亡国の王女と近衛団長が故郷に帰ってみるお話
幼少の頃の記憶と言えば、煌びやかなシャンデリアの光とふかふかの赤々とした絨毯。周りを囲む長身の護衛の鎧が眩しいこと。目の前に傅く正装の人々。大きすぎる椅子に浅く腰をかけ、退屈な思いで両足をぶらつかせていた。あまりきょろきょろすると、後方に控える執事であるセバスに注意されるから、視線だけ動かして、上目遣いに隣の椅子に座る父を見上げた。いつも私に見せて来る締まりのない表情とは別に、背筋を伸ばし真っ直ぐと前を見据えるその姿は父とは違う全くの別人にすら見えた。頭の上に乗っている金色の王冠がやけに似合っていると見惚れたのだ。
私の視線に気づいたのか、その人は目線を私の方に動かし、ついで首をこちらに向けた。天井に煌々と輝くシャンデリアの光が、頭の王冠に反射する。眩しい、と思った。父の顔が逆光に沈む。優し気に微笑まれた口元だけがはっきりと見えた。
「__ミサキさん。」
名前が呼ばれる。
「ミサキさん。」
目を開ける。重苦しい瞼を開ければ、目の前には見知った顔。
「アラン、おはよう。」
「おはようございます。大丈夫ですかお疲れですか?」
「ううん、大丈夫。」
「そうですか。」
アランは心配そうに眉を八の字にしては何か言いたげにしているが、それから何か言う事は無く、火にくべている朝食の下に戻った。私は大きく伸びをしながら、辺りを見渡す。昨日は森の中で野宿を広げたのだった。ここら辺は涼しい気候のせいか、虫が少ない、良い環境だ。
「うひゃあ!?」
そう思った矢先、アランの情けない悲鳴が響いた。
「み、ミサキさん!」
声の方を見ればアランが木の影に隠れて、焚火の付近を指さしている。(またか。)と思いながらミサキはゆっくりと起き上がり、寝起きで癖の付いた金髪を背中に垂らしながら、焚火の方に歩いて向かった。そこには成人男性の拳よりも一回り程大きな蜘蛛がカサカサと身動きしていた。
「ミサキさん!」
未だに震えながら木の後ろに隠れているアランを横目に、私は傍らに落ちていた菜箸を手に取ると迷わず蜘蛛の躰に突き刺した。そして踏み潰す。
「ミサキさん!?」
今まで食事に使っていた箸が虫の体液塗れになるのを見て、アランはまた違った種類の意味を含んだ悲鳴を上げる。それを気にせずに私は、拉げた蜘蛛を火の中にくべた。ぱちぱちと蜘蛛の影は直ぐに消えていった。
「アラン、ただの蜘蛛でしょう?」
呆れたような声が出た。このアランと言う男、一つ前の春に齢は50半ばを越えたと聞いた。緩くうねる白髪の混じる鼠色の髪を肩につかぬ程まで伸ばし、柔らかい雰囲気を思わせる垂れた目尻に薄い唇。温和な皺が顔の所々に刻まれている。子供じみた虫嫌いはどうにかならないものか。
「そんな歳にもなって虫が怖いなんて。」
「し、しかしミサキさん! 蜘蛛にしては大きすぎます!」
優しく穏やかで、文字通り虫も殺せないようなその気性は多くの人から慕われていた。顔の造形も悪く無く、若い頃はさぞ女心に触れただろうに、この男は残念なことに虫嫌いだけでなく、どこか肝っ玉の小さい男だった。
「そんなに怯える程か? あれは。」
「見た事のないほどの大きさでした……! 魔物であったかもしれません!」
「なら猶更あなたがやっつけないとダメじゃない。」
アランと言うのは私の安全を守る為に同行している。仮にも彼は元近衛騎士団団長だ。腕は確かなのだ。腕は。
「い、いえ、あれは魔物では無いと判断したために私が出る幕では無いなと思い」
「ごちゃごちゃ煩いわ。」
みっともない言い分を上げるアランに構わず、私は体液塗れの箸を水で洗った。
「み、ミサキさん。あなた、まさか……。」
その様子を見ていたアランが色の悪い顔で指を指してくる。
「何よ。」
「その箸、使う気じゃあないですよね……?」
恐る恐ると言った様相で尋ねてくるので、私は少し悪戯心が出た。
「ちゃんと洗ったから問題無いわ。」
少しニヤリと笑って、アランが凝視する中、見せつけるように、洗った箸を朝食の鍋に突き刺す。
「_!?」
