表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/51

第一章 《死天使の像》 ~八~

「あれは引きます、支部長。ドン引きです」


 喫茶店舗にまで戻ってきた丹藤に向けた、椿の第一声がそれだった。


「酷くない? これでもかなり気遣ったんだけどなぁ」


 尋問室にはカメラが設置されていて、丹藤とボスのやり取りの一部始終は別室から確認することができる。椿は同席していたが、他の支部員は別室から様子を生みていたのだ。


 気遣ったと言えば確かに気遣ったのだろう。拷問用の道具を見せびらかしただけで、ボスの精神は完全に負けを受け入れていた。実際には、椿に叩き潰されてへし折られていたのだが、それでも「口を割るものか」程度の気概を持っていた。


 しかし丹藤が並べた具体的な描写と、自分がこれまでどれだけの暴力を振るってきたのかを思い起こして、最後の気概すらもかなぐり捨ててたのだ。


 そこには丹藤の『呪い』も関与している。椿によって折られた精神をより不安定にさせ、わかりやすい恐怖を見せつけることで、望む情報をさっさと引き出したのである。顎が砕かれているので話すことができないので、いちいち文字に起こすことだけは非常にめんどくさかったが。


「支部長、それはビールですよ?」


 何気なく伸ばした丹藤の手を、蒼子の笑顔が迎撃する。


「これぐらいしか楽しみがないんだから大目に見てほしいなあ」

「うん?」

「なんでもありません」


 蒼子の繊手にはハエ叩きが握られていて、丹藤はなにも取らずにそそくさとカウンター席に座った。椿が確保した売人は、椿との戦闘で肉体的に酷いダメージを負っていた。圧倒的敗北による精神的失調も相当なものだろう。


 だがもっともダメージを与えたのは、男を変容させた薬物だ。神秘を扱う訓練を受けていない、また適性も低いのに体内に取り込んでいた。更に強制的な活性化により、専門的な治療を受けなければ深刻な後遺障害が残る、というのが遠隔診療を担当した医療班の見解だった。


「神秘から人々を守るのが協議会の使命だからね。呪いを使うわけにはいかないし」


 丹藤の意見は善良なものだ。


 協議会も一枚岩ではなく、強硬派の中には「問題解決のためには、一般人に対しても神秘を用いても構わない。副作用は後で治療すればそれでいい」と主張するものも少なからず存在する。


 丹藤の直接的な戦闘力は椿に劣るが、『呪い』による支援や尋問に優れている。今回の場合だと、確保した売人に『呪い』をかけて情報を絞り出す選択を否定しないということだ。効率的ではあっても、既に著しく消耗している売人は再起不能を免れない。


 他人に迷惑をかけるだけの人生を送ってきた、今後も生きているだけで他人に害を与える男の行く末などに考えを巡らせるのも馬鹿馬鹿しい、と考えるのが強硬派である。


 幸か不幸か、常城支部を構成する人員に強硬派はいない。まだ二十代前半の矢野に好戦的な主張が多いだけだ。蒼子の淹れるコーヒーは近隣住民から絶品だと評される。美女の手による補正もあるだろうが、九郎でも美味いと感じる代物だ。九郎はメイドインジャパンのカップに注がれたコーヒーを一口すすった。


「丹藤さんのアルコール問題はいいとして」

「九郎、よくないだろう。支部長の酒浸り生活は支部の機能を低下させる」

「木山さんたちがいるから大丈夫だろ」

「それはそうだが」


 責任者には責任だけ取ってもらえばいい、という考えが常城支部には浸透していた。丹藤が積み重ねてきた人徳の結果だ。九郎が続ける。


「アルコール問題は置いといて、丹藤さん、なにかわかったことは?」

「あったよ。箱田という人物から仕入れたんだと」


 木山が突き出た腹を揺する。


「どうせ偽名でしょうし、変装や、最悪は整形も考えないと。捕まえたとしても供給元までたどれるかどうか」


 矢野が常城市を拠点にしている市民野球チームの帽子を手に取った。顔にはかなり明らかな苛立ちがある。苛立ちの視線を受けるのは九郎だ。


「事件も重要だが、その前にはっきりさせなきゃならん問題もあるだろ。支部長、今回、綾瀬は単独行動をした。現場に出る際はツーマンセルが原則だ。規則破りには罰がいるんじゃないのか?」

