第一章 《死天使の像》 ~七~
常城支部でもっとも尋問能力が高いのは丹藤だ。
国内を見回しても、丹藤以上に敵から情報を引き出せる者はいない。普段は酒浸りで、若い頃にはカミソリとも評されたほどの鋭さはすっかり錆びついた感があっても、尋問技術自体が衰えたわけではない。
協議会にとっての最大の敵対組織、幻想同盟のエージェントの間でも「丹藤に捕まることは避けろ」というのが常識であるらしい。
丹藤としては、過大評価なんだけどなあ、と嘆きたい気持ちになる。直接的な戦闘力に欠けるため、尋問技術を磨いてきただけなのに、いつの間にか尋問や情報収集の専門家扱いだ。確実に情報を得る。そのために国内外を問わず召集を受ける身分になってしまった。
情報収集の速度と精度から、丹藤は本部付きの情報収集分析室室長という高い地位に就いたこともあるほどだ。神秘の危険から世界と人々を守る。協議会の掲げる使命のための、重要で責任ある地位である。
その地位が重かったのか、室長就任を打診された前後から、丹藤の酒量は増えていった。
ストレスがそうさせているのだという自覚はあったが、丹藤には酒を控えようという気持ちは、ついぞ湧き起らなかった。仕事に支障をきたすようなヘマはしなかったが、協議会内部の定期検査で肝機能の悪化を指摘されないことはないという有様だ。
重圧に耐えられる器ではないと思い知った丹藤は、自分から降格を申し出て、受理された結果が常城支部の支部長だった。
支部長の仕事と責任は面倒だが、室長に比べると遥かに楽だ。基本的には担当地区から出ることはないから、神秘関連の事件が起こらない限り、日がな一日酒杯を傾けていても構わない。まあ世間体が良くないことは確かとして、ストレスなく好きな酒を飲める生活は、丹藤にとってはまさに楽園だった。
その楽園から叩き出されたことは刺激的な事実だ。丹藤のやる気スイッチを久しぶりにオンにするぐらいには。一刻も早く己の楽園に戻るため、丹藤はできることはすべてやるつもりだった。
支部は喫茶店を兼ねているので、食材を保管する倉庫もある。倉庫の隣には駐車場扱いの、実は尋問用のだだっ広い空間があった。部屋の中央には中古の椅子が一脚だけ置かれていて、椅子には手錠が四つ。四肢を拘束するために使われるもので、今はそこに客が座らされている。
椿が確保した、肉体変容を果たした男だ。手首足首は手錠で固定されている。椿が目の当たりにした膂力からすると、細い鎖はいかにも頼りない。
だが協議会の人間はこの手錠に全幅の信頼を置いている。鉄でもなくセラミックでもない、神秘の中で鍛えられたミスリル銀製の手錠だ。筋力だけで千切るのは不可能であり、ミスリル銀に干渉できるだけの神秘を有するものは稀なのだから。
わざわざパイプ椅子を一脚持ってきて、丹藤は腰掛けた。立ちっぱなしでいるのは疲れるという切実な理由からで、しかし相手にはそれと悟らせることはない。
丹藤は椅子に縛り上げられたボスに、少しだけ顔を近付けた。ボスの目にはもはや怯えしかなかった。暗い路地で椿を襲おうと決めたときの野性味も凶暴性もすっかり消え失せ、いまや小動物のように体を震わせているだけだ。
椿の膝で砕かれた顎では喋ることはできそうにないが、ジェスチャーでの疎通はできる。丹藤はにっこりと笑みを浮かべた。
「おれが思うに、アルコールが抜けると、体に活力が戻るというのは嘘だと思うんだ。朝、起きるのは辛いままだし、かと言って夜寝るのにも寝酒がないと、これがまたなかなか眠れない。睡眠の質自体が悪くなっていてね、夜中に何度も起きてしまうんだ。こんなことはここ最近あまりなかった。いやもしかするとあったかもしれないが、夜中に目が覚めるとグラス一杯のウィスキーを流し込めば、それでもう朝までぐっすりだ。日によっては昼過ぎまで寝てしまうこともある。想像できるか? 特に真夏だ。真夏の太陽が空の一番高いところに上がったときに、その日最初の日光を浴びるんだ。頭が万力で割られるんじゃないかと思うくらいの激しい頭痛に襲われて、意識が一気に覚醒する。痛みが生きている証だという人間もいるがあれは、確かにそうだ。あの激しい頭痛はおれに生きているという実感を、否応なく与えてくれる」
丹藤は首を左右に、大きく振る。
「最近は酒を飲んでいないんだ。一滴も。我ながら信じられない。昔から仕事のオンオフはきっちりとわけることができる質ではあったが、あれだけ好きな酒をこんなにも長い間やめることができるなんて思いもしなかった。心底、腹立たしい。なぜかわかるか? お前が、お前たちが、おれから生きている証を奪ったんだ。あの激しい頭痛のない一日の始まりなんか、生きてる実感が湧かない」
正常な人間のセリフではない。丹藤の言葉は演出だ。本当は深酒をしては吐いて、朝を迎える度に最悪の気分を味わっている。飲酒のあまり意識を失って救急搬送されたことも二度ばかりあるが、尚も飲酒をやめることができないのだから、依存症だということはそれなりに自覚していた。深酒と健康を両立させるプログラムが欲しい、と心底から思っている。
最近では「日光を浴びるから頭痛に襲われる。だったら日光を浴びない生活にすればいいんじゃないか」と、昼夜逆転気味の生活になっていた。
日中、事務所を運営するのは汀蒼子。夜間は支部長である自分が。きちんと役割分担ができている素晴らしい職場に早々に帰りたいものだ。
生憎と、協議会日本支局はこの事件が片付き次第、生涯四度目の断酒会プログラムに丹藤を放り込むつもりでいる。このことを知らないのは丹藤本人だけで、壁に背を預けて腕組みをしている椿は苦笑を浮かべていた。
「ようやく奪った奴に会えたと思ったのに、末端も末端。使い捨ての三下だったなんて、あまりの衝撃に眩暈がしたよ。だが少し、おれは考え方を変えた。何事にも練習が必要だと。つまりだ」
丹藤は、自分が考える最低の悪党を演じて、笑顔をボスに近付けた。ボスの股間には暖かいシミができた。
「端的に言うと、今から君に拷問を加える」
ボスは満足に動かない首を何度も何度も横に振った。対する丹藤は、すべてわかっている、と言わんばかりに右手の人差し指と親指を使って丸を作って、頷き返す。
「なるほど、なるほど。その気持ちはよくわかる。一体自分はどんな目に遭うのか。当事者である君がこの点を気にするのは、とても自然なことだ」
だがそんなに深く考えなくていい。丹藤は穏やかな雰囲気を纏ったままに言葉を続ける。
「なにしろ、おれはそこまで発想力豊かな人間ではない。見ての通りのくたびれたスーツに袖を通して、日々の仕事をこなすのがやっとという平凡な人間だ。奇抜で斬新な拷問方法など思いもつかないし、なにより、既に効果的な拷問方法は確立している。日本や中国の歴史を見れば、拷問技術は芸術と間違えるぐらいに洗練もされている。確かに、君が歴史にそこまで詳しくないことは見ればわかることではあるが、だからといっておれは君の理解を諦めようとは思わない。ちゃんと理解できるよう、説明責任を尽くすつもりだ。今まで自分がやってきたことを思い返してくれ。多くの人を殴っただろ? 蹴ったり骨を折ってやったりしただろ? これまで君が長い年月を積み重ねてきた暴力の数々を、これからの数時間に集中させる。それだけだ。ああ、ケガについては問題ない。安全で高度な医療を提供すると約束しよう。つまりだ。もう一度言うが、つまりだ。君は、こっちの欲しい情報を吐き出すまで、死ぬことも気絶することもできず、今まで自分が振るってきた暴力よりも遥かに密度の濃い暴力を、延々と受け続けることになる。ここまでは理解できたかな?」
懇切丁寧に説明に、ボスは「んー!」「む゛ー!」と懸命に息を吐き出す。顎が砕かれて話すことができないので、空気を出すことしかできないのだ。
「よろしい。一度の説明で理解を得られたことは、こちらとしてもとても嬉しい。では、十分な意思疎通を図り、お互いのコンセンサスが取れたところで、ここからは口ではなく手を動かす時間だ」
反動をつけて立ち上がった丹藤が部屋の隅に行き、これから用いる道具を選ぶ。
選んだのは一枚三円のスーパーのレジ袋と、ビリヤード球のように硬質な反射を示す球だ。レジ袋に一つ二つと玉を入れる。三つ四つと増える度に、レジ袋の中で玉どうしがぶつかって、ゴッ、ゴッと不吉に響く。
七つ目を入れて、丹藤は横目でボスを見やり、にたりと笑った。