声にならない悲鳴と共にアランが愉快な顔をした。
「み、み、みさ、みさ、み!!」
折角用意した朝食を、蜘蛛を突き刺した箸でかき混ぜられている。その事実にアランは腰が抜けたようだ。へたりと地面に尻をつけるアランを見て、私は愉快で仕方なかった。
「うふふ、冗談よ。」
そう言って私は少しも朝食に触れていない箸を掲げて見せる。
「ただ鍋の背後に差し込んで、中に入れたように見せただけ。うふふ。」
私が種明かしをしてもアランの顔色は戻らない。とぼとぼと焚火に近づき、鍋から少し離れた切り株に座る。どうしたのかと聞けば、「食欲がなくなった。」と疲労困憊した顔で返された。
「あらあら、一日はこれからだっていうのに。」
「ミサキさん、あまり老いぼれをからかわんで下さい。そろそろ成仏してしまいます……。」
「何よ。やっとあと一日でアリエル共和国に着くって言うのに。」
「そうです。人生を賭けてアリエル共和国を目指してたんです……。」
「はいはい。悪かったわよ。」
「それからどうかミサキさんはもう少し女性らしく、淑やかになって下さい。」
「無理よ。淑やかさなんて拘ってたら死ぬわ。」
「ですが、裸で川に潜ったり、下着で木を登ったりするのは勘弁してください。」
「魚のヌメヌメが気持ち悪いって魚を捕まえられなかったり、虫が這ってる木には登れないって食べれそうな木の実を取りに行けないアランに言われたくないわ。」
「……それから魔物に意気揚々と向かっていくのも如何なものかと。」
「血飛沫がグロイから嫌だってアランが逃げるばっかりだからじゃないの!」
私にそう言われて、アランはぐうの音も出せずにバツが悪そうに黙り込んでしまった。
「み、ミサキさんは魔法が使えるんですから、別に身体を張る必要がないじゃないですか!」
「何言ってんの。魔力だって無限じゃないんだから、節約できる時は節約するでしょう?」
一度魔力切れを起こしたタイミングで襲撃があり、手酷い仕打ちを受けた事を私は忘れない。
「あの時のようにミサキさんが襲われたら、私が助け出しますから!」
「そんな勇ましい事が言えるなら、魚くらい取りなさいよ。口だけの癖に。」
「鱗が手に張り付いてるのを見つけた時にゾッとするんですよ……。」
いい年を過ぎた男が何を情けない事を言っているのか。アランは昔からそうだった。幼い私がポケットや鎧の隙間に虫や蛙を忍ばせたりしてやると、面白いくらいに飛び跳ねて驚くのだ。あの頃はその反応目当てに毎日、目くじら立てて起こるセバスなんて気にも留めずアランに悪戯をしたものだ。それでもアランは怒る事無く、「驚きましたよ。」なんて間抜けに言いながら笑うのだ。
幼少の頃の思い出を思い浮かべながら私は朝食を啜る。干し肉を具の少ないスープにふやかし、顎を酷使して食べる。本当に最初の頃は食べるのにも四苦八苦したが、今ではすっかり心得た。
「アラン、本当に食べないの?」
未だに俯いているアランに声をかける。恐らくこの落ち込みようからいって、もう「食べる」とは言わないのだろう。この男は案外根に持つタイプだ。経験則から言って確信に近かった。それでも聞いたのはほんの気遣いの現れ程度だった。
だから、
「食べますよ。」
そう言ったアランが珍しいと思った。
「……珍しいじゃない。」
隣に移動してくるアランを見ながら、思った事を口に出した。そのままアランは粗末な木椀を取り、スープをよそう。一体どういう風の吹き回しかと思ったが、その横顔がやけに真剣みを帯びている。
「今日は、アリエル共和国に、……あの国に戻って来たわけですから。」
そう言ってアランは、犬歯を剥き出しに干し肉を噛み千切った。
「……馬鹿じゃないの。力入りすぎよ。」
何をそんなに危惧しているのかと、私は馬鹿らしく思えてしまった。いつもは遠慮して大して食べない癖に、今日に限って備蓄分を平らげるまでアランは食べてしまった。その様子から、アランはいつにないほど真剣なのだと察してしまう。先ほどまで今までの旅路のように、虫に恐れ慄いていたアホ面が途端遠くに思えてしまった。
*
「やっと着いたわね。アリエル共和国。」
