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プロローグ 《竜玉》 ~四~

 情けない事実として、常城市警察の犯人検挙率は全国的に見ても低い部類に入る。


 警察上層部から叱責を受けること数知れず、世論からバッシングを受けることはそれ以上。少し前にはどうにかして検挙率を上げようと高圧的な職務質問や暴力的な取り締まりをしたとして、ワイドショーで取り上げられもされてしまった。


 どうにも評判の良くない常城市警の、目下の最大の悩みとなっているのが、市内に流通している薬物だ。二十世紀のような直接会って交渉するようなスタイルはとうに廃れ、今ではネット上での取引が主体。売買双方が接触するのは、取引する瞬間のみ。


 売人は待ち合わせ場所に車で現れ、客は窓を開けた運転手ないしは助手席の売人に金を渡すと同時に品物を受け取る。所要時間は数秒で済む。


 これでは取引現場を抑えることはかなり難しい。粘り強い捜査の結果、何度か売人を捕まえることはできたのだが、いずれも薬物をばら撒いている黒幕まで辿り着くような連中ではなかった。


 しかも最近では、売人は車ではなく原付を使うケースまである。売人自体も麻薬組織の人間ではなく、「いい金になるから」と宅配を引き受けた二十代の一般人、酷いときでは学生、それも高校生だったこともあるほどだ。


 一般人や学生バイトには半グレのような連中もいたが、ほとんどは本当に善良で平均的な人間で、運んでいるものの正体も知らず、捕まって初めて自分がかかわったことに愕然していた。


 この場合は、書類送検で済む場合もあり、また仮に服役するようなケースになっても短期間で出てくるケースが多く、安易な稼ぎ手段として再び手を染めることがあるという。


 悩みの尽きない常城市警が、市内に出回る薬物を取り仕切っていると断定しているのが、第一常城興産という会社であり、書類上は真っ当なこの会社を実質的に支配しているのが、とある犯罪組織のボス、緋桜和真。つまり、緋桜式の父親だった。


 緋桜和真は高校卒業――ほとんど通っていなかったが――と同時にある暴力団組織に入ったが、まず在学中から授業に出席するよりも暴力沙汰を起こすことのほうが多かった。何度も警察に捕まり、この生活は大人になってからも大きな変化を持っていない。


 人生の、少なくとも前半部分のほとんどを刑務所や拘置所や少年院などで過ごしていた。


 所属する上位組織から、武闘派としての功績を認められ自分の組を持つようになってから、ようやく人を使うことを覚えたようで、最近は刑務所に入るようなことは減っている。特にここ数年に限っては、構成員も含めて警察に付け入るスキを与えないほどになっていた。


 この頃から市内に出回る薬物が飛躍的に増えたとして、常城市警は緋桜和真こそが常城市における最大の悪玉だと睨み、捜査を続けているのだ。


 しかし市警のベテランは「緋桜和真は粗暴で危険な男だが、ここまで用心深く慎重に事を運ぶような頭は持っていない。誰か別の黒幕がいるんじゃないか」と訝しんでいるが、大した結果を残せていないとあって、警察組織内部ではまったく相手にされていないのだった。


 綾瀬九郎は知っているが、式の乗る黒塗りの高級車には防弾防爆加工が施されている。式の希望ではなく、緋桜和真が出したオーダーだ。下らない装備をゴテゴテとつけることで、自分が重要人物になったと錯覚できるのだろう。


 日本国内に限るなら過剰な防御力を備えた高級車の車内では、緋桜式が資料に目を落とし、次々と画面をスライドさせている。氷のように凍てついた表情と双眸は、どう見ても子供のものではない。では、やり手のビジネスマンや官僚といった風情かと問われると、まだ足りないだろう。


 人を数字として認識し、資源として使用する冷徹な姿は、紛れもなく式の一面を表している。


 式が得意とするのは金融工学だ。


 世界各国にオフショア口座――広義での意味ではなく狭義の、オフショア地域と呼ばれる金融特別区内の銀行に開設したものを指す――を持っているだけではなく、それらを通じて不動産を始めとする世界中――表裏問わず――の市場に投資し、尋常ではない金額を稼ぎ出している。


