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第一章 《死天使の像》 ~二十~

「なるほど君たちの大体の戦闘力は把握した。執行の槍ブリューナクは情報通りの腕利きだ。そちらの少年、綾瀬九郎君の戦闘力は……正直、予想以上だな。思い切りもいいし、利用されているとわかっている相手への容赦もない。実験のためには理想的な相手だと判断させてもらおう」

「実験? 《死天使の像》のか?」

「それだけだと半分の正解だよ、綾瀬君。大丈夫だ。こちらとしては十分な結果を求めたい。そのためのできるだけの情報開示をさせてもらう。第一段階だが」


 黒翼の舌は滑らかな回転を見せる。


 まず《死天使の像》の力の確認が第一段階だという。質の悪い安物の薬をどこまで強力な薬に仕立て上げることができるのか。そのためにいくつもの種類の薬を実験に使った。処方薬を実験に使うのは難しかったが、市販の風邪薬や胃薬を実験に使うことはできた。


《死天使の像》が強く作用しすぎて、死者が出てしまったことも、有意義なデータとして扱われるだろう。流通させている神秘薬物は、「低品質の薬を《死天使の像》の力で効果を高めている」だけではない。幻想同盟で製造・使用している薬を混入させている。


 協議会も同盟も組織内で有用な薬の研究開発を行っている。鎮痛剤、造血剤、神秘の副作用を抑える薬など様々だが、今回は鎮痛剤と興奮剤だ。


 鎮痛剤の中には依存性の高いものもあり、麻薬自体の依存性を合わせて《死天使の像》で強化することで、ごくわずかな量で薬物使用者を依存症にしてしまう。


 興奮剤の役割は簡単だ。依存させた相手の精神運動を興奮させ、攻撃性を前面に出させる。脳のリミッター外しは想定範囲内だが、あれほど極端な筋肥大は予想外だった。


「そして第二段階、依存者共の軍隊化だ。が、これが実は思い通りに行っていなくてね。同盟に連絡して指揮能力に優れた人材を用意させたんだが、あの暴走体共ときたら、簡単な命令しか受け付けない。正確には、暴走移行直後に一つ二つの命令を辛うじて聞くだけで、後はもうなにも受け付けない。命が切れるまで暴れまわるだけだ」

「命なのか? 薬効ではなく?」

「命、だよ、執行の槍ブリューナク。残念なことだがね」


 指定されているアプローチパターンをすべて試したが、当初の「僅かな投資で強力な軍隊を作る」という目論見は見事に崩れた。


 この時点で黒翼は、第二段階B目的へと変更する。暴走体を戦力として活用する。組織立った運用は無理でも、暴走体を前線に放り出して好き勝手に暴れさせるだけならどうだろうか。統制が取れない以上、継続的組織的な運用は不可能だが、瞬間的には大きな戦果を叩き出し得る。しかも低コストで。


 黒翼の説明に、九郎は首を微かに傾げて言う。


「そんなもの、今更、実験するまでもないだろう。あれだけ暴れまわることは証明されているんだ。どれだけの数をどのポイントに出すか、シミュレーションだけでも十分だろう。わざわざ実験をする必要性はない」

「基本的にはご指摘通りだ。だがそれは単なる戦場や暴動現場への投入の場合だな。より強力で、ピンポイントな戦場……例えば」


 椿が銀槍を引き抜く。切っ先を黒翼に向ける。


「例えば、衛士との戦いか」


 黒翼は満足さと嗜虐心を最大化した笑みを浮かべて言った。


「正解だ」


 具体的に言おう、と黒翼は笑う。


 二十四時間後、市内にばら撒いた薬物摂取者を暴走させる。これにより市内は大混乱に陥るだろう。その隙をついて黒翼は脱出すると言う。神秘薬物の効果から、《死天使の像》に関するデータはもう採り終わっていて、ここに残っている必要はない。


「必要はないんだが、まあ、依頼主へのサービスとして衛士、協議会を相手にした場合のデータ収集をしておこうと思ってね。こちらが流通させた麻薬は使用者の体内に微量の神秘を混入する。《死天使の像》は効果効能を上昇させるが、そこに神秘を介在させれば、神秘を活性化することでより効果を高めることができる。どれだけの人間が摂取したかは知らんし、摂取したとしても体内で解毒されている奴もいるだろうから、実際に暴走体が何体動くかまではわからん。だが、それなりの数、あちこちで発生するだろう。君たち協議会はこれに対処するだろうが、市内全域で単発的、散発的に暴れまわる暴走体すべてに対応することは難しい。どうするかね?」