そう言って私は、身にまとったローブのフードを深く被り直した。
アリエル共和国は、この大陸では歴史の浅い国で、つい十年と少し前に建国された国だった。この国はどうやら「ミンシュシュギ」とかいう特殊な政治体系らしく、多数決で王様が選ばれるのだとか。元々この国は君主制を敷いていたが、ある日神のみ使いだとか転生者だとかがやってきて、持ち込んだ仕組みだという。民衆にとってそれは革命的に移り、正に救いの手だと思ったのだろう。突然現れたその転生者とやらに民衆は傾き、元の国は数日も経たないうちに滅んだのだと。滅んでしまった王家は、決して弱いモノでは無かった。大陸の中でも最高峰の歴史に国力。なにより強かったのは、王家に伝わる契約魔法だったとか。私は、そうアランから聞いていた。ちらりとアランをみやれば、視線に気づいたのか、いつものように朗らかに笑う。しかしその表情に陰りが潜んでいる事に気づかない程、私はもう子供ではない。
(取り繕うのが下手なのよ……。)
そう悪態をついてやりたかったけれど、我慢した。
街中はやけに賑やかで煌びやかだった。アランから聞かされていたが、今日はどうやら「せんきょび」という奴らしい。数年に一度、国の代表を新しく決める日がある。今日がその日だ。街中には人の顔が描かれた絵があちこちに貼られている。
(こうやって宣伝するって訳ね。)
多数決で王を決めるなんて馬鹿らしい思うが、愚君がのさばる可能性も無くなる。案外画期的な考えなのかもしれない。なんて口に出してしまうと、アランに良い顔をされないのだ。きょろきょろと街を物珍しく見物していると、壁に一枚のポスターが貼られていた。選挙用の宣伝ポスターだろう。立候補する人物がでかでかと描かれている。私は何故だかその人物に目を惹かれた。珍しい黒髪に黒い瞳。顔の堀はどこか浅いが、スラム街の連中のような品の悪さはまるでない。むしろ爽やかさを感じさせる好青年だ。
なんとなく、どこかで見た事があるような気がした。
「ミサキさん?」
「うわ!?」
すぐ耳元で声が聞こえた。慌てて飛び退きながら隣を見れば、長身のアランが膝を折って、私の耳にまで顔を寄せていたのだ。
(アランは気配が無いから、驚くわ……。)
「何を見ていたんで?」
「別に?」
「この男に見覚えが?」
「え? あー、んー、あるような無いような……。それが何よ。」
「いえ、別に。」
「あ、そ。じゃあいくわよ。」
そう言って私はさっさと歩みを進めてしまった。
「それで、今夜だけどとりあえず宿を探そうと」
そこまで言いかけて隣を見たが、アランは居なかった。そのまま振り返ると、先ほどのポスターの目の前に立ち、その人物をじいっと睨みつけているアランが居た。アランの微笑み顔以外の表情を見たのはいつぶりだろうかと、私は急かす事も出来ずに、ただ立ち尽くした。
*
「はいよ、嬢ちゃん一人かい?」
「一晩お願いします。」
「銀貨5枚だよ。」
(高っ。)
その思いが声にならなかっただけ偉いだろう。こんな粗末な宿屋一室一晩で銀貨5枚は質の悪いぼったくりにも程があった。不満げな私の心情を読み取ったのか、宿屋の女将が片眉を上げた。
「この国は今、お祭り騒ぎなんだよ。周辺諸国からの見物客がたくさん来てるのさ。空いてるのだって、これが最後の部屋さ。文句あるなら他所行きな。」
そう言われては術はない。私は屈辱と苛立ちをかみ殺し、銀貨5枚を支払った。鍵を受け取り、階段を上がっていく。薄汚れた部屋の扉を開け放ち、苛立ち紛れに荷物をベッドにぶん投げた。あまり弾まなかったのでベッドも粗悪品に違いない。と思いつつも、野宿ではいつも外套一枚を地面に敷いて寝ていた為に、それよりかは寝心地はマシだろう。
「ミサキさん。落ち着いて下さいよ。」
「別に怒ってないわ。」
アランの諌めなど大して聞きもせずに、私はそのまま窓を開け放つ。下を覗き込めばそこはゴミ捨て場となっていた。生臭い匂いが部屋の中にまで漂ってくる。残り物には幸運があるとかいう言葉がどこかの国にあったが、そんな事はない。いやしかし、私にしてみれば幸運かもしれない。
