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プロローグ 《竜玉》 ~六~

「ク」


 と、黒い男のマスクの内側から声が漏れる。意味のある言葉ではなく、ましてや苦痛から漏れた言葉でなどありようはずもない。


「ククク、クハハハア!」


 笑い声だ。場違いな笑い声に、殺気立っていた暴漢たちの側が呆気にとられる。だがそれも一時だけのこと。


「ククク、バカってのはどこにでもいるんだな」

「あぁっ!」

「っざけんな、クソが!」


 暴漢たちの沸点は低い。数と暴力以外に恃みとするものがないので、数と暴力に縋りつくことしかできないのだ。黒い男の口から罵倒は、暴漢たちの、自分たちが持つ数の優位を思い出させた。


「だからこそいいんだ。頭の悪いバカどもだから、のたうち回る様を見てやりたい」


 黒い男の甲高い笑い声。見えるはずのないマスクの奥にある口が、ぬらり、と歪んだような錯覚が場を覆う。紛れもなく錯覚だ。場を覆う程度で済むはずがない。捕食者と被捕食者。蛇が獲物を丸呑みにするように、精神的には黒い男は既に暴漢たちを飲み込んでいた。


「ちぃっ」


 舌打ちは美晴を抑え込んでいる男、暴漢たちのリーダー格だ。年齢は二十代前半だろうか。暴力の信奉者で、ドラッグの売人もしている。自分だけでなく部下たちも使って、少なくとも平均的なサラリーマンよりも稼いでいた。


 暴力的で粗雑な男であり、分不相応な野心も抱いている。今はまだ緋桜和真率いる常城興産の下請けという立場だが、いずれは自分こそがこの都市の支配者になってやると息巻いていた。


 リーダーはズボンの後ろポケットから折り畳みナイフを取り出す。手慣れた動作で出された刃は一部が欠けていて、既に何度か使ったことがうかがい知れる。少なくとも一件の殺人未遂で警察が捜査中だ。


「クソが、お前らはもういい。俺がやる。女のピンチに割って入って、それで無抵抗ってどんだけ胸糞悪ぃ正義の味方だよ。おい、お前らは女を押さえてろ!」


 リーダーが右手でナイフを弄びながら黒い男に大股で迫る。ポケットに突っ込んだ左手には砂が握られていることを、彼の仲間たちは知っていた。


 砂を相手の顔目掛けて投げつけ、視力を奪うか怯んだかした隙に、ナイフで一刺し。これがリーダーの基本戦術だ。サングラスがかかっていても、目の前に急に物が現れれば視界を奪うことができることには変わりがない。


 リーダーはナイフの切っ先を腹に合わせ、突っ込んだ。握り込んだ左手をポケットから抜き出し、黒い男の顔に向かって砂を投げる。黒い男に変わった様子はないが、リーダーは戦術の成功を確信していた。以前にはこの戦法でキックボクシングの日本ランカーを仕留めてもいる。


 腹を刺して、血と痛みと恐怖に蹲ったこの男をどんな目に遭わせてやろうか。せっかくの楽しみを邪魔したどうしようもないバカを、どういたぶってやろうか。リーダーの顔には愉悦に歪んだ笑みが張り付いていた。


 ざしゅ。


 どこか間抜けな音が響く。背中からは巨大な刃物が乏しい光を反射させて輝いていた。腹部に刺された刃が、体幹を貫いて背を突き破ったのだ。リーダー自慢のナイフ程度でできる芸当ではない。なにより、貫かれていたのはリーダーだった。


「……えへ?」


 そして、間抜けな声を上げてリーダーは絶命した。暴漢たちには、目の前で起きていることが現実だと受け止められない。黒い男は貫いたままのリーダーを片手で持ち上げる。黒い男の凶器が露わになった。


 腕や体幹とのバランスとは明らかに不釣り合いな巨大な爪だ。それも片腕だけ。肉食獣というよりも、蟻塚を砕くオオアリクイを連想させる爪をガチガチと鳴らす。リーダーの肉体にはまだわずかな反射が残っているようで、ぴくぴくと小刻みに痙攣していた。


