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プロローグ 《竜玉》 ~三~

 家族を失った九郎の支えになったのが式だ。九郎を引き取った叔父夫婦は善良な人間で、叔父夫婦の二人の娘も九郎に心から同情し、なにかと世話を焼いてくれもしたが、九郎が頼りにしたのは生まれたときからの幼馴染であった。なにしろ、新生児用のベッドでも隣にいたくらいの長い付き合いなのだから。


「叔父さんの家が嫌になったら私に言え。部屋は準備している」

「緋桜は緋桜でまた、かなりしんどいと思うんだよな」


 苦笑を浮かべる九郎。まだまだ子供ではあるが、平均的な子供よりもずっと濃密な経験をしている。望むはずもなかったその経験により、九郎の精神や考え方は並の子供よりも遥かに早熟していた。式も――九郎とは別の理由によるが――同様だ。


 信号が青に変わる。九郎たちの進行方向には、遠くからでも目立つ建物があった。タワーマンションではあるが、デザインがやや古く、「中古の場合だと値段が低く抑えられる」からと叔父夫婦が購入したものだ。つまりは現在の九郎の住居である。


 叔父夫婦が購入する前後から常城市の人口増加が加速したことで、現在、常城市内の不動産価格は上昇傾向にあることは有名だ。中古マンションである叔父夫婦の物件も、リノベーションの類を施していないにもかかわらず、購入時より三割ばかり値上がりしているらしい。市内には国内外からマネーが流れ込み、今後も上昇すると分析されていた。


 売却して郊外により広い家を買うか、より節約して娘たちの教育資金を充実させるかで夫婦間の意見が割れている、とはその娘たちの言葉である。更に、どうせなら小遣いを上げてくれたらいいのに、と続く。


 九郎を引き取るにあたっては叔父夫婦間でも多少のいざこざがあったらしく、決定するまでは式の家で過ごしていた。


 式の家は一般市民の住宅に比べるとかなり大きな専有面積を持ち、九郎にも十分な広さを持つ個室が与えられていて、少なくとも物質面においては快適な生活を送ることができたと記憶している。


 ただ、両親を失って以来、九郎は不眠症、とまではいかないものの、寝つきが悪くなり眠り自体が浅くなっていた。


「昨日なんか何となく時計を見たら夜中の三時だ。そのまま布団を頭まで被って気が付いたら朝七時。シャワーを浴びて、シリアルを突っ込んで、慌てて学校に来たんだ」

「遅刻だったろう」

「あれでも精一杯頑張ったんだ。給食には間に合ったろ?」

「実にしんどいスケジュールだな」


 そんなやり取りをしながらタワーマンションの敷地内に入ると、比較的、聞き慣れた女の声で、


「しんどいからこそ愛し合うものどうし二人で支え合うんだよ!」


 ロクでもない内容が割り込んできた。


 九郎も入居する三号棟入り口近くの自転車置き場でサムズアップをしながら、不愉快なまでに爽やかな笑顔を振りまくこの女性は新堂美晴。常城高校二年生、教育熱心な両親の勧めで三つの習い事をしており、言動からわかる通りの、腐女子だ。小学校五年生の九郎と式にBLを押し付けて楽しむのが趣味という、ご近所にはいてほしくないタイプの人間だが、叔父の部屋とは隣同士なのでかかわらないわけにはいかないという、厄介な存在だった。


「また言ってるのか、美晴姉さん」


 呆れる九郎だが、顔には嫌悪感はない。美晴は遅れがちな九郎の勉強をなにかと見てくれているだけでなく、九郎を心配して食事を差し入れてくれたりもしてくれる人物で、九郎はちょっとやそっとでは返しきれない恩を受けている。初恋かどうかはともかく、美晴の高校の制服を見たときは、どこか、「大人というのはこういうものか」と感じたものだ。