「ミサキさん。襲われたら窓から飛び出してあのゴミ山に着地しようとか思ってませんよね?」
「それ以外に何か方法がある?」
「私がついてるじゃあないですか。」
「口先しかない役立たず。」
苛立ちに任せて思わず強い口調をしてしまった。しかしアランは相変わらず笑っており、応えたような顔はしない。
「口先だけなのは、事実ですから。」
そう言って微笑むばかりだ。これじゃあ私が悪いみたいじゃあないか。
夜になっても相変わらずこの国は賑やかだった。あちこちにランプが吊るされ、屋台の料理人は腕を振るう。
「今年は一体誰が選ばれるのかな?」
「そりゃ勿論、ダイキ様に決まってるだろ!」
「今までこの国が出来てからダイキ様が王だったんだ。それで何の不満も無い。ならダイキ様でいいだろ!」
「だが、他の立候補者も中々の優秀揃いって聞いたぜ?」
「特に、あの大陸中の魔法使いが集まる魔法学院を首席で卒業したっていうあの」
「あぁ、アイツは駄目だ。」
「え?なんでだよ。」
「お前は数年前にこの国に来たから知らねんだろうが、金髪と赤目の奴が王にゃなれんのさ。」
「なんだそりゃ? そんな法律無かったろ?」
「法律じゃねぇよ。ほら、ダイキ様が来る前、君主制だった頃の時代なんだが、その頃の王家ってのは皆金髪に赤目をしてたんだ。」
「だから、そいつらを思い起こさせるような色彩の奴には、皆票をいれねぇのさ。」
「はー、そうだったのか。」
道端で人が塊になって話している。酒を片手に談笑している。生暖かい空気だと思った。私はフードを深く被って人波を縫うように歩いて行く。大して距離も無い道を歩いているだけなのに、妙に息が上がった。
「大丈夫ですか?」
アランに声をかけられ、顔を上げる。
「大丈夫よ……。」
「緊張されてます?」
「別に……。」
「やはり、行かない方が。」
「……行くわよ。」
「しかし、」
「行くのよ!!」
思わず語気が強まった。
「……わかりました。」
そのままアランの案内に任されて歩くと、段々と人気がなくなってきた。あれだけ爛々としていたランプも、油の補充が行き届いていないモノばかりになっている。
入り組んだ路地。土地勘のある者でも迷いそうな道のりを経て、私は一つの扉の前に立った。ちらりとアランを見る。こちらを心配している様子だった。その視線を振り切るように、私は、事前にアランから教えてもらった独特のリズムで扉を叩く。暫しの沈黙の後、扉が開かれた。扉を潜ると、直ぐに地下階段が出向かて来る。無言で扉を開けたであろう男が私の背後に立った。
「なにもんだお前さん。見ない顔だな。」
警戒を孕んだ低い声だった。
「そうかしら。顔を見たらビックリするわよ。」
その言葉が強がりでないと言えばウソである。産まれてこのかたこんなに心細いと思った事はない。そのまま男に促され、コツコツと階段を下っていく。そこまで深く潜らない内に薄暗い空間に出た。そこには蝋燭一本が灯される中、まるで密会のように身を寄せ合う十数人の人間の姿があった。密会というのは、恐らく比喩ではない。彼らは間違いなく、この国の反乱分子だった。私が先手を打つ前に、人混みの中から一人の男が現れた。この集団のリーダーか何かだろうか。どこか品のある壮年の男だった。
「何者ですか?」
その問いに言葉が詰まった。怖気づいたのでも緊張のせいでもない。どこか、目の前の男に得も言われぬ懐古を感じた。むっと引き結ばれた唇に、面積の細い眼鏡。頭頂に撫でつけられた前髪は一本の綻びも無く、
「……セバス?」
胸に湧きおこる感情を手繰り寄せていくと一つの名前に辿り着いた。ふと溢した小さな呟きは案外、うすら寒いこの部屋によく響いたようで、目の前の男が目を見開いた。ぴくりとその右手が動きたそうにしている。セバスの右手の代わりに、私は自分のフードを取った。私の金髪が、赤目が、晒される。はっ、と多くの人が息をのんだ。どさりと崩れ落ちる人もいた。セバスは無表情を努め、それでも感情が、歓喜が目の端に滲んでいた。体を喜びから引き揚げ、迷わず臣下の礼を取る。周りの人達も残らずそれに続いた。私の前に人々が傅いた。