 身長で一八〇センチ、体重で九〇キロはある格闘技経験者のリーダーを、片手で持ち上げるなど、信じられない。いや、それ以前に、自分たちを暴力と恐怖で従えていたリーダーがこんなにもあっさりと死ぬなんて、すぐには受け止められるはずもない。


 暴漢たちを飲み込んだ自失は、時間にして三秒。三秒で我を取り戻したのではなく、四秒目には黒い男が動いたのだ。


 持ち上げたリーダーが放り投げられる。時速一〇〇キロの速度に到達したリーダーの肉体は暴漢の一人に直撃し、仲間だった男は首の骨を折られて即死した。


 五秒目には暴漢の一人が、上半身と下半身に分かれて血と内臓を撒きながら宙を舞う。


 残る暴漢は二人。怯え切った彼らは目を見張るばかりで動くことができない。巨大な爪の腹が暴漢の一人を叩く。打ち据えられた男は激しい音と共に吹き飛び、古いビル壁に激突した。首が人間ではありえない方向にねじ曲がっている。


「ひ」


 奇跡的なタイミングで、最後の一人となった暴漢の筋肉と神経が繋がった。体を回転させ、一目散に逃走を試みた、つもりだったのだろう。暴漢の足は無様にも絡まり、アスファルトの上に転がってしまった。暴漢が言うことを聞かない自分の足を見ると、既に足は二本とも切り裂かれていた。倒れ込んだアスファルトは瞬く間に自分の血で赤い池となる。


「~~~~~~~~~~っ!?」


 声にならない悲鳴。役目を放棄した声帯と、全力で仕事をした顔面筋肉によって、暴漢は自分が感じている絶望と恐怖を最大限に表現することに成功してしまう。それがまた別の不幸の扉を開けた。


 黒い男がゆっくりとしたペースで、わざとらしく足音を立てながら暴漢に近付く。数十センチの位置にまで来たところで黒い男の足は止まり、暴漢を覗き込んだ。


 暴漢は息をのむような短い悲鳴を漏らす。絶対にできるわけがないと理解しているだろうに、必死に体と腕を動かして逃げようと試みる。足を失っているので、文字通り這う這うの体だ。まるでナメクジが移動した痕のように、アスファルト上に血液の痕ができる。


 黒い男は暴漢の惨めな様を笑いながら眺め続け、暴漢は遂に止めを刺されることなく、死ぬまでの数分を恐怖と絶望に晒され続けた。


「さぁて、余興は十分に楽しませてもらったし」


 すっかり静かになった路地裏で、黒い男は視線を大きく転じる。アスファルトに生きたまま転がる唯一つの人影に向けて。


 新堂美晴は小さく、鋭く息をのんだ。彼女にしてみればここで起きたすべてのことが現実離れしていた。暴漢たちに絡まれたことも、たった今、目の前で起きた惨劇も。


 惨劇をもたらした人影が美晴に近付いてくる。履いているものはその辺の量販店で買えるスニーカーで、爪の持つ異様さと比べて発せられる足音が日常のようで、そのちぐはぐさがより一層、美晴の恐怖心を刺激した。


「き」


 叫び声を上げるのは半瞬遅かった。異形の影の腕が異音と共に閃き、美晴の側頭部を強かに叩く。鈍い音が響き、美晴は短く呻いて気絶した。


「ふん、煩わしい」


 アスファルトの上に倒れて意識を失った美晴に影は迫る。相変わらず爪をガチガチと鳴らしているのは、相手の恐怖感を煽るためか、単なる癖なのか。


 気を失った美晴の顔を覗き込むように近付き、やや脱色している髪を撫でる。頬を軽くはたき、乱暴に尻を掴む。無意識ながら苦痛に眉を歪める被害者の反応を一頻り楽しみ、男は少女を担げ上げようと身を屈め、


 ――――ドン!


 男は衝撃に吹き飛ばされた。

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