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プロローグ 《竜玉》 ~八~

 男にとってこれは、日常の作業でしかなかった。獲物を見つけ、狩り、拉致し、しかるべき場所で、ユーザー受けを考えて殺害する。自らの承認欲求を最大限に満たすためにも、客が望む上質の獲物を調達する必要があった。


 幸いなことに、ここ常城市は人口が多い。海外からの観光客も多く、市内在住の外国人も当たり前のように見かける。獲物には不自由しない上に、頼りないと評判の警察のおかげもあって、獲物を狩ることも難しくはない。


 少なくとも男にとって、常城市は狩場としては絶好の場所であった。獲物を物色するにも都合がよく、獲物を攫うことも簡単ときては、常城市から離れる発想すら浮かばない。


 男は自分が持つ神秘との出会いを運命だと信じていた。かつてはモヤシだの貧弱だのと軽んじられていたが、この神秘を手に入れてからは、プロの格闘家の打撃にも耐えうるタフネスを手に入れた。


 己が内側にあったどす黒い欲望を、遺憾なく発揮できるだけの力を得ることもできた。一回や二回では済まない。この神秘は、持ち続ける限り欲望を叶え続ける力だ。邪魔をするものはおらず、仮に現れたとしても問題なく排除できる。


 いやそれどころか、邪魔者は同時に獲物としても活用できるではないか。


 正義の味方を気取る法執行機関の人間の狩ったとなれば、自分を追いかけてくるだろう警察を一人残らず晒し者にすれば、さぞかし高い評価を得られることだろう。


 男には男なりの行程表ロードマップが存在し、比較的、順調に消化している。順調だからと言って慢心するのはよくない。順調だからこそ慎重にすべきだ、と自分自身の制御力に酔いしれながら、今夜の男は慎重に丁寧に獲物を探していた。


 見つけたのは女子高校生だ。健康的で、はつらつとしていて、見た目も悪くない。獲物としては上々だ。人気の少ない道に入ってくれたのは天の采配としか言いようがない。


 目的外の胸糞悪い雑魚共が群がっていたが、そいつらの鼻っ柱をへし折りながら命を奪うのも、余興としては中々に面白かった。


 さあ、仕上げだ。そんなことを考えていたら、予想外の衝撃に吹き飛ばされた。目の前にいたのは、完全に予想外の相手。どう見ても小学生ではないか。子供を殺すのも面白いだろうが、今日の目的は違う。生け捕りにする選択肢は、邪魔をされたことへの怒りにより消し飛んでいた。


 適当――男にとっては、でしかない――に痛めつけ、動けなくしたところで、女を攫う。見たところ、この女を助けに来たようだし、意識を奪わないギリギリを見極めて、絶望的な無力感を味わわせてやろうじゃないか。


 男の優越感は、数分の後には跡形も残らなかった。目の前に転がっていた、惨めで弱っちい、搾取されるだけの絶対的弱者が信じられない変貌を遂げたのだ。


 竜。


 洋の東西を問わず知られる、圧倒的な力を持ち振るう、最強とされる幻想種。ゲームでしか知らない強大な力が目の前にいる。その化物の真紅の瞳に見据えられたと思った瞬間、男は反射的に身を翻していた。


 轟音と衝撃、粉塵が巻き上がる。


 竜の攻撃を辛うじて免れることに成功した巨大な爪の男は、暗闇の中の顔を奇怪に歪める。驚きであり、歓喜も、怒りも含まれる形に。


 男は確かに喜んでいた。自分以外にも、幻想にかかわる存在がこんなに近くにいたことにだ。


 男の内側には二種類の怒りがあった。自分が手に入れたこの巨大な爪よりも、明らかに幻想として格が違うように感じられたからだ。獲物を狩るという作業を邪魔されたことも甚だ不愉快だ。