「お待ち、して、おりました……姫様。」
俯いたセバスの声は震えている。泣いているのだろうか。記憶の中のセバスはいつもしかめっ面で私に怒ってばかりだったというのに。
(どうしたらいいのか分からない。)
思わず助けを求めてアランを見れば、アランは悲しそうにセバスを見下ろすだけだった。
「これでアイツらに、復讐を……!!」
そう言い始めたのは顔も知らない誰かだった。それに呼応して、他の人達も声を上げる。
「今こそ積年の恨み……王家の恨みを晴らすときです!!」
「ついに憎きダイキの首を刎ね、正当な継承者に挿げ替える時だ!!」
次第に場はどんどんと高まっていく。声が荒がる。
「優しき善政を敷いていた我らが王を侵し殺した憎き奴を!!」
「恩知らずにも奴の口車に乗せられた愚かな群衆を!!」
吠える、吼える、咆える。殺意に塗れたその声は、私がよく聞いた野生の獣とさして変わらない。
「姫様っ!」
セバスが私の両肩を掴む。
「何という天啓!まさに神の思し召し!我々は明日、選挙の為に演説を行うダイキの暗殺を計画していたのです!そんな矢先に貴方が現れるだなんて!」
「い、痛い、セバス、やめて!」
私の声など聞こえていないのか。セバスは興奮したように話を続ける。
「私達はこの日をどれほど待ちわびた事か!忘れもしないあの年の今日!どこかの国が呼び出した転生者が三枚舌で愚かな群衆を騙し従え我らが善良なる王とお妃を引き摺り、殺し、その首を晒した!私は幼い貴方を城の外にと逃すだけでも精一杯で!あんな幼子一人で到底生きてられないだろうと……!私は、私は……!」
ああああ!とセバスが咆哮する。
「神のみ使いとやらで強大な悪魔の力を有しているダイキには誰も敵わず、目の前で虫けらのように殺されていくばかり!それは偉大な近衛騎士団長であれど同じことで……!分かってくれましょうぞ姫様! 我らの無念!わが友アランの無念!」
上品で誇り高き彼はどこへ。セバスは咆えるように、噛みつくように喚いた。その姿に、その顔に、懐かしさより何より恐れを抱いた。思わず後ずされば、すぐ背後に人影。私の事を取り囲む男女。それらは皆一様にセバスと同じような目をしていた。
(こわい、こわい、こわい!)
体が竦んで動けない。齢18になったばかりの細い身体に溢れんばかりの恨み辛み憎しみ悲しみ、負の感情が私を襲う。
(助けて、アラン!)
思わずそう願えば、地下であるはずのこの区間に鋭い一陣の風が吹いた。
「そのくらいにして下さいな。」
私を掴むセバスの肩に、アランの掌が乗せられる。先ほどまでの盛り上がりはどこへやら、熱気はすっかり消え失せ背筋の震える冷気すら感じてしまう。
「ア、ラン……?」
信じられないモノを見たように、セバスはすっかり驚愕していた。
「ミサキさんが、姫様が怖がってます。貴方らしくないですよ、セバス。」
「……お、前、なぜ……。」
アランは、私の方からすっかり力の抜けたセバスの腕をどかす。
「どう、して、生きて……、」
「王と契約したんですよ。」
「ア、ラン……!!」
私は思わずアランに抱き着いた。がっしりとした筋肉のついた質量ある体が私の腕に応える。今までは、触れる事などできなかった。まるで生きているかのように温かいその感覚に、安堵で涙が出てしまった。
「王様は、最後の最後までとっておきの契約魔法をとっておいたんです。既に事切れ、魂だけになり神の審判を待つばかりの私を呼び出し、こう言いました。「娘を頼む」と。」
アランは、懐かしい友を見て目を細める。
「頼むと言われてもどうしたらいいのか分からずに、とりあえず姫様の下に来ました。力尽きて倒れていた所に丁度間に合いました。姫様の危機にだけ、私の身体は実態を持つようでしたから。それからは近くの村に入り込み、姫様が回復したら更に南にと歩いて行きました。なるだけあの国から遠く。奴らの目が届かぬ所にと。」
アランが今までの記憶を振り返り語る間、誰もがそれに聞き入っていた。