 九郎が少し腰を落とす。右腕の手首から先だけが竜化している。


「ここでお前を確保すれば終わりだ」

「はは、かなり愚かな手段だぞ、綾瀬君。君がその行動に出るなら、君のその鋭いかぎ爪が俺の首を切り裂くより早く、俺は依存者共を暴走させる。一般人にも被害が出るだろうな。俺は一向に構わんが、そっちは困るんじゃないのか。世間に神秘が知られてしまうかもしれんぞ。神秘の隠蔽が最優先の協議会にとっては」


 黒翼は一旦、言葉を切った。右手で後頭部を掻く。


「絶対に避けたい事態じゃないか?」




                     

 喫茶ブルーに全員が集まった。支部長の丹藤、支部員として働く木山、矢野は当然として、大学に通う蒼子も、高校生になったばかりの椿も、もちろん九郎もいる。矢野が、黒翼をむざむざと逃がしてしまったことを失態として責めようとして、他の全員から睨みつけられて口を閉じてしまった。


 丹藤が疲れた声を吐き出した。


「一斉に暴走させる、か。支部創設以来の危機だな」


 木山が突き出た腹を揺すって答える。


「衛士相手の実戦データ収集など建前でしょう。収集できるならするでしょうが、過去の黒翼のデータからすると、自分が安全に脱出するための陽動でしょうな。それがわかっていながら、こちらは手の打ちようがない」

「黒翼を追わないのか!?」


 苦渋の表情を浮かべる木山に、矢野が噛みついた。


「なぜです!? 黒翼はまだこの街にいる。今、逃がしてしまったらどうなるかわかるでしょう。この際、多少の犠牲は」

「矢野ぉ!」


 今度は木山が声を張り上げる。


「本末転倒だろうが、それは! 秘蹟協議会の第一の目的は、神秘や幻想から人々と社会を守ることだ。神秘薬物の暴走体が出たら一般人にどれだけの被害が出ると思ってる!?」

「人々を守るという目的は理解してますよ。でも黒翼を逃がしてしまったら、ここではないどこかできっと、もっと大きな被害が続く。そうでしょう? 千人を救うために百人の犠牲が必要なら、甘んじて受け入れるべきです。違いますか?」


 木山と矢野は協議会という一つの組織に所属はしていても、派閥が違う。木山は協議会の理念・理想に忠実で、愚直に人々を守ろうとする。一方の矢野は合理性を重んじ、より効率的に多数を守ろうとし、そのためには必要な犠牲があるのも仕方ないという考えだ。


 二つの派閥は相いれずとも、互いに妥協点を探りながら共に動いている。今回、天秤はどちらに傾くだろうか。その結論が出るより早く、天秤ごと砕く破壊音が響く。竜化した九郎の右拳が会議用の長テーブルを砕いたのだ。


「絶対に、違う」


 九郎が刺殺できそうなほどに強く矢野を睨む。気圧されながらも矢野が反論した。


「現実も知らない子供が出しゃばるなよ。神秘の危険から世界を守るための必要な犠牲ってものがあるんだ。協議会の人手、いや衛士の数は絶対的に足りない。限られたよりマンパワーを最大限に生かすためには、犠牲を飲み込めるような大きな視点が必要なんだ」

「お前は」

「先輩をお前だと? おい、綾瀬、おま」

「お前は! 自分が犠牲になってないからわからねえんだろ!」


 九郎の怒声が会議室の空気を震わす。九郎が家族を失った事件は、警察の手には負えないものだった。衛士候補として正式に協議会に所属してから得た情報で、何らかの神秘による事件だとようやくわかったのだ。


「自分が犠牲者の側に回ることなんか考えてもいないんだろうな。いや、犠牲がどれだけかを決めることができると、下らねえ勘違いもしてるんだろう」


 九郎の決めつけに矢野の口が閉じられた。事実、矢野はそう考えていた。正しくは、考えていたのではなく、いつの間にかその認識を持っていたのだ。持っているという自覚もないままに。


 協議会は常識では計れない事案に対応する組織だ。協議会に所属し人々を守る役目を、いつの間にか自身の中で選民にも似た感覚に捉え、自分には犠牲の線引きをする権限を持っていると考えていた。繰り返すが、自覚もないままに、ごく自然に。


「九郎、もういい」


 椿の手が九郎の肩に置かれる。「ああ」と短く呟くと、竜化が解かれた。怒りの純度の高い眼光は矢野に向いたままだ。


「目の前の犠牲を黙認するような真似は、絶対に許さない」


 矢野は短く呻いたきり黙ってしまう。

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