「その時計どうしたの? 九郎が買えるわけないし」

「俺を見くびりすぎだ。その気になれば」

「式にもらった?」

「その通り」


 お見事な洞察力を発揮する美晴に、九郎は苦々しく笑うしかない。


「楽しげに話しているところ悪いんだが」

「なになに? 嫉妬? 九郎を盗られて嫉妬してる、式?」

「質問があるだけだ」

「答えは一つよ。大事なのはお互いの気持ち。真実の気持ちさえあればどんな障害だって乗り越えられる。式はちゃんと九郎の愛を信じてる?」


 小学生相手にレベルの高い決め顔を向ける腐女子高校生。通報されても仕方がないのではなかろうか。


「それについては疑っていないから大丈夫だ」


 しれっと返す式の神経の太さは尋常ではない。


「おい式!」

「まあまあ!」

「冗談はともかく、塾はいいのか?」

「あ!」


 忘れ物を取りに戻ってきただけらしい。それならそれで、自分たちに絡んでこないでさっさとすればいいものを、と九郎は思う。「頑張って、味方だから」といい笑顔で手を振りながら自転車をこいでいく美晴を見送り、九郎は車椅子に座る親友に疲れた声を投げた。


「美晴姉さんに乗るな。頼むから」

「あれはお前の反応のせいだと思うんだがな……ん?」


 式の顔の動きを九郎が追うと、現れたのは黒塗りの高級車だ。ガラスも真っ黒で車内の様子をうかがい知ることができない。この類の車を見る度に九郎は思うのだが、バックミラーはきちんと役目を果たしているのだろうか。


 降りてきたのは二人。運転席から降りてきたのはファストファッションの私服、助手席から降りてきたのはそれなりに金のかかっていそうな黒スーツに身を包んだ、いずれも男で、素人目にも堅気には見えない連中だ。二人とも九郎たちに向かって――正確には式に対して恭しく頭を下げる。


「すまないが九郎、私も用事ができた」

「ああ、それじゃまた明日、学校で」


 挨拶を交わし、式が自分で車椅子を操作して高級車に乗り込むのを確認してから、九郎もタワーマンションの階段を上っていく。高層建築物ではあっても、九郎が引き取られた叔父宅は三階なので、機械式大量輸送システムに頼るよりも徒歩のほうが早いことが多いのである。


 軽快ではあってもはつらつとはしていない足取りで叔父宅に辿り着く。間取りは四LDKに加えて納戸があって、叔父夫婦は将来的に二LDKにリフォームしようかと考えている。売却時により高く売れるよう、色々と相談しているらしい。


 大手不動産デベロッパーが主体となって建設した高層マンションは、資産としての価値を高めるためもあってドアや通路のデザイン・材質も凝っていて、引き取られた直後の九郎は違和感と緊張に全身を襲われたものだ。


 それなりの時間が経った今では、特になにかを感じるようなこともなくなり、持たされている鍵で二重ロックを開錠、室内に入る。


 叔父夫婦は共働きで、夫は出世コースからやや外れ気味の公務員、妻は父親が所長を務める税理士事務所で働いていて、収入的には妻に軍配が上がる。このこともあって、夫妻の二人の娘も税理士になるよう言われていた。


 九郎に用意されている部屋は、元は普通の部屋だったのだが、さすがに気が引けたので今は納戸に移っている。叔父夫婦も娘たちも難色を示し、九郎はこれを強引に押し切った。


 四.五畳程度のスペースも小学生一人には十分に広い。ただ、かなり殺風景で、荷物の量も少ない。両親は他界し、兄弟姉妹もおらず、遺品の類も乏しいとなれば当然か。


 感慨もなく部屋の隅にランドセルを放り投げ、式から貰った時計は丁寧に小さな机の上に置く。部屋に相応しい小さな箪笥の引き出しを一つ開け、栄養バーを一本取り出し、十秒とかからずに胃に放り込む。


 他に室内にあるのは、ダンベルだ。ゲームや漫画の類がないのに、トレーニング器具は置かれている光景は、どこか異常に映る。


 両親を殺害した犯人はまだ捕まっていない。小学五年生の九郎の両目に昏い炎が灯っていることを知っているのは、緋桜式だけだ。


 九郎は一つ深呼吸をしてから器具に向かった。

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