「あれから数年も経ち、姫様もすっかり自我と言うのが出て来まして、私の存在や自分の境遇に疑問を持ったんです。私は、包み隠さず全て答えました。そして彼女から出て来た言葉は、両親の死を悼むでも無く、仇への恨み言でもなく、自分の境遇への悲しみでも無く。」
『城の人達は、国民の皆は、無事なのかしら。』
「その一言でした。姫様は、ミサキさんは、間違いなくあの王家の血筋です。」
「……あ、あぁ。そうだとも。そうだとも!」
セバスは激しく同意を示した。
「だからこそ、姫様こそがこの国に相応しいのだ!あんな偽物を引きずり下ろし、正しい王に……!!」
「セバス……。何故、姫様はこの国に来たと思う?」
「な、ぜ、だと? そ、れは勿論、国を、アイツから取り戻す為に……!」
「違うの、セバス……!」
思わず私は口を挟んでしまった。
「違うの……。」
私がこの国を訪れたのは、そんな理由じゃあなかった。
「私は、皆が幸せにしてるかどうか。それを確かめたかったの……!!」
私が初めて訪れたこの国、アリエル共和国はとても治安のよい穏やかな国だった。人々が祭り騒ぎに浮かれ、政に不満を漏らすことが許されている。そんな自由で気ままな国。
「父は悪い人じゃあなかった。暴君じゃなかった。それでも、ダイキって人が持ち込んだ仕組みの方が、優れていたから淘汰された。」
正直言うと父が王だった頃の国の様子など覚えちゃいない。しかし、今まで巡って来た国や村の中でも、この国の国民たちは皆笑顔だった。この国は、間違いなくいい国なのだ。
「やめてよ。復讐なんて……。」
私がそう言うと、セバスは裏切られたような顔をした。
(セバス、貴方はそんなに老けていたっけ。)
目尻に堪えていた涙が、とうとうこぼれた。
「姫様は、ただ、国を見に来ただけです。復讐なんて、国家転覆なんて、はなから望んじゃいない。」
権力なんて、王位なんて、興味ない。ただ私は、今まで通り、穏やかな生活を、送りたいだけ。
「何故です、……何故です、姫様。」
セバスが悲痛な声を出す。
「命じて下さい……。導いて下さい……。我らが王は、貴方しか居ないのです!!」
「もう止めようセバス!こんな国なんて忘れて、私と一緒に旅に出ようよ!」
「止めません止めませんぞ姫様!貴方はまだ知らないだけだ!あいつらの!ダイキの醜く憎き本性を!」
セバスが私に再び掴みかかろうとした。するとアランがセバスを殴った。その衝撃は強かったらしく、セバスは何人かを巻き込みながら壁に叩きつけられた。私は、アランが人を殴るのを始めて見た。今まで実態を持たない魂だけの状態だったからという事もあるが、虫も殺せずに情けなく叫ぶあのアランが、顔色一つ変えずに人を殴り飛ばす姿など予想もしてなかったのだ。いや、顔色一つ変えずは間違いだった。吹き飛んだセバスを見つめるアランの顔は寂し気だった。
「老けましたね、セバス。」
そのアランの声の響きに思わず胸が苦しくなった。
次の瞬間、バタンッ!!と扉が開くような音が上から響いた。
「憲兵だ!反乱分子共を殺せ!!」
遠慮ない怒鳴り声と共に、複数人がどかどかと階段を降りて来る音が聞こえる。鎧のこすれる金属音に怒りか威嚇かの怒鳴り声。要人暗殺を企んでいる事がバレたのだ。何故バレたのか、どうすればいいのか。私の思考は止まってしまった。そんな私を滑るように掬い抱き、アランが動く。片手で私を支え、もう片手で腰の剣を抜く音が聞こえた。アランが剣を握るのを見るのは、初めてだ。階段から降りて来る憲兵に向けて剣が振り下ろされる。鎧の隙間に刃が滑り込み腕が切り離れ、赤い血が噴き出す。私の服に、髪に、頬に、赤が散った。
「姫様、目を瞑って。」
アランの声はいつものように優しい。それでも私は、その声に従えなかった。アランの剣がまた閃く。今度は私の目の前で、一人の首が跳ねていく。また赤が私に散っていく。アランはそのまま階段を駆け上がっていく。すれ違う者は皆全て斬り殺していく。いつもみたいに、逃げるだけをしないのは、背後にかつての友が居るからか、彼もまたこの国を恨んでいるからか。二度の瞬きの内、あっという間に幾つもの命が失われ、アランは頭から真っ赤になった。アランが斬り圧した憲兵の死体と共に、路地に出る。そのままアランは人目につかぬ様にと走り、国の外に出た。懐かしさも、寂しさも、私の故郷に何かを感じる事は無かった。
