れる。
気遣われたことなんて今までなくて、どう反応していいのかわからない。
ただすごく、心が暖かくなって……。
ドクっと大きく心臓が動く。
これは政略結婚、私たちの間にあるのは利害で、それ以外はない。
けど……。
この選択は間違っていなかった。
そう思える気がして。
◇◇◇
同日、夜。
レイン王子が大臣に依頼完了を報告した。
「なんと、あの量をたった一日で!」
「ああ、向こうではもっと多い量を一人で熟していたそうだ」
「いやはや信じられません。私は正直なところ、あの量を十日は断られると思っておりました。私の知る限り、優秀な付与術師がなんとか終わる量だったのですが……」
「そうだったのか? あいつは余裕そうだったが……」
彼女が次の仕事さえすぐに要求してきたことを大臣に伝える。
大臣はさらに驚く。
「凄まじい速度ですな……あ、いやしかし大丈夫なのでしょうか? 付与術は効果が長く持続しない欠点がございます。十日に設定したのも作業が後ろに集中することを見越しだったわけで」
「ん? あいつが言うには二月は持つそうだぞ。ついでに他の付与も施しておいたという話だったから、あとで確認するといい」
「……は、はい。いえ、俄に信じがたいですが……それが事実なら殿下、あなたはとんでもないお方を妻に選ばれたのですね」
驚愕する大臣を見て、レインは冷静に分析する。
おそらく一般人が知っている付与術師のイメージから、フィリスが逸脱していることを。
かの宮廷の過酷な環境も、彼女だからこそ耐えられていたという事実。
過酷だったからこそ、磨かれた付与術師としての技能がある。
「ふ、ふふ……」
「殿下?」
「いやすまん、想像したら笑えてきたんだ」
「何をですか?」
「……あの国の今だ。彼女を失ったことは間違いなく大きな損失だっただろうからな」
「まさしく。今頃嘆いておるかもしれません」
天才というのは存在する。
どの分野にも、世界にも必ず。
しかし必ずしも、天才であることが知られているとは限らない。
彼女がそうであるように、環境のせいで埋もれてしまっていた才がある。
お宝でも掘り当てたように。
レインは大きな力を、価値あるものを手に入れた。
天才付与術師フィリス。
彼女がこれから成し遂げる偉業を……まだ誰も知らない。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
こちら一応連載候補ですが、連載するかどうかは反応を見つつ考えようと思います。
そろそろ一本くらい連載したいとは思っていますが……。
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