 男にとっては大きな驚きだった。まさかすぐ目の前に竜が現れようとは。見るからに小学生のガキ。爪を使わずとも簡単に蹂躙できる程度でしかない雑魚が、今やまったく別の姿になっていた。


 二足歩行の人型の竜。


 二メートルに及ぶ身長、鉄の装甲すら易々と斬り裂けそうな爪牙、鱗は不可侵を思わせるほどに頑強で、強靭な四肢は人などとは比較にならない。


 なによりも、怒気と殺意が渦巻いて爛々と輝く瞳と、胸元の赤熱した宝石が爪の男の意識を奪う。


 男の巨大な爪が怪しく輝く。


 攻撃に転じたのだ。といっても本人が、ではない。男の爪にかかって死んだ暴漢共が起き上がる。ゾンビの生成。これこそがこの巨大な爪の能力だ。


 異形の爪は、見るものに恐怖を与えるのには適している。しかしこれほどの巨大武器は持ち歩きにも不便であるし、使いこなすには多くの時間を訓練に費やさねばならない。切れ味こそ優れてはいても、武器としては正直、優れているとは言い難い代物だ。


 ただしそれは、一般的な武器としての話。刺したり切ったりすることしかできない武器としての話に過ぎない。


 死者を冒涜するこの能力は、男の性根と酷く相性が良かった。一方的に、好き勝手に蹂躙した相手を、死んでまでこき使うことができる。これほど素晴らしい能力が他にあるだろうか。ない、と男は確信している。


 だがそれとは別に、新しい能力を手に入れていけない理由もまた、ないのであった。


 男は確かに喜んでいた。新たな幻想を、それも今の幻想よりもはるかに強力と思われる力を手に入れるチャンスが巡ってきたことに。


 男の内側には怒りがあった。本来、自分が手に入れて然るべきはずの力を、こんなガキが先に持っているという許しがたい事実に。


 男にとっては大きな驚きだった。これほどまでに強大な力があることが。


『――――っ!』


 人型の竜が咆哮を上げる。男は己の肌が切り裂かれたかのように感じた。竜へと姿を変異させる幻想。これは欲しい。どうしても欲しい。


 だが今はダメだ。


 竜の左腕が大きく横に動く。せっかく男が作ったゾンビは軽快な破裂音を響かせて、千切れ飛んだ。竜の拳が無造作に突き出される。ゾンビの腹には文字通りの風穴が開いた。


 戦力差は圧倒的だ。ゾンビとドラゴン。双方共にファンタジー世界の住人であっても、存在感は天地の差がある。


 男は自分の爪と竜を交互に見る。凶悪なフォルムの爪。だが竜の鱗を貫けるとは思えなかった。この場を切り抜けるだけでも命がけになりそうだと、男は尚のこと不愉快になる。そこへ、


 ――――お~い、そっち、誰かいるのか?


「!」


 近付いてくる気配に気付いた。気配が放つ声は震えており、恐怖に縛られているとわかる。不幸な奴だ、と決めつけて殺してしまっても構わないが、即座に逃げることを決めた。


 その前に、他に一つ、決めなければならないことがある。


 足元に転がる少女をどうするか、だ。


 殺すか、連れて行くか。


 僅かばかり、男は考える。男がわざわざこんな場所に出向いたのは、相手を殺すためではない。いや、いずれは殺すことに違いはないのだが、殺害にするにしても考えに考え抜いた手順がある。路上で、あっさりと殺してしまうなど、本来の計画からは程遠い上に、なによりも優先したい「愉しむ」要素がなくなってしまうではないか。


 悪漢どもを殺したことなど、大した慰めにもならない。叶うなら連れ帰りたいと考え、しかし状況がそれを許さないだろうことを判断できるくらいには理性も残っている。


 男の黒く濁った思考は殺害する方向へと傾き、即座に実行に移した。巨大な爪を少女の腹に突き立てる。少女は口から血を吐き、体は大きく跳ね、急速に体温を失っていった。

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