 他の組織や個人からの依頼で資金洗浄も請け負い、その手数料収入もシャレにならない水準になっていた。


 だがさすがに子供に過ぎない式が犯罪行為に手を出しているとは誰も思わず、必然的に裏の金融業界で急速に評価が上昇しているのは緋桜和真の名前だ。緋桜和真は息子の式を完全にコントロールしているから、自分が大きな名声を得ていると信じて疑わなかった。


 常城興産、というよりも緋桜和真が取り扱う薬物の量は一年前に比べて二十五パーセントも増加している。上昇幅としては驚異的、だが組織全体での利益割合から見れば、式が握る金融部門よりもはるかに小さい。


 ひたすらドラッグビジネスに邁進する実父の姿に、ドラッグビジネスには興味のない式は眉をしかめるが、緋桜和真にとっては薬物だろうと違法賭博だろうと、単なる金づるでしかない。最近では貧困層向けに、質で劣る薬物を安値で売りさばこうかと画策しているようだった。


 金銭に対する節操のなさは際立っていて、その上で自分や気に入った女のためには金をばら撒くくせに、部下たちに対しては極めて吝嗇に振る舞うので、緋桜和真の評判は組織内でも低い。


 式が実父を見る目は冷厳そのものだ。小学生にはまったくもって似つかわしくない表現は、だがタブレット端末の画面を見る式を如実に物語る。画面に映し出される情報を次々に把握している、と助手席に座るスーツ姿の男が話しかけてきた。


「随分と機嫌がよろしいようですがなにかございましたか」

「少し、ね」


 相手を見もせず、不格好な時計を撫でる式。この男はそれなりに式との付き合いが長く、時計が誰からのものかも正確に理解した。理解して、余計な口を出すのは控える。


 スーツの男、宮川は第一常城興産に入って十年ほどで、ボスである緋桜和真よりも式に忠誠を誓っていた。現在の組織の隆盛がどちらの手によるものかを、間近で見てきたからだ。


 武闘派などと嘯いてはいても、実際は抑えの効かない、理性よりも本能を優先するバカの集まり。暴力が効果を発揮する場面はあるが、緋桜和真の暴力は日常的な手段であって、武器や材料に使うようなものではない。粗暴であって底が浅く、大物のように見せかけるだけの雑魚。


 緋桜式を見ていると、実父の和真については何度もこんな感覚を覚えてしまう。緋桜式の持つ恐ろしさに比べると、緋桜和真の持つ恐ろしさはどうしても次元が低い。宮川は早晩、和真の組織自体が式に乗っ取られてしまうものと考えていて、同時に期待してもいるのだった。


「式様、ご報告が一点、ございます。協議会の人間が市内に入ったようです」


 宮川の報告に、式は形の良い眉を微かに潜めた。


 常城市内における最大級の暴力機関が第一常城興産で、市内の地下経済活動においては間違いなく最大手。そんな組織の主導権を、式は実質的に握っている。当然のこと、情報収集力についてはその辺の探偵などは比較にならない。特に、裏で動くような連中のこととなると警察すら凌ぐ。


 協議会。


 正式名称を秘蹟協議会という。科学や常識といった枠の外側を扱う、神秘や幻想の専門家たち。国内外に多くの支部を有しているが、この常城市にはまだ支部が存在しない。


「支部設立が目的なのか、それとも市内で起きている何らかの事件を追っているのか」


 前者は構わない、と式は判断する。現在の利益構造上、重なる分野が少ないからだ。もちろん商売の邪魔になるようなら排除するし、そのためには流血も厭わない。むしろ緋桜和真が率先して動くだろう。


 もし後者なら。事態はより複雑だ。秘蹟協議会は神秘や幻想にかかわる案件を専門に扱う。解決にあたっては荒事も辞さず、また各国上層部や捜査機関との関係も深いときている。


 式自身の関与は乏しいものだが、和真はどうだろうか。目先の小銭に目が眩めば、やばそうなものにでもよく考えずに飛びつく質だ。それを「行動力、決断力がある」と勘違いしている。


「市内に幻想が流入していないか調べろ」


 短く、式は指示を出す。幻想の流入が確認されても、始末自体は協議会に任せるが、組織に被害が出ないかどうか見極める必要がある。


 だがなによりも重要なことは、九郎だ。九郎のことを知っているのか、いないのか。式にとっては組織よりも、九郎のほうが遥かに大事だった。


「はい」


 宮川は前を向いたまま、深く頷いた。

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