アランが走るのを止めた頃、アリエル共和国からは離れた草原に辿り着いていた。鼠色をした髪が、血に染まり風を受けて走ったせいで変な方向で固まっている。
「降ろしますよ。」
そう言ったアランの声は変わらずに凪いでいる。どこか現実感の無い中、私は地面にと降ろされた。
「……。」
地面に降ろされ、アランに背を向けたまま、何も出来ずに立ち尽くしていた。何か言いたい事があるわけではない。何を言ったらいいか分からないのだ。私はきっとまだ混乱下にいる。
「姫様。」
「……やめて、ミサキって呼んで。」
今まで通り。それが今私が求めているものだ。
「ミサキさん、怪我は?」
「……大丈夫。」
「そうですか……。」
それだけ言ってアランはまた口を閉じた。私はまた、何を言えばいいか分からない沈黙に晒されている。アランに、何か言って欲しかった。
すっかり夜が更け、大きな月明かりだけが二人を照らす。穏やかな風が草原を揺らし、ざわりざわりと緩やかに音を立てた。
「ミサキさんは、まだ私と居たいですか……?」
「……は?」
素っ頓狂な質問に、思わず振り向いてしまった。すると、アランはいつもみたいに困ったように笑っていうのだ。
「いえ、先ほどミサキさんの前で、殺戮を見せてしまって……。」
「っそれは……。」
ショックで無いと言えばウソになる。人が死ぬ所を始めて見ただなんて箱入りみたいなことは言わないが、あのアランが人を迷わず殺す所見て、私の中で何かが崩れたのは確かだ。それでも、それでアランを疎ましく思うなんてあるはずがない。
その事を伝えようと俯けた顔を上げて、言葉が詰まった。
アランの姿が消えかけているのだ。下半身が半透明になり、足首から下はゆっくりと星屑のように解けて消えていっている。
「なん、で?」
「あの契約から十年以上経ってます。いくら王の魔力と言えどそろそろ限界だったんです。それに加えて随分長い間実態を持って居ましたから、ただでさえ少なかった魔力の消費に拍車がかってしまったんでしょう。」
「ま、まって!」
ただでさえ今は、セバスの変わり果てた様子に、復讐を咆える人々の怒気、突然の憲兵の襲撃に、アランの殺戮等々様々な事が一気に起きていて私は酷く混乱しているのだ。
(それに加えて今から一人になるだなんて……!!)
「すみませんミサキさん。」
「待って、待って!!」
私はアランを抱き止めようとしたが、空しく腕は空を切る。
「まぁ、自分は魔物も虫も殺せない、あんまり役に立たない護衛だったので、今度からはちゃんとした護衛を」
「殺したとか殺せないとかはどうでもいいの!!そんな事も分かんないの!!?」
なりふり構わず叫んだ。こいつは多分、とんでもない勘違いをしているのだ。
「私にとって貴方が虫を殺せないとか、人を殺したとか、そういうのはどうでもいいの!!」
みっともない。子供の癇癪だ。それでも止められない。止めちゃあいけない。
「私、今までずっと生きて来て、アランしか居なかったの……アランしかもう家族がいないの!!」
最後の手段だとか、とっておきの切り札だとか、そんなものはもうどうでもいい。
『紅き玉響 金色の絹 最古の血筋が紡ぎ縛る 我が契約その魂に刻み給え』
正直言って、私にとってお父さんが王だとか、私が姫だとか、そんなのはどうでも良かった。
あの国に行ってみたいって言ったのも、その国を治めていた者の血筋として民が幸福であるかどうかの確認は義務だと思っていたから、っていうのも少しはあるの。でも本当は、私や貴方の過去を洗いざらいすっかり綺麗にして、何のわだかまりもなく貴方と二人、また旅をしたいと思ったからなの。
後日、冒険者ギルドでは、絶世の美女と虫にビビるような情けない年寄りの凸凹コンビが界隈を騒がせたとか騒がせてないとか。