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第一章 《死天使の像》 ~五~

 常城市は十分に発展し、これからも発展していくだろう洗練された都市だが、当然のこととして灯りの乏しい通りも数多く存在する。警察の手も届き切らない、少なくとも善良な一般市民が夜間にぶらぶら歩くのにはまったく向いていない道だ。


 高層ビル群に囲まれた都市の足元には、まるで雑草のように低所得者向けの安アパートが狭い敷地に詰め込まれている。壁の薄い二戸一型住宅の周りには、収集所に持っていかれなかったゴミが散乱していた。


 ボランティアの善意と、カラスやノラ猫の回収行動のどちらが早いのか、住人たちですら俄かに判断がつかないに違いない。


 確かなことは、この通りを含む区画は常城市内で三番目に危険と囁かれる場所であり、少なくとも今夜に限っては最も危険な区画としての地位を奪い取ったことだ。


 時間も遅い。真っ当な人間の姿はとうに消え、暴力が最大の強みを発揮する薄暗い街灯の下を一人の歩行者がゆっくりと進んでいた。深夜に治安の悪い地域を歩いているというのに、まるでよく知った道を歩いているかのように落ちついている。


 街灯の一部が割れているが、常城市は財源の豊富な自治体なので、貧困対策というわかりやすいアピールも相まって直ぐに修理か交換が行われるだろう。まだ無事な街灯が歩行者の顔を、姿を僅かに照らす。


 歩行者を追っていたいくつもの目が、好機と好色の入り混じったものへと変質する。歩いていたのは若い女だ。それも肌の露出が多い。肩を大胆に出し、魅力的な太腿を露わにしている。胸はまだ発展途上だが、それがかえってハンターたらんとする男たちの気持ちを掻き立てた。


 連棟住宅の住人が二階ベランダから若い女を見下ろし、苦しげに目を伏せた。住人は、若い女があんな格好でこの道を歩いていたらどうなるかをよく知っている。酷い暴力を受けて、あるいは望まぬ妊娠をしてしまうかもしれない。


 だが住人は助けの手を差し伸べようとは思わなかった。


 ここの治安が悪いことは誰でも知っていることだし、そんな場所に夜、若い女が一人で歩けばどうなるか、火を見るより明らか。だというのに、のこのこと一人で歩いているバカな女がいる。バカのためになにかをしてやろうという気は住人にはなく、さっさと室内に戻って酒瓶を傾けた。


 街灯が作り上げた闇の中、電柱にもたれかかっていた男がスマホから情報を受け取る。女を尾行している仲間からのもので、念入りに観察した結果が送られてきたものだ。欲望に塗れた下衆な内容で、それだけに男は大きく満足した。


 女が目の前を通り過ぎる。


 闇の中に潜んだままの男には気付いていないようだ。少し遅れて尾行の男たちが闇の中に入ってきた。二人いて、二人ともが十代の少年だ。年齢的には高校生、だが高校には通っておらず、新聞に載る際には無職と表現される。


 ぬぅ、と闇の中から成人男性が姿を現す。少年二人は畏敬の念を目付きと態度の双方に込めていた。以前、少年たちが暴力的なトラブルに巻き込まれたとき、助けてくれたのがこの男だった。


 男は強く、少年たちとトラブルになっていたグループ数人を一人で片付けるほどに腕っぷしが立つ。家族や学校といった中に居場所を見つけられなかった少年たちは、男の持つ暴力にすっかり魅せられてしまい、以来、影のように付き従っている。


 男がしろと命じたならば何でもするつもりであったし、結果として刑務所などに行くことになっても、「拍がつく」程度にしか考えていなかった。


 今日もそうだ。男の命令に従って行動する。そうすると、いつも通りにボスが楽しんだ後の女を好きにすることもできるに違いない。少年たちは今夜の成功を信じ切っていた。


 最初から闇の中に潜んでいたボスは二人よりもずっと年長で、三十代だ。十代の頃から犯罪に手を染めていた男で、前科十犯だったか十二犯だったか。罪状は強盗か強姦。殺人未遂も二件ある。


 人生で作ったコネクションの半分以上は刑務所の中で得たもので、最近ではより手っ取り早く金になる手段として、薬物を扱うようにもなっていた。ただし自分が直接、売るわけではない。客と接触して販売するのはもっとバカな、切り捨てても一向に構わない手下の仕事だ。


 例えば、今、こうして自分に付き従っているガキどものように。


 子供、とみに頭の悪い子供というのは本当に使い勝手がいい。まず間抜けだ。少年法で守られていることを強く自覚しているから、危険なことにも、ちょっとおだてるなり認めるふりをしてやれば、むしろ嬉々として飛び込んでいく。


 ボスの男には既に、人を刺して少年院に入っている手下もいる。刺すように命令し、お務めを果たせば十分な金を渡してやると言い含めてある。引き続き仲間として、いや、頼りにすべき相棒にするとも囁いていた。この程度の言葉を投げ与えてやるだけで殺人未遂まで犯すのだから、使い勝手の良さでも費用面でも大人よりも遥かに都合が良い。


 ボスはだぼだぼのズボンの中に大振りのサバイバルナイフを隠し持っている。何十回と見せつけ、実際に一度は人を刺していた。


 この一件を警察は「大きな刃物を事前に準備していたことから怨恨による犯行の可能性が高い」としているが、実際には行きずりの強盗だ。マスクとサングラスという出で立ちに、的外れの捜査。逮捕されることはないとボスは考えていたし、いざとなればナイフをガキどもに押し付けて、自分だけでさっさと逃げると決めていた。


 逃げることには慣れている。逃げる以上に誰かを犠牲にすることに慣れている。今夜、犠牲になるのは目の前を歩く女だ。


 まずは体を愉しむ。その様子を動画に撮って脅迫の材料にすれば、女は言いなりになってもっと愉しむことができるだろう。客を取らせてやってもいいし、映像として売りに出してもいい。


 バカな女だ。そんな恰好で、こんな時間に、この道を歩いていたほうが悪い。責任のすべてを女に転嫁して、ボスは手下を連れて歩き出した。





 万城目椿にとって、ここは危険地区には該当しない。


 神秘を追い続ける仕事の中には、麻薬や銃や暴力が蔓延る中南米での仕事もあった。密輸された神秘を追って内戦状態の国に入ることもあった。武装集団と直接、取引したこともあった。


 尾行している連中がなんであれ、椿の脅威にはなりえない。


 かすかに聞こえるだけだった二つの足音は、三つ目の足音と合流してから大胆になった。潜めるという感覚は抜け落ち、ハンターとしても三流以下の気配を垂れ流しにして歩幅を大きくしている。


 足音から判断できること。一番大きな足音がボスのものだ。十分に場慣れしており、犯罪を行うことに躊躇を持っていない。残りの二つはボスについてくるだけで主体性がなく、歩幅も安定していない。


 相手が一人だけの女で、自分たちは複数の男。抵抗されることを考えていないか、抵抗されても面白い、と考えるはずだ。恐らくナイフ程度の武器なら持っているだろう。少なくともボスの男は、同じ若しくは似たようなことをしたことがある。


 それにしても、この格好は効果てきめんだな。闇に隠れて見えないが、椿は苦笑した。この通りに入る前からそうだった。歩くだけで男たちの視線を集めること集めること。服装だけで男たちの動きをコントロールできるのだから、汀蒼子が武器扱いしている理由がよくわかる。


 今度、コツでも聞いてみよう。この事件が片付き次第。

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