「でも情報は得ただろ?」

「口答えをするな、綾瀬! 規則破りには変わりがない。そうだろ、支部長?」


 矢野は協議会の中では九郎の先輩にあたるが、衛士や衛士候補生ではない。本人は衛士になることを強く望んでいて、候補生となるための推薦を得られるよう、戦闘訓練にも積極的に参加している。二ヶ月前に三度目の候補生へのリスト入りが見送られたことで、矢野の九郎への視線はより厳しいものになっていた。


 矢野からすれば、九郎は偶々、神秘を手に入れただけの子供だ。偶然だけの子供が衛士候補生になのに、真面目に訓練に取り組み、真剣に衛士になりたいと願っている自分が候補生にすら入れないことが許せなかった。


「そもそも、お前の情報はどこからだ? こいつらと同じ穴の狢からだろうが。どうしてガキのお前がそんなルートを知ってる? お前自身が実は薬物を流しているからだ。違うか? 違うというのなら、情報源を教えろ。組織全体で共有したほうが有益だ」


 九郎には妬心からの要求に応えるつもりはなかった。


「情報源を教えるつもりはない。向こうとの信頼にかかわる」

「犯罪者との信頼だと? それだけでもお前が衛士としてふさわしくないとわかるな」


 結局そこか。九郎はため息をついた。感情を、特に嫉妬のような感情をコントロールすることは難しい。今の矢野がまさにそうだ。


 協議会のみならず、警察などの法執行機関の人間が個人で独自の情報源を持っていることは珍しくない。同僚や組織で共有していないこともだ。情報源の側も、相手個人との関係を取引や信頼に基づいて情報を提供する。組織で共有するような真似は、情報源への裏切り行為となり、信頼を失う。そして失った信頼は二度と取り戻せないのが世の常だ。


 九郎は憮然とした表情で腕組みをする。矢野の言動は敵意にすら値しなかった。値しないだけで許せるとも思えなかった。


 九郎とて出した結果と規則は別物だと理解している。処分が出ることを覚悟もしている。


 だがそれは今である必要はないと考えていた。警察のように十分な人手があり、応援を要請しやすい組織ならともかく、神秘に関わる人員は基本的に不足がちで、今回の事件は、支部始まって以来の規模のものだ。応援を要請しようにも、他の支部も人員不足の現状では望みにくい。


 九郎は解決をこそ優先して、規則違反の処分は後で受ければいいと考えていた。少なくとも、組織の規律を破壊的に乱したわけではなく、有益な情報ももたらし、調査の前進に貢献しているのだから、多少の規則破りはあって構わないのではないか。


 九郎の認識は決して正しいわけではないが間違っているとも言いにくい。問題があるとすれば、規則破りの判断を下せるのは、上司である丹藤でなければならないという点だ。協議会が組織である以上、九郎や矢野が決めていいことではない。


「言いたいことはわかるけどね、矢野君。今はまず、事件の解決だよ」

「支部長! 責任者がそんなことでは困ると言ってるんです。規律ってものを守らせるのも支部長の仕事でしょう!」


 矢野が声を荒げる。自分の発言が正しいと信じているので、賛同してもらえないことが不愉快なのだ。


「ちゃんと処分はするよ? でも精々、口頭での注意処分くらいかな。単独行動を採ったのはダメだけどね、謹慎や候補生資格の剥奪までは行き過ぎだと判断するよ。候補生というのは言ってしまえば学生と同じなんだ。失敗はできるだけ許容する。失敗に対する責任は衛士や上司が引き受ける。もちろん限度があるけどね。失敗しても許されるっていうのが候補生の特権なんだよ。この場合、単独行動を受け入れた椿君に、より責任があるよ。椿君には始末書くらいは出してもらおうかな」


 視線を向けられた椿は笑